果たして自分がちゃんと走り出せたのかわからない。半ば後ろの人たちに押されるようにして動かす足は、すぐにたたらを踏むことになった。


「げ、」


ゲートが狭い。しかもスタンド席の下をくぐるためそこそこの長さがあり、さながらトンネルのようだ。参加者数に対して明らかに幅狭なそれは前方の生徒ですでに詰まっており、我先にと抜けようとするからさらに大混雑だった。一度足を止めたが最後、後ろの人に押され前へ体当たりすることに。おかげでトンネルに入ったものの、これは、満員電車に乗るときとそっくりだ。サアッと血の気が引く。体勢を崩したら潰される。直感した危機にとっさに足の裏に力を込める。さらに一歩踏み出そうとする、と、足が動かない。


「え?」


見ると、地面を伝い足首までを何かが覆い尽くしていた。それが氷だと気付いたときには、目の前の人が走り出し、支えのなくなったわたしは前に倒れる、ことができず尻餅をついた。
トンネルの中なので薄暗くてよく見えない。けれど触れば冷たいそれは明らかに氷だとわかる。見回すと周りの人たち全員が同じ状況になっており、一面を這う氷に身動きが取れなくなっていた。
緊張と焦りで上がる息のまま、これが最初の障害物なんだと理解する。手を伸ばし足首あたりの氷を剥がそうとするもそこそこの厚さがある上冷たくて素手ではとても剥がせそうになかった。お尻の下にも氷があるので同じ体勢でいるのもきつい。どうしよう、早く抜け出さないと…。
「よっし!」前方で聞こえた声に顔を向けると知らない男の子が氷から脱出したところだった。周りからも破砕音や融解音など様々な音が聞こえてき、次々に生徒がゲートの先を目指して駆けていく。完全になす術なしなのは半数くらいだろうか。その中にわたしが入っている。


「………」


まだ数メートルしか動いてないのに、背中には大量の汗をかいていた。どうしよう。こんなところで終わったら、何もしてないのと一緒だ。心操くんたちと走った特訓がまるで無意味だ。わたしどんな顔して、ゴールしたみんなに会えばいいの。ゲートすらくぐれなかったという事実に恥ずかしさと情けなさに顔が真っ赤になる。素手でどうにかできるものじゃない。足首まで凍ってるからスニーカーも脱げない。溶けるのを待ったら何時間後になるだろう。やだ、やだ、こんな、何も報われないの。
ハッと顔を上げる。そうだ、何か手頃な石とかあれば、砕けるかも。辺りを見回すと離れたところに尖った何かが見えた。何かの破片だろうか。手が届く距離じゃない。迷わず個性を使おうとするも、破片はビクともしなかった。


「あっ」


個性が発動しない。ストレスやプレッシャーを感じてるとき、わたしは個性を使えない。そりゃあこんな状況で使えるわけがない。ないけど……。
じわっと涙が滲む。そのままボロッとこぼれた。急いでジャージで拭うも、次から次へとこぼれていく。はずかしい。


「か……」


かつきくん、声に出そうとしたのを何とか堪える。駄目だ、勝己くんの邪魔しないって言った。怪我して泣いても知らないって言われた。縋っちゃ駄目だ。このくらい、一人でどうにかしないと。
鼻をすすりながら顔を上げ、再度目的の破片に集中する。大丈夫、心操くんたちと特訓した。勝己くんが、頑張れって言った。


「頑張る…」


その瞬間、破片がグラッと傾いた。思わず息を飲む。コロコロと氷上を転がってくるそれを、手を伸ばして掴む。…使えた!個性使えた!飛び跳ねたい気持ちを抑えながら手の中の破片を見てみる。誰かの個性で出したものなのか、ガラス片のようだった。何かが割れたからか、分厚いのに断面はところどころ鋭利だ。
ぎゅっと握りしめ、足首の氷へぶつける。部分的に薄くなってる場所を狙って叩けば手応えがあった。これなら割れる!逸る気持ちのまま何度もぶつける。氷より先にガラスが割れたらどうしようと不安があったけれど、結局、両足が自由になるまでガラス片が砕けることはなかった。鋭利な部分はダメになり最初手にしたときより全体的に丸くなったそれを捨て、立ち上がる。足首を振ると氷のカケラがパラパラと落ちた。
どのくらいかかっただろう。勝己くんは今どこらへんかな。何人かの生徒がわたしと同じように氷と格闘したり諦めて座り込んだりしているのを横目に、走ってゲートをくぐった。久しぶりに浴びた日の光に妙にホッとした。


「いたっ」


急に襲った手のひらの痛みに目を落とすと、利き手がところどころ切れて血が滲んでいた。ガラス片を握り込んだからだというのは言わずもがなだ。足首も勢い余って地肌を傷つけてしまった。でもコースの四キロを走れない痛みじゃない。早くしないと。他の人ほとんどいない。

一心に駆け抜けコースを九十度左折する。と、一体のロボットと目が合った。


「え、」


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