「おまえ明日から一人で帰れ」勝己くんの言葉が頭の中で何度もリフレインする。まるで寝つけず、月曜日、寝不足気味の目をこすりながらなんとか午前中の授業を受けたあと、昼休みは勝己くんとご飯を食べた。至っていつも通りの彼に、ぼんやり気力のない頭は話を蒸し返す元気もなく、「寝不足かよ」と指摘されたときも笑って誤魔化す始末だった。
勝己くんのタイミングで食堂をあとにし、C組の教室の前で別れる。いつも通り。でもこれが終わったら今日はもう勝己くんに会えないんだ、思うと心細くて、何か言おうとしたけれど、あっさり「じゃあな」と言われてしまってはわたしに言える言葉は「じゃあね」しかなかった。


「…はあ…」


視界には白色の机上だけが映っている。自分の席に着いたあとも気分は落ちたままで、背筋は丸く、口から出てくるのは溜め息ばかりだった。
むしろこんなに落ち込むのは大袈裟なのかな。去年までは一緒に帰ろうなんて約束しないで、毎日勝己くんのあとについていってた。それを勝己くんが嫌がったことはなかったから、わたしは幼なじみの男の子たちに混ざって先頭を歩く勝己くんについていったのだ。あの頃はよかったのに、今突然一人で帰れって言うの、なんで、かつきくん。わたし悪いことしたかなあ…。

思い出すのは中三の春、敵に襲われた日のことだ。あのとき勝己くんはわたしに対して憤っていた。鋭い目がわたしを刺していた。わたしの胸ぐらを掴んで離したあと、勝己くんはそのまま一人で帰ってしまった。あの底知れない悲愴と孤独感はもう二度と味わいたくない、二度と勝己くんに突き放されたくないと、思ってたのに。


「はあ…」


朝は変わらず一緒に行ってくれるし、お昼も一緒に食べてくれた。だからわたしに怒ってるんじゃないって思うんだけど、じゃあなんで先に帰れって言ったんだろう。わたしにとっては登校も昼休みも下校も、全部等しく価値ある時間なのに。勝己くんと一緒にいられる、最も価値ある時間なのに。少なくとも勝己くんにとってはそうじゃないんだ。

そもそも勝己くん、なんで放課後学校に残るんだろ…。


死んでる?」


聞こえた声にガバッと顔を上げる。な、なんか物騒な言葉が…。「あ、生きてた」顔を覗き込むように腰を曲げていた長髪の女の子を凝視してしまう。いつの間に来てたんだろう、さっきまで自分の席にいた気がするのに。


「確かに魂は抜けてたけど」
「し、心操くん…」


隣の席で背もたれに寄りかかる心操くんも小馬鹿にしたように口角を上げている。よほど死んだ顔をしてたらしい。心当たりはあるから、バツが悪いなあ。肩をすくめて苦笑いする。


「まー、は見るからに向いてないもんな」
「え?」
「ん?体育祭どうしようって思ってるんでしょ?」


姿勢を元に戻した女の子が首を傾げる。どうやら何やら勘違いされてるらしい。確かに近々ある一大イベントだし、校内のどこにいても話題はそれ一色だから、そう思われても仕方ないのかもしれない。でも申し訳ないけど、わたしは体育祭なんてどうでも……。「あ、ならも放課後特訓する?」「えっ」唐突な提案にビクッと肩が跳ねる。……と、特訓…?


「体操服持ってきてるよな?早く行かないと女子更衣室混むらしーよ」
「え、あ、あの…?」
「ん?」
「おまえ強引すぎ」


呆れて息をつく心操くんに助けを乞うように顔を向けると、彼は一度目を合わせたあと、スッと女の子のほうに視線を動かした。


「体育祭に向けて身体鍛えるんだとよ」
「そうそう。毎年この時期になるとみんな残って個性の練習とかしてるらしいんだよね。早耳の奴がヒーロー科の連中も今日からやるって言ってたし、負けてらんないっしょ」


彼女のその言葉で、わたしはハッと背筋が伸びた。このときばかりは自分の頭の回転が速いと思う。
もしかして、勝己くんが残る理由って、それなんじゃ…?!


「あ、の友達ってヒーロー科だっけ。聞いてない?」
「聞いてない、けど……聞いた…!」
「は?どっち」
「……」


そうだよ、絶対そうだ!勝己くん昨日も外走ってジム行ってたらしいし、平日の放課後は雄英で練習しようとしてたんだ、遅くまで残るから、わたしには先帰れって言ったんだ。そっか、嫌われたわけじゃなかったんだ、よかったー…!ほわっと笑顔になりそうになったのを、一瞬で引き締める。……いや、勝己くんの中でわたしを待たせてでも一緒に帰る理由がないことは事実なんだ。


「まあとにかく、も体育祭頑張ってヒーロー科ギャフンと言わせようぜ!」


バシンと背中を叩かれ背筋が反り返る。前から思ってたけど、この子、ヒーロー科のこと目の敵にしてるよなあ…?編入狙ってるみたいだから、そういう理由なのかもしれない。
ぼんやりと考える。最近の勝己くんのこと。体育祭というはっきり順位がつく校内の催し物。力を入れてるから、いつも以上に目標に向けて前を見据えている。前を見てるから、後ろをついてくわたしのことはきっと見えてない。「勝ち進む気ねえなら最初から出ねえか適当に負けとけ」あの言葉は、案じてくれたわけじゃないのかも。「おまえ明日から先帰ってろ」単に、捨て置かれてるのかも。

勝己くんを困らせたくない。邪魔をするのは本意じゃない、と思う。思ってる。

でも、わたしは勝己くんに気にしてもらいたい。

気付くと自分の口がぽかんと空いていた。それでも今しがた思いついたことが頭の中で次第に形作っていくのを止められなかった。……ギャフンは言わなくていいけど、体育祭で頑張ったら、勝己くん少しはわたしのこと見直してくれるかも。また褒めてくれるかもしれない。

……わ、わたしも、頑張ろうかなあ……?


「う、うん!頑張る!」
「よく言った!」
「…、本気?」


わっと盛り上がるわたしたちとは対照的に心操くんは落ち着いたままだった。それがなんだか居た堪れなくて、「う、うん」またどもって頷くと、心操くんは眉をひそめて何か言いたげな顔をしてみせた。


「あ、あの、何か駄目だったかな…」
「…いや。やりたいと思うならやればいいんじゃない」


「俺もするし」そう言って目を逸らした心操くんにぱっと笑顔を浮かべる。心操くんも特訓するんだ!心強いなあ!


「ありがとう!」


心からの感謝を伝えると心操くんは、べつに、と首裏に手をやった。……あ、まるでわたしのために特訓するみたいにさせちゃったかも。心操くんも編入目指して自分の意思で参加するのに申し訳ない。でも、心操くん優しいから許してくれるかも。勘違いしたみたいでごめんねって言おう。そう顔を上げ口を開く。


(悪いけど俺は、)


はた、と止まる。勝己くんやA組を煽るようなことをいくつも言っていたあれは、何だったんだろう。そもそもあれ、心操くんだったのかな。別人の可能性を考えてしまうくらい、あのときの心操くんは見慣れなかった。その彼が目だけでわたしを見て、「なに」と短く問うたけど、ううんと首を振ることしかできなかった。


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