呆然としながらもおずおず頷いたわたしに、心操くんはなんか脅したみたいになったけど、と続けた。それには慌てて首を振って、ぎこちなく席に座り直す。……でも、だいじょうぶだ、たぶん。頭の中はいろいろわからないことだらけだったけれど、不快な気分にはちっともならなかったから問題ないのだ。

ホームルームのチャイムが鳴り、なんとか予定通り帰りの支度を終えたわたしはスクールバッグを抱え心操くんと一緒に廊下に出た。と、そこには見慣れない光景が。


「あ、あれ…?」
「……」


なんと、A組の教室の前に人だかりができてるのだ。下校する人たちの流れじゃない。彼らはみんな廊下で集まるようにして立ち止まってるのだ。各々しゃべってるけれど意図はわからない。とにかく、あんな人だかりがあるんじゃ勝己くんを待つこともできない。どうしよう、勝己くんに連絡しないと、


「考えることはみんな同じか」
「…え?」


隣から聞こえてきた声に顔を上げると、前を向いていた心操くんもわたしを見下ろした。


「あいつら全員敵情視察ってとこだろ」
「てき…」


その意味を理解するように、わたしは心操くんから目を逸らした。肩に掛けたカバンの持ち手をぎゅうと握る。手ぶらの心操くんは両手をポケットに入れ、はあ、と息をついた。…そういうこと、か、みんな体育祭で、A組のことが気になるんだ。ヒーロー科とか普通科とか、体育祭じゃ関係ないんだもんね。心操くんに先導されるように止めた足を再び動かし、人だかりへと近寄る。集団に紛れ込むと思うように進めなくて、A組のドアが開いたのはわかっても中はまともに見えない。勝己くん出てきちゃう、早く…。


潰れてる」
「あ、う…」
「こっち」


手首を掴まれ引っ張られる。ともすれば外に放り出されそうだったわたしはずんずん進む心操くんのおかげでドアの正面まで移動できそうだった。ありがとう、と口に出したものの心操くんからの反応は返ってこなかったので、聞こえなかったみたいだ。彼の背中を見つめながら、人知れず息を吐く。

こんなに頼りになる友達ができて、わたしラッキーだったなあ…。

じんわりと涙さえ浮かんでくる。こんなダメな人間の相手をしてくれるだけでも優しいのに、面倒まで見てくれるのだ。いい人すぎる、本当に高校最初の友達が心操くんでよかった。
「お、A組出てきた」「どんなもんかね」すぐ近くで聞こえた声にハッとする。やっぱりそうなんだ…。周りの人たちが一斉に品定めをするかのような目つきに変わる。(……。)彼らを横目で見て、それから、信じられないものを見るかのように見上げた。心操くんの背中だ。敵情視察。周りにいる人たちはみんな、A組の品定めをしに来た。だとしたら、彼は?

心操くんも勝己くんの敵になるのだろうか?


「心操くん、」
「なに」


振り返った心操くんに聞かずにはいられなかった。「心操くんも、敵情視察…?」わたしは、否定してほしかった。理由は何であれ、友達の心操くんが、大事な勝己くんと敵対するところなんて見たくなかった。心操くんは特に動揺した様子もなく、つい、と目を逸らす。それを見てわたしは、今朝の彼の質問の意図に、ようやく掠った気がしたのだった。


「……俺は…」

「意味ねェからどけモブ共」


弾かれたように首を向ける。勝己くんの声が聞こえた。勝己くんがいる。人混みの隙間から何とかしてA組の入り口を確認すると、入り口の真ん中に立って人混みと対峙している勝己くんが見えた。はあっと息がつける。勝己くん、勝己くん!よかった、見つけられた、早くここにいるって、見つけてもらわなきゃあ、

前のめりになった身体を押しのけるように、心操くんがわたしの肩を押した。


「どんなもんかと見に来たが随分偉そうだなあ」


後ろへよろめく。人がいたので尻餅をつくことはなかったけれど、思いっきり寄りかかってしまった。頭が真っ白になっていた。突然のことに頭がついてけず、わたしは後ろの人に大丈夫か?と声を掛けられてようやく、我に返ることができた。慌てて自分の足で立ち直し、再度正面を向く。気付くと心操くんは一人で人混みの中心へと移動していた。心臓が痛く動悸している。さっき心操くんは何て言った?どうしてわたしの行く手を阻んだの。


「ヒーロー科に在籍する奴は皆こんななのかい?」
「ああ?!」


頭がこんがらがりそうだ、いいやもうこんがらがってる。どうして二人が険悪なの?「こういうの見ちゃうとちょっと幻滅するなあ」わたしは何か、見てはいけないものを見ているような居心地の悪さを覚えていた。何が、起こってるんだ。「敵情視察?」心操くんが、一瞬、こちらを見た気がした。


「…悪いけど俺は、調子のってっと足元ゴッソリ掬っちゃうぞっつー…宣戦布告しに来たつもり」


背筋が凍る。敵情視察じゃない、そんなんじゃない、心操くんは、宣戦布告って言った。不敵な心操くんの背中を凝視してしまう。あの優しい心操くんが。心操くんが、勝己くんを煽る光景なんて誰が想像しただろう。そもそも勝己くんが誰かに煽られる光景なんて初めて見た。少なくとも、カリスマ的才能の持ち主の勝己くんにわざわざ面と向かって喧嘩を売るような人は小学校や中学校にはいなかったのだ。


「隣のB組のモンだけどよう!!」


ビクッと肩を震わせる。真後ろから聞こえた声に振り返るより先に、また肩を押され横にずれることになった。さっき押しのけられたとき支えてくれた人だろうか。銀色の髪の毛の男の子がずいずいと中心へ向かっていくのを、何もできずに見ていた。


「本番で恥ずかしいことになっぞ!」


その彼もA組の態度が気に食わなかったみたいだ。入り口に立つ勝己くんに、というよりA組全体に向けての発言だった。「……」でも、対象がどうであれ勝己くんにはあまり響いていないみたいだ。銀髪の男の子の背中越しに勝己くんをじっと見つめる。相手を見据える勝己くんの表情はどこ吹く風といったように涼しげだ。答えることなく心操くんたちを押しのけ教室から出て来ようとする勝己くんをクラスメイトの男の子が引き止めたけれど、勝己くんの姿勢が変わることはなかった。「関係ねえよ」


「上にあがりゃ関係ねえ」


……ああ、勝己くんのまっすぐな意思はなんて尊いのだろう。自然と、口角を上げていた。無意識に思い起こす、先週、悔し涙を流して宣言した彼と重なった。

そんな彼を見つめていたら、パチッと目が合った。探す素振りも見せずのそれだったから、わたしはとても驚いた。勝己くんは何も言わず顎をクイッとしゃくったと思ったら、その方向へと歩き出した。「……!」その意味を理解したわたしの心臓は大きく膨らんだだろう。目を輝かせ、人混みを出て彼のあとを追うのだった。


「勝己くん、なんか、すごかったねえ…!」
「あいつら、口だけじゃねえことを祈るわ」


まっすぐ前を向く勝己くんににこにこと笑顔を浮かべる。体育祭が勝己くんにとって有意義なものになるなら何でもいいとすら思えた。勝己くんが一番になるとこ見たい。勝己くんはきっと、一番になってもわたしをこうして置いてかないでくれるものね、一緒に帰ってくれるもの。

…あ、心操くん。少し気になった彼に振り返ったけれど、すでに人の影に隠れて顔を見ることは叶わなかった。代わりに勝己くんを追う集団の目といくつか合ってしまい、気まずくてすぐに逸らした。


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