『はい』


連絡なしにお家に押しかけるとインターホンから勝己くんの声が聞こえた。思いかけない相手にどきっとする。「…です!」『ん』そんなやりとりをしただけで通話が切れた。きっと開けてくれるんだ。さっきとは違う意味で胸を高鳴らせながらドアの前で待っていると、ガチャリと解錠される音のあとそれは押し開かれた。もちろん、ドアの向こうにいるのは勝己くんだ。
彼は部屋着の黒のロングTシャツを着て、わたしと目が合うと「おう」と、やっぱり短いあいさつで出迎えてくれた。にやけそうになる口を堪えながら、うつむき気味に声にする。


「あがっていい…?」
「あ?じゃなかったら何しに来たんだよ」


早よしろとドアを開け放した勝己くんに今度こそ破顔したわたしは、大きく頷いて彼を追いかけるのだった。

玄関でスニーカーを脱ぎ、廊下を通ってリビングへ行くと、先に着いていた勝己くんはテーブルの上にあったリモコンへ手を伸ばしていた。無意識に視線をテレビへと移す。と、お昼のニュース番組で女性のニュースキャスターがこちらに向かって何か語りかけていた。彼女の言葉が脳に到達するより先に、画面下に表示されたテロップを理解する。「雄英高校 敵の襲撃受ける」…あっ。背筋がスッと冷えた。すぐにテレビ画面は勝己くんによって消されたけれど、その意味を考えるとさらに困惑してしまう。勝己くんは、わたしが来る前にこのニュースを見てたんだ。何を考えていたんだろう。

昨日の騒動の結果臨時休校となった今日、わたしは特に理由もなく勝己くんに会いに来た。昨日の事件は突然の出来事で怖かったし、勝己くんを待ってる間不安で堪らなかった。けれどそれも勝己くんの顔を見るまでのことで、手を引かれてからはすっかり安心だった。クラスに戻って先生からの話でも、一人を除いてA組の生徒は全員無事だったって言ってたし(その一人が出久くんだというのは勝己くんから聞いた)、帰り道の勝己くんに心配する部分はなかった。それに敵が襲撃した理由も勝己くんとは関係のないことで、勝己くんは偶然巻き込まれただけだってこともわかってる。だから、わたしの中で昨日のことはもう終わっていたのだ。
でも勝己くんはそうじゃなかったんだ。


「………」


勝己くんに怪我はなく、昨日昇降口前で見たときのかすり傷もTシャツに隠れて見えなかったけれど、直感的に大丈夫だと思えた。それでも勝己くんの、目を伏せた横顔が、わたしに帰るという選択肢を消していた。コトンとリモコンを元の位置に戻し、ソファに深く腰を下ろす勝己くん。テレビが消え訪れた静寂に落ち着かず、きょろきょろと辺りを見回してしまう。


「勝己くん、光己おばさんは?」
「買いモン行った」
「あ、そっかあ」
「何か飲みたきゃ勝手に冷蔵庫開けてろ」


顎をクイッとしゃくった勝己くんのお言葉に甘えて、キッチンへ飲み物を取りに行くことにする。何も置いてないテーブルに一度目を落として、「勝己くんも何か飲む?」聞くと「おまえとおんなじのでいい」と返される。そんなことでもわたしはムズムズと嬉しくなって、わかったって返事も上ずってしまうのだった。

二人分の麦茶をグラスに入れて戻り、一つを勝己くんのテーブルの前に置く。三人掛けのソファに座る勝己くんの隣と、向かいの一人掛け。どっちに座ろうか逡巡したあと、やっぱり向かい側に座った。自分から隣に座るのは緊張するのだ。他の場所が空いてるならなおさら。
勝己くんは透明のグラスを一瞥したあと、膝と膝の間で軽く絡ませていた両手に目を落としたようだった。中学生くらいから、勝己くんと二人で会うときは用がなければこんな風に、ただ共有するだけの時間を過ごすことが多くなった。居心地悪いとかはなく落ち着きすらする。だから、わたしは聞きたいこととか話したいことがなければ黙ってる。もちろん勝己くんは暇じゃないから、他にやりたいことがあればそれをするし、邪魔だったら帰れとも言う。わかりやすい、わたしはただ勝己くんの言う通りにすればよかった。
だから今、勝己くんが何か考えごとをしてるのがわかっても、帰れと言われない限りはここにいることが許されているのだ。


「かつきくん、考えごと?」
「……」


グラスを両手で包みこんだまま問う。深くは考えずの発言だった。俯き気味だった勝己くんがわたしを見遣る。前髪の隙間から赤い目が覗いていた。怒ってない。気落ちしてるわけでもない。静かな彼の目が、何を言ってるのかはわからなかったけれど。


「昨日のこと」
「…あ、うん、……」
「……口止めされてるわけじゃねえけど、おまえに言っても仕方ねえから言わねえ」
「うん……」


今度はわたしが俯く。麦茶の茶色い水面に、困り顔の自分が映った。……知りたかった。話してほしいって魂胆で聞いたわけではなかったけど、いざすっぱり断言されてしまうと悲しい。ニュースの報道でだけじゃ汲み取れない、敵と相対して勝己くんが思ったことをわたしは、共有することができないらしかった。


「でも、気ィ付けとけよ」
「え?」
「くだらねえこと考えてるカス共がいて、そいつらの侵入を雄英は許した。結果として目的は阻止したけど、あれで大人しくなるとは思えねえ」


「またいつオールマイトを殺しに来るかわかんねえ」勝己くんの視線は鋭かった。目は合っているのに、知らない誰かへ向けて攻撃的な威圧感を放っていた。ニュースでも、敵の目的は平和の象徴、オールマイトだってことは報じられていた。オールマイトの授業かつ雄英の校舎から隔離された場所を狙っての犯行だった。それにたまたま、勝己くんのクラスが巻き込まれる形となったのだ。オールマイトと直接関わることがない普通科のわたしでも、何らかの形で巻き込まれる可能性は雄英に在籍する以上ゼロじゃないってことを、勝己くんは言ってるんだろう。グラスをぎゅうと握りこむ。表面にかいた汗がぽたりと太ももに落ちた。


「おまえは何かあったらすぐ俺んとこ来いよ」


パッと顔を上げる。「そのほうがわかりやすいだろ」ハッと鼻で笑う勝己くんに、すうっと息を吸う。


「うん…!」


目は潤んできらきら輝いてたかもしれない。勝己くんの指示はいつも正解で、いつもわたしを救ってくれる。不安なんて彼方へ吹っ飛ばしてくれる。勝己くんの考えごととして少しでもわたしという成分が混ざっているのなら嬉しい。きっとそれ以外が主だろうけど、こうして勝己くんがわたしの目を見て身を案じてくれてる間は不安なんて少しもないのだ。今日も勝己くんのそばにいてよかった。


30 / top / >>