日曜の成果は上々だった。心操くんだけでなく数人の女の子と初めて話すことができて、名前で呼ばれるくらいには打ち解けられた。とはいえ一人で声をかけるにはまだ多大な勇気を要するので、あいさつ以外で彼女たちと話すことはその日以来叶っていない。
でもクラスで一人浮いていた不安感はほとんどない。わたしは朝、勝己くんと教室の前で別れるとき、一日を憂う気持ちが薄れているのに気付いていた。これは大きな進歩といえるだろう。相変わらず勝己くんと離れるというさみしさは、健在だったけれど。

今日のヒーロー基礎学は何だろう。毎回いろんなテーマでヒーローに必要な訓練を受けるらしいから、毎日とはいえ飽きがこなさそうだ。お昼の時間に聞いたヒーロー科の授業を思い出しながら、机から教科書を出す。普通科の五時限目はスタンダードに国語である。


「また会わなかったな」
「あ、そうだね…」


「ヒーロー科の友達と食ったんだろ?」隣の席に座る心操くんに頷く。ありがたいことに、彼らには今日もお昼に誘ってもらったのだ。クラス会から三日経った今も頑なに「他クラスの友達」と昼食を食べに行くわたしに女の子は不満げな表情を浮かべてくれたけど、困って肩をすくめると心操くんが助け舟を出すように「向こうで会うかもな」と、話を終わらせてくれた。本当に食堂で見つけようとしてくれてるのかは定かじゃないけど、仮にそうだとしてもあの大人数がひしめく空間で目的の一人を探し出すのは至難の技だろう。初めて同じことを言ってくれた先週から今までで彼らと遭遇した回数は人差し指すら立てられなかった。
申し訳ないことにわたしのほうは探してないので、会う確率はもっと下がってるんだろう。そしてこの先、お昼休みを彼らと過ごすことはないんじゃないかと思う。勝己くんがわたしとご飯食べたくないって言うまでずっと、校内で会える数少ない時間を勝己くんに費やしたい。わたしにとって勝己くんより優先させるものなんて何一つないのだ。

鐘が鳴って授業が始まったあともぼんやり勝己くんのことを考えていた。今日はどんな訓練を受けるんだろう。何があっても彼は上位の成績を修めるに違いない。ヒーロー科の入試で首席だった実力は伊達じゃない。そんなことはきっと、もう同じクラスの人たちは気付いてるんだろうなあ。
そもそも勝己くんにとって困難なことなんてないんじゃないかと思う。わたしの知る限り勝己くんが何かで誰かに遅れをとったことはない。もちろんそれは、勝己くん自身がやろうとしたことに限ってはいるけれど。

五十分間の授業が間もなく終わるという頃、ふと廊下が騒がしいことに気付いた。早く授業が終わったクラスかなと思いつつその足音や話し声はどこか不安を煽るように忙しない。言葉として聞き取るのは難しいほど曖昧に届くのに、大人の男の人たちだろう会話には緊迫感すら覚えるのだ。授業中の先生もそれには気付いていたらしく、廊下を確認するべく締め切られたドアに手を伸ばす。前に、それは開かれた。確かB組の担任だったろうか。プロヒーローの一人。

同じくプロヒーローの先生はその人からの耳打ちののち、わたしたちに五限の授業の終了と六限の自習を告げ、早足で教室を出て行った。「なんだ…?」さすがにのっぴきならない事態を察したクラスメイトが騒めきだす。わたしも例に漏れず視線を彷徨わせる。一体何があったんだろう。さっき廊下を早足で駆けていたのもプロヒーローなんだろうか。だとしたら……。
思い出すのは先週起こった騒動だった。またマスコミが雄英に乗り込んできたのかもしれない。あのとき英語の先生のプレゼントマイクが対応したって、この間授業中の雑談で聞いた。だとしたらここでおとなしく座ってればいい。先生も特にどうしろとは言ってなかった。きっと避難とかは必要ないんだ。

あれでも、警報鳴ってない、


「やっぱここも自習っ?」


後ろのドアから顔を覗き込ませたのは見覚えのない男子生徒だった。C組の生徒ほぼ全員が振り向き視線を集めたのにも動じることなく、彼は噂好きの顔をにやりと緩ませ、ねえねえと口を開いた。「あいつD組の奴じゃね?」近くの席の誰かがそう言ったのを小耳に、彼の口が動くのをじっと見ていた。


「なんかここの演習場に敵が侵入してきたんだって!A組が授業してるとこみたいで今プロヒーロー全員向かったって!」


血の気が引く感覚。一層騒めき立つ教室や「B組何してんのか見てくる」と言って立ち去った男の子の言葉を脳は処理をせず、視界は渦を巻くようだった。次第にそれは炎となり眼前を覆い尽くした。

わたしはあの日の熱を覚えてる。もがき苦しむ勝己くんを見た。勝己くんを失うことを想像した。襲ったのは死ぬことへの焦りだ。何もできなかった。心臓が、はち切れそうだ。

ガタンと音を立てイスが揺れる。何かに急かされるように立ち上がっていた。「…?」隣でわたしを見上げる心操くんの声が耳に入ったけれど踏み出す足を止める効力はなかった。


「おい!」


ぐいっと腕を掴まれて動きが止まった。振り向くと身を乗り出して手を伸ばす心操くんが眉根を寄せてわたしを見ていた。ぐるぐる渦巻く脳内が気持ち悪い。


「どこ行くんだよ。まさかA組んとこ行くつもりじゃ…」


彼はまるで訝るように、それでいて心配そうに表情を歪ませていた。「顔真っ青だぞ」その言葉通りわたしは今顔だけでなく身体中冷たいのだろう。だから制服越しでも心操くんの手が熱いのがわかる。目線を落とすとその先にある彼の手がピクリと揺れたのがわかった。なぜか、鼻の奥がつんと痛んだ。潤む視界。

なんでわたし引き留められてるんだろう邪魔しないでほしい勝己くんのそばにいさせて勝己くんが危ないならひとりにしないで、勝己くん勝己くん勝己くんかつきくん、

あの日の絶望は息を潜めてるだけでいつだって目の前にあるのだ。


「勝己くんに何かあったらわた、わたし…」
「……は?」


声と裏腹にぎゅっと力のこもった手にいよいよ頭が真っ白になったわたしはごめんなさいの言葉より先に強く振り払っていた。こんなところで一人でいられない。駆け出したわたしを止める声には振り返らず、教室を飛び出した。


27 / top / >>