お昼の十二時十分前。集合場所の駅の改札を出て北口へ向かうと、そこにはすでに見覚えのある顔ぶれが十人ほど、集まっていた。十メートルほど離れた位置で立ち止まったまましばらく浅い呼吸を繰り返す。……来ちゃった、けど、逃げたい、帰ろうか。よっぽどへっぴり腰の思考回路を巡らせたけれど、もう行くって言っちゃったし、ドタキャンなんてした日にはわたし、どう思われるんだろう…。想像すると怖くて結局、わたしは前へ足を踏み出すのだった。家を出るとき母に心配された程度には青白いらしい顔のまま、どうしようもなく、おぼつかない足取りでおそるおそる集団へと近寄る。(…あ、)すると、ようやく見知った顔を見つけ、わたしは彼を目指して駆け寄った。


「心操くん」


クラスで一番話せる彼はわたしに気付くと建物の壁に寄りかかったままあいさつをしてくれた。それに返してようやく、緊張の糸を少し緩めることができたのだった。

心操くんに今日のことを教えてもらったのは昨日の夜だった。「明日クラスの集まりあるけど来る?」そんな端的なメッセージを受信した携帯を、わたしはベッドの上で落としそうになった。ついでに目もまん丸だ。昼休みに交換した連絡先を早速使うことになるなんて、と見当違いなことを考えながら、駄目元で手帳を開くももちろん真っ白な四月の日曜日。溜め息と共にパタンと閉じ、改めて携帯の画面を凝視する。明日、クラスの集まり。……行きたく、ない。
誘ってもらえたことは純粋に嬉しい。ただでさえ高校に入ってからも狭いコミュニティで生きるわたしを、クラスという広い枠組みの集まりに声をかけてくれた心操くんの優しさには心から感動した。けれど、今までこういった集まりに一人で参加したことがもちろんないので、気が進まないのが正直なところだった。
当然ながら、これまでクラス会みたいのに行くかどうかは勝己くん次第だった。そもそも滅多になかったし、中学では年度末に思い出づくりのためって名目でそういう話が上がった気がするけれど、勝己くんが行くなら行く、行かないなら行かないでわたしもその通りにしてた。今回のクラス会にはそもそも勝己くんがいない。勝己くんがいないなら行きたくない。…でもせっかく誘ってくれた心操くんに、ましてやこれから友達としてもっとお世話になる予定の彼に、その場しのぎの嘘をつくことに多大な罪悪感を覚えていた。
どうしよう、とベッドの上で丸まって頭を抱えるわたしは、それからすぐにハッと顔を上げた。まじまじと携帯を見下ろす。震える手で、「行きます」と、打った。送信。

一人の部屋でドッドッと心臓が鳴っている。口から何か出てきそう、だ。頭の中で大丈夫、大丈夫と何度も念じる。大丈夫、だって、わたしには心強い味方がいるんだもの。

思い出したのは帰り道の勝己くんだった。「おまえは俺の一番弱い子分だから、何かあったら助けてやる」わたしの髪の毛を十本の指で掻き上げながら言った勝己くん。彼の言葉を、おまじないのように心の中で唱える。大丈夫、何かあったら勝己くんが助けてくれる。だからわたしは、頑張れる。クラスでもっと友達を作れる。

それから、心操くんからのわかったとの返事を確認して、すぐに布団に入った。結局、あんまり眠れなかったのだけど。


「また明日だったな」


目の前の心操くんの言葉に一瞬キョトンとしてしまったけれど、昨日の帰り際のやりとりのことだと気付いてほんとだねと笑った。なんでも計画を立てたのはよく一緒にいるロングヘアの女の子と他の男女数人らしく、心操くんは昨日の帰りに誘われたんだそうだ。一応全員に声かけたんだと携帯をいじりながら寄ってきた彼女の言葉通り、集合時間にはクラスの半数以上が集まる大所帯になっていた。入学当初感じた印象に違わず、やっぱりこのクラスは調和が取れてるんだろう。そこに、わたしも混ざれてるといいんだけれど。移動を始めた集団からはぐれないように、歩き出した。





「打倒!ヒーロー科〜!」


主催者の一人である男の子の音頭に合わせ、それぞれソフトドリンクのグラスで乾杯をした。そばに座るクラスメイトと控えめにグラスを当ててから、一口アップルジュースを口に含む。物騒な音頭は来月に控える体育祭への意気込みらしい。それを受けてわいわいと盛り上がる風景に、こればかりは混ざれなさそうだと苦笑いを浮かべていた。
移動した先のファミレスの半分近くをC組が陣取っている中、わたしはいくつか繋がったテーブルのうちの、一番隅の席に肩身を寄せていた。集団の一番後ろについて行ったから席に着いたのも一番最後だったのだ。十五分前にそれぞれ注文した料理はすでに揃っていて、各自パスタやピザを口に入れている。「さんスプーンも使う?」「えっ、だ、大丈夫、です」隣に座る女の子に渡されたフォークをカチコチになりながら受け取って、おずおずとカルボナーラに手をつける。入学して一週間とは思えないほど打ち解けてる様子のクラスメイトには素直にすごいと思う。みんなはわたしみたいに、今日のこれに行くか行かないかでぐるぐる悩むことなんかなかったのだろう。すごい、なあ。


「…あの、心操くんありがとう」


わたしのお礼で正面の彼と目が合う前に伏せた。ぐるぐるぐるとフォークに巻き込まれていくパスタを、ごまかすように凝視する。周りの喧騒に掻き消されるかと思ったけれど心操くんはちゃんと聞き取ってくれたみたいだ。ここに来るまで、集団の最後尾を一緒に歩いてくれた心操くん。彼に伝える言葉はやっぱりお礼が適当だった。


「今日誘ったこと?」
「そ、それもだけど、クラスで話してくれたり、とか」
「は、大げさだな」


頬杖をついて笑う彼をちらりと盗み見ると、彼もペペロンチーノに目を伏せてフォークにパスタを巻きつけていた。どこに座っているのかわからない、さっきもちょっと話した女の子や、今日は用事があって来れなかった男の子を頭に思い浮かべる。わたし、なけなしの運をちゃんと使えたんだなあ。一人ぼっちに投げ出された高校で、優しい人たちと出会えた。
でもやっぱり、と思う。数日前の昼休みを思い出す。フォークを動かす手を止め、意識が遠のき周りの声が言葉として聞き取れなくなる。ゆっくりと息を吐き出す。……たぶん、いや間違いなく、最初にあいさつをした相手が心操くんで、それに心操くんがちゃんと返してくれたのが、きっかけなんだろう。


「心操くん、わたしほんとに、こんなだから、一人で友達とかまともに作れたことなくて……だから、ここで初めて心操くんが友達になってくれて、ほんとに感謝して、ます」


心操くんのおかげでわたしは、初めてこのクラスでホッとすることができたのだ。

「……」驚いたように目を見開いた心操くんはそれからすぐに逸らした。その表情を追う前に、「さん、下の名前何だっけ?」隣の女の子から話しかけられてしまったので追及は叶わなかった。「え、あ、です…」「ちゃんかー!よろしくね!」にこにこと笑顔の眩しいその子の何倍も硬い表情で頷く。


「ねえちゃんは個性なに?どういう系?」


慣れない質問にたどたどしく答えると、「へー便利そうだね!」絶えず笑顔で返される。わたしはね、と彼女自身の話題に移り変わったところでふと、心操くんに初めて話しかけたときのことを思い出した。「普通個性聞くだろ」そういうものなのかな。というか、普通その人についてまず最初に知りたいことなのかもしれない。思ったけれど、自分の個性に愛着のないわたしはあんまり、目に見えるような個性でもないと気にならないから、ちょっと難しいなと思う。
わたしの前に座っている心操くんが話に入ってこないのを訝って正面をちらりと見ると、彼は頬杖をついた手で口元を隠したまま、窓の外を眺めていた。半分以上隠れてしまった横顔では表情はうかがえなかった。


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