教室に戻っても先ほどの騒動のことで話題は持ちきりだった。顔と名前が一致しないクラスメイトがわいわいと話しているのを小耳に挟みながら、そろそろと自分の席へ移動する。入学早々あんなことがあったんじゃあ、そりゃあ誰だってびっくりするよね。わたしだけじゃなかったとホッと胸をなでおろす。と、心操くんたちがおしゃべりをしているのに気が付いた。彼の席のそばで立ち話をしていて、女の子はわたしの机に腰掛けてる。食堂に行くって言ってたから、もしかしたら彼らもさっきの話をしてるのかもしれない。
じっとうかがいなから近づくわたしに気付いた心操くんが、あ、と口を開けた。と思ったら、「帰ってきたぞ」女の子に知らせたようだ。振り返った彼女はわたしを見て特に驚きもせず立ち直した。あっとその意味に気付く。でももちろん座ってほしくないなんて思ってないので、すっかり悪びれる様子もない彼女がわたしの名前を呼ぶのに小走りで駆け寄った。そういえば女の子に苗字で呼び捨てされるのって初めてかも。少しくすぐったくて、親しさも感じられて気持ちが良かった。


も食堂にいたんしょ?大丈夫だった?」
「う、うん、びっくりしたけど…」
「な。あたしらも気付いたら流されててさー潰れるかと思ったわ」


はああと手のひらを天井に向けた彼女に苦笑いする。さっきの食堂は異常事態だった。ほとんどみんなが慌てて、我先にと非常口へ避難していく。わたしももし一人だったら、あの波に流されてたと思う。実際勝己くんに助けてもらえなかったら、イスごと倒れてパニックの生徒に踏み潰されてた。本当に、勝己くんがいてくれてよかった。


は鈍臭そうだから轢かれてそうだなって話してたんだぜ」


にやりと笑って言ったのは心操くんだ。パッと彼に向き、言葉を理解するとともに目を丸くした。それからじわじわと顔に熱が集まる。内容にじゃない。誰かの会話の中に、自分が出てきたことが、とても意外で、気恥ずかしかったのだ。人の話題になったのっていつぶりだろう。

思い起こすといつも勝己くんがわたしを手招きしている。「待ってたんだぜ!」そう言って手を引っ張ってくれる。さっきだってそうだった。
ゆりかごに揺られて眠るわたしには、ゆりかごを用意してくれた勝己くんだけだった。でも、勝己くん以外にも、わたしのこと気に留めてくれる人がいるんだ…!心の底からむくむくと感動が湧いてくる。嬉しい。真っ赤な顔のまま、背筋を伸ばす。


「轢かれかけたよ!でも、一緒にいた友達が助けてくれたから、無事だった!」
「やっぱり」


心操くんが自分の机に寄りかかりながらくっくっと笑う。どうやら予想通りだったようだ。わ…わたしそんなに轢かれそうかな……実際轢かれかけたから、大当たりなんだけど。伸ばした背筋をすぐに丸めてしまう。「そういやあの非常口みたいだった奴、変な個性だったよな」長身の男の子が少しだけ話題を変えた。ああ、と声を上げる女の子につられるように、新しい話の中心人物を思い浮かべる。


「何だろなアレ。足になんかついてたからあれが個性だと思ったけど」
「最初浮いてたのとは無関係か?」
「足のじゃ浮けそうもなくない?も見た?」
「う、うん、眼鏡かけた人だよね」
「眼鏡?眼鏡かけてたっけ?」


あ、あれ…?三人のきょとんとした表情に背筋が凍る。何か変なことを言ってしまったかもしれない。ぎゅっと口を噤む。聞き間違いだった、かな、あのあと勝己くんと話してるとき、さっきの人三年生かなって何となく口にしたら、「ウチんとこにいるメガネだわ」って言ってたから、てっきり眼鏡をかけてる男の子なんだと思ったんだけど…。


「い、一年A組の人だって、友達が…」
「なんだ、やっぱヒーロー科かよ」


あからさまに口を尖らせた彼女にびくっと肩が跳ねる。「え、」また変なことを言ったかと焦るも、いつもたしなめる男の子のフォローも特になく嫌な感じがする。それは彼らが、ヒーロー科を快く思ってないのではないかと思わせるには十分で、ごくんと唾を飲み込んだ。


「つか、の友達ってヒーロー科なの?」
「あ、う、うん…」


両手を制服のポケットに入れたまま問うた心操くんには正直に答えるしかなかった。どうごまかせばいいかもわからなかったからだ。話し下手なわたしでも、良くしてくれる彼らにだったら、勝己くんがとっても優秀で、いかにヒーローに向いてるかを話してみたかったのだけど、まさか勝己くんのことまでもそんな反応をされたくなくて、それ以上は言わなかった。うかがうように心操くんを見ていると彼は一度目を伏せ、それからわたしと合わせた。そのときにはもう気まずい空気は消え失せていて、彼の表情には小馬鹿にしたような笑みが浮かんでいた。


「だから編入したいんだな」
「…えっ!違うよっ!」


素っ頓狂な反応をすると他の二人がカラッと笑った。心操くんもやっぱりおかしそうにくっくっと笑っていて、そこでようやく、からかわれたんだと気付いた。照れ臭くて頭を掻く。な、なんだあ…。でもみんな笑ってるから、いいやあ。えへへとみんなに混ざって笑ったら気分がよかった。頬の火照りさえ気持ちいい。すごい、まさか自分に、勝己くん以外でこんな風に笑える友達ができるなんて。結構好調なんじゃないかな。

そして目指すは勝己くんがすきになるしっかりした子だ。一人でもクラスに馴染めるしっかりした子、あと、勝己くんの言う通り個性の制御ができるようになるんだ。頑張るぞ…!

ぐっと拳を握る。視界の隅で、机上に積まれていた教科書とノートがバタバタと落ちていくのが、見えた。

あ。


「…あ?」


落ちた勉強道具は心操くんの机にあったもので、様々な科目の教科書やノートが十冊ほど、床に散らばっていた。その光景を見下ろしサッと青ざめる。教科書たちは横向きで机に寄りかかっていた彼の背後に積んであったはずで、間違ってもイスの方向になんて落ちるはずがなくて、「心操背中で押したんじゃね?」「あ?…まじかよ」当然、持ち主の心操くんを始め二人も突然起きた怪奇現象に訝しんでいた。……やって、しまった。頭が真っ白になる。


「ごっごめん…!わたし!」


咄嗟に声を張り上げた。とにかく謝らないとと思ったときには言葉が出てきていて、そのくせ彼らの顔は見れなかった。ぐるぐる回る脳内はロクな判断も下せない。わたしは真っ赤になった顔を隠すように、その場にしゃがみ込んだ。床に無造作に散らばった教科書に手を伸ばす。「?」「ごめん…!わたしの個性で、ごめん…!」心臓が気持ちの悪い脈を打つ。手も震えていた。やってしまった、個性のコントロール頑張ろうって思ったそばからこれだ、もう、ああ、せっかく仲良くなれそうだったのに、こんな迷惑なことして、台無しだよ、ばか、ばかばか。
ちゃんがやったんでしょ!」「ひどい、ぜんぶちゃんのせいだ!」脳裏には幼稚園や小学校で嫌な気持ちにさせた人たちの怒る姿がフラッシュバックしていた。真偽の定かじゃない責め苦もあった。でも今回は間違いなく、わたしのせいだ。だってわたし自身が見てた、心操くんの陰に隠れて、何の外力もなしに落ちていく教科書たちを。……嫌われる。軽い絶望に襲われながら、一冊二冊と、床に散らばるそれらを拾い集めていく。ふと、そばで気配が動いた。


「こんなんじゃ怒んねえよ」


心操くんがすぐ近くでしゃがんだのだ。ちょっとよろけたらぶつかりそうな位置で、彼はイスに乗ったままのノートを三冊まとめて掴んだ。思わず目を丸くしていた。心操くんのためらいない行動にもだけれど、わたしは何より、彼が本当に、まるで怒ってない様子に驚いたのだった。呆然として止まっている間にも心操くんは床の残りの教科書たちを適当に束ね、両手に持ったまま「ん」とわたしに軽く差し出した。それが「持て」って意味じゃなくて、「拾ったやつ上に乗せろ」って意味だってことはすぐにわかった。その通りに、数学と物理の教科書を上に乗せる。彼はその束をすぐに机に乗せ、何にもなかったように立ち上がった。わたしもしゃがみこむ理由がなくなって、おそるおそる立ち上がる。


「あ、あの、ごめ…」
「べつに謝るほどのことじゃないだろ。こんくらいのこと」
「つかの個性地味じゃね?」
「おまえこそデリカシーのなさを謝れよ…」


男の子が呆れたように溜め息をつく。さっきまでとまるで同じ空気の三人に呆気にとられてしまう。本当に、誰も気分を害してないみたいなのだ。普通だったらこんな迷惑な個性の発動する奴、嫌がるものじゃない、かな…。


「おまえ個性の制御できないんだ」


心操くんの指摘にびくっと肩が跳ねたけれど、やっぱり彼は責めるでも馬鹿にするでもなく、至って事実確認でしかないような言い方で、わたしは肩をすくめながらも、頷くことに恐れはなかった。この人たちは、みんないい人なんだ、心が広いなあ…。

それからはたと気付く。心操くん、わたしが意図的にやったって疑わなかったな。


「でもこういうのならまだ、制御効かなくてもどうにかなるな」


目を伏せてどこか自嘲気味に笑った心操くんを見て、わたしの脳内には、唐突にある疑問が浮かんでいた。

そういえば、まだ知らない。
心操くんたちの個性はどんなだろう。


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