、弁当?」


四限が終わってすぐ、隣の心操くんに声をかけられた。わたしは急いで勉強道具をしまってるところで周りに意識をちっとも向けてなかったものだから、反射的に顔を上げて一瞬固まってしてしまった。……あ、お昼のことか!ハッとして背筋を伸ばす。何を聞かれたんだろうと思った。お弁当なんて出してないのにって。同じように教科書を片付けながらの彼にぎこちない笑みを浮かべる。


「ちがうよー」
「じゃあコンビニ?」
「え、えと、食堂…」


肩をすくめて答えると、心操くんは少しだけ目を瞠ったようだった。な、なにか変なことを言ってしまっただろうか…?机の上の筆箱もそのままに手を止め、冷や汗をかきながら彼をうかがう。と、まるで図ったようなタイミングで、少し離れた席から朝お話した女の子と男の子がやってきた。


「心操食堂行こうぜー」
「おお」
は弁当?」
「こいつ食堂行ってるって」
「マジ?昨日も?」
「う、うん…」


おそるおそる頷くと女の子は腕組みをして首をひねった。その様子は紛れもなく何かを思案してるようで、わたしの緊張はやまない。何を言われるんだろう。おまえなんかが食堂なんて百年早いとかかな、どうしよう、隠せばよかった…。顔を青くしながら反応を待つ。女の子はしばらくそうしたあと、くるっと首を正常な位置に戻して、隣に立っていた男の子に顔を向けた。


「いたっけ?」
「さあ」
「まああんだけ広かったら気付かねえだろ」


あっさりまとめた心操くん。彼らのやりとりにポカンとしてしまう。「え、あの…」「いや、あたしらも昨日食堂行ったんだよ。ちらほら同クラの奴ら見かけたけどあんたは見てないなーと思って」あ、ああ…そういうことか。べつに悪い意味はなくて、昨日のお昼休みを思い出してただけかあ。思わずホッと胸をなでおろす。
それを言ったらわたしだって、心操くんたちを見かけてない。いや、もしかしたら視界に入る位置にいたのかもしれないけど、昨日のわたしは気分がだだ下がりだったし、教室でも周りを見る余裕なんてなかったし、何よりお昼は、勝己くんに会える貴重な時間だから、あんまり他に意識を向けてなかったと思う。
そこまで考えハッと時計に目をやる。四限が終わってからもう五分も経ってしまっていた。勝己くんが待ってるかもしれない!机の上の筆箱はそのままに、カバンからお財布を出して立ち上がる。


、ぼっち飯すんなら一緒に食おうよ」
「あ、ご、ごめん、…友達と、約束してるんだ…」
「あ、まじ」
「食堂で会うかもな」


ヒラヒラと手を振る女の子に、控えめに振り返して教室を出る。小走りで廊下を駆けながら、心臓はどきどきと高鳴っていた。床がふわふわしてるみたいだ。顔も火照って赤いままだと思う。

今、もしかして、お昼に誘われた…?





「ってことがあったんだよ…!」
「へー」


親子丼を前に力の入った説明をするも勝己くんの反応は芳しくなかった。食堂のテーブルを昨日と同じように挟んで座る彼は生姜焼きをおかずに白米をもりもりと頬張っている。そのそっけない反応に、わたしは箸を握って作った拳をそのままに、ぱちぱちと瞬きをしてしまう。…あ、あれー…思ってたのと、ちょっと、いや、結構違うぞ…。改めて様子をうかがうと勝己くんは機嫌が悪そうにも見えたから、先ほどの大興奮は呆気なくしぼんでいく。結局昨日の帰りは、クラスメイトに話しかけれたことを伝えそびれて、今日の朝もきっかけが掴めず言えなかったから、自分からクラスメイトと関わりを持てたってことを報告したのはこれが初めてなはずだ。それなのにこの反応は、もはや興味なしと言われたのと同じじゃないだろうか。


「あ、あの…勝己くん…」
「あ?」
「友達がいるくらいじゃ、しっかりした子とはいえない、かな…?」


よく考えたら中二のとき友達ができたことを報告したときもこんな反応をされた気がする。思い出しながらおそるおそる聞いてみると、鋭い勝己くんの目が丸く見開かれたのがわかった。それはまさに意外だと言ってるようで、彼がわたしの目標にまったく気付いてないことが察せた。確かに、誰にも、勝己くんにすら言ってないから当然だ。そう思うと言わないほうがよかった、かな。


「しっかりした奴になりてえの?」
「え、あ、…うん!」
「ふーん…」


次第に心臓がバクバクとうるさくなる。思い切って頷いたはいいけど、もしかしたら勝己くんに、わたしの気持ちが伝わってしまうんじゃないだろうか。勝己くんがしっかりした子のほうがいいって言ったから、馬鹿正直に、そうなりたいって思ってることが。勝己くんをすきだってことが。ああ誤魔化せばよかったかもしれない。瞬時に後悔が襲い俯いてテーブルの下で両手を握り込む。頬はかっかと熱い。勝己くん、どう思ったかな、


「じゃあまずは個性の制御だろ」


パッと顔を上げる。思いもかけない返答に目を丸くしてしまう。勝己くんは目を落として、生姜焼きへ箸を伸ばしていた。
よ、よかった、気付いてないみたい。途端にホッと肩の力が抜ける。何より、わたしがしっかりした子になれるように、勝己くんなりに真剣に考えてくれたのだ。嬉しくて破顔してしまう。「そうだね!頑張る!」元気よく返事をし、箸を持ち直して食べかけの親子丼にもう片方の手を添える。個性の制御、まったくなるほどだよ、勝己くんの言う通りだ。わたし未だに物とかぼとぼと落としちゃうもんね。にこにこしながら一口頬張る。あー、昨日のハンバーグもおいしかったけど、親子丼もおいしいなあ!もぐもぐと咀嚼しながら次の一口を準備するわたし。勝己くんは途端に上機嫌になったわたしを眺めていたみたいで、と思ったら、呆れたようにハッと笑った。


「つってもおまえは…」


勝己くんの言葉が終わる前に、食堂中にサイレンが鳴り響いた。


『セキュリティ3が突破されました 生徒の皆さんはすみやかに屋外へ避難して下さい』


続いてどこかのスピーカーから流れた放送に全体がどよめく。「3?」「まじ?」「校舎内のセキュリティじゃん」「急げ!」食べ終わった食器も食べ途中のご飯もそのままに、みんなが席を立ち一目散に駆け出す。その判断速度は迅速といえ、全体があっという間に大きな波となった。「誰か侵入してきたってことだよな?!」「非常口あっちだっけ?!」近くに座っていた生徒もなだれ込むようにテーブル間の通路を通っていく。そのせいで、未だ頭がついていかず座ったままのわたしは何人もの人にぶつかられる。場は騒然としている。狭い通路にも人だかりができてしまって迂闊に入ることもできなさそうだ。空席のイスは倒れたり、必要以上にテーブルの下に押し込められてバランスを崩していた。原因不明の異常事態に不安が募る。座ったまま流されないようテーブルにしがみつくので精一杯だった。


「な、なんだろ…」
「侵入者…?」


勝己くんの訝るような声に顔を向けたタイミングで、走る生徒に横から強くぶつかられた。「っ?!」四つ脚のイスが大きく傾く。倒れる、


「――……?」


反射的にぎゅっと目を瞑るも身体への衝撃は来なかった。代わりにダンッと大きな音と、倒れる方向と逆の腕をぐいっと引っ張られる。傾いたイスはその反動で元の位置へ戻った。声も出ず驚いて、パチッと目を開ける。


「轢かれんぞ」


なんと、勝己くんがわたしの腕を引っ張ってくれたのだ。大きな音は勝己くんが片足をテーブルについた音だった。「勝己くん…!」「動くな。じっとしとけ」身を乗り出して手を伸ばす勝己くんのおかげでわたしは倒れることなく、なんとかイスに座った状態をキープすることができた。勝己くんの言う通り、この状況で倒れでもしたらあっという間に人に轢かれていただろう。想像して血の気が引く。食堂内の混乱は収まる気配がない。それもそうだ、だって、セキュリティが突破されて、侵入者が、きたんだから。嫌な動悸が治まらない。


「でも、侵入者が…」
「上等じゃねえか。ぶっ殺してやんぜコラァ…!」


勝己くんはテーブルに堂々と立ち、非常口とは逆の、食堂の出入り口を見据え威嚇するように笑った。勝己くんは立ち向かうつもりなんだ、なんて勇敢なんだろう!一瞬恐怖を忘れそんな憧憬が湧き上がる。勝己くんがいれば大丈夫だ、その確たる信頼でこの上ない安堵を得れば少し落ち着くことができた。流されないようになるべく小さく縮こまりながら、生徒の流れを一瞥する。
すると遠くで 、一人の男の子がふわっと宙に浮いたのが見えた。


「…?」


彼は窓の上方で態勢を整えると、足についてる器官から勢いよく空気を発射した。「ヌオオ?!!」途端、バランスを崩し足の勢いに負け宙で縦回転をし始める。「あ?」足から響くエンジン音で勝己くんも振り返ったようだ。どちらかというと非常口寄りの席に座っていたわたしと勝己くんは、少し首を向ければ今生徒が我先にと出ようとしている非常口が見えた。そのため、勢いよく回転する男の子がその上部の壁へと横向きにぶつかったのもよく見えた。


「大丈ーー夫!!」


EXITと書かれた緑のランプに足を置き、天井に張られたパイプに捕まってその場で体勢を保つ彼は、それから大声を発したのだった。


「ただのマスコミです!なにもパニックになることはありません大丈ー夫!!」


彼の台詞に、思わずポカンと口を開けた。マスコミ…?「あ!ほんとだマスコミだ!」「マジかよ焦って損したわ」すぐに、窓の外を覗き込んだ人たちの声が聞こえる。彼の言ったことは間違いじゃないらしい。そして彼の一声のおかげで食堂内の混乱は見事に収まり、生徒はぞろぞろと自分の席や食堂の外へ戻っていくようだった。ホッと胸をなでおろす。本当に悪い侵入者じゃなくてよかった。「…チッ」一方勝己くんは舌打ちをして、ひょいとテーブルから降りたみたいだった。さっき引っ張ってくれた手の感触はまだ残ってる。その手首を握りながら、はああと大きく息をついた。あのときは一瞬、どうなるかと思った。勝己くんに助けてもらわなかったら今頃ぺしゃんこだったに違いないよ。思い出すと肩が震える。音を立てイスに座り直す勝己くんに顔を上げる。


「助けてくれてありがとう勝己くん〜…」
「…おう」


イスに座り直して頬杖をつき、不満げに口を尖らせ返事を返す。勇敢で好戦的な勝己くんだから、侵入者が敵じゃなくてただのマスコミだったことで肩透かしを食らったのかもしれない。思いながら、それでも何事もなくてよかったと安堵するわたしがいた。できることならわたしは、勝己くんには危ない目に遭ってほしくないのだ。もう目の前で勝己くんが苦しそうにしてるのは見たくないよ。彼も思い出したくないだろう、商店街での光景は、今だってまぶたの裏に焼き付いたままだ。
あの究極の場面で、自分が考えたことが恐ろしくて、でも恐ろしかったのは「勝己くんが死んじゃう」と思ってしまったことで、「勝己くんのまえに自分がいなくなりたい」と思ったことは、ちっとも血迷ってなんてないのだ。
そのためにだってわたしは勝己くんのそばにいたい。知らないところで勝己くんが危ない目に遭うなんて嫌だ。

わたしやっぱり勝己くんがいないとダメだなあ。じわりと涙が浮かぶ。ゴシゴシと袖で拭う間、それを見ていた勝己くんの口角がわずかに上がっていたことに、わたしが気付くことはなかった。


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