出久くんは周りで唯一の、無個性の男の子だ。それ以外、覚えている限り目立った特徴はなく、小さい頃はわたしたちと同じように勝己くんのあとについて行く子分の一人だったと思う。勝己くんや他の友達にデクと呼ばれ、バカにされる。もっぱら弱虫泣き虫と評される女のわたしとほとんど同じように扱われることに、出久くんがいい思いをしていないのは見ればすぐにわかった。だからわたしも無理にこちら側へ引っ張ろうとはしないで、水切りにしてもリフティングにしても、頑張って挑戦する彼を黙って見ているだけだった。できないことをすぐに諦めて、やってもらったり見るだけのわたしと違って、出久くんはなるたけ自分の力でクリアしようとしていたのだ。残念ながらそれが報われたことは、ほとんどなかったのだけれど。
 そんな出久くんの頑張りが究極の意味で報われないと決定づけられたのは四歳時、彼が個性の発現がない、いわゆる「無個性」との診断結果が出てからだった。周囲は漏れなく目に見える変化や能力が現れているにも関わらず、出久くんだけが唯一、その細かい網目から漏れた。周りの風当たりがはっきりと強くなったのはそこからだと思う。筆頭は勝己くんだ。わたしはその後ろで、様子をうかがっていた。


「同じクラスだった奴ほとんどいねーわ。カツキどう?」
「興味ねえ。邪魔だ退けモブ!」


 教室の入り口を塞ぐように立ち話をしていた男子二人組をどかせる勝己くん。あとに続くように入ったわたしたちは、黒板に貼ってあるA4のプリントで席順を確認しそれぞれ散らばっていく。五十音順で並ぶとわたしと勝己くんの席は近くみたいで、そんなところにもやったと内心喜びながら着席した。ちょうど斜め前に勝己くんがいる。なんて素晴らしいことだろう!あとから入ってきた出久くんはというと、キョロキョロ見回しながら前から二列目の席に着いていた。
 出久くんがいびられる対象である一方、同じ弱虫泣き虫のわたしが勝己くんの庇護下にいる理由はほんの数点の、けれど圧倒的な違いによるものだった。性別、個性の有無、そして勝己くんへの従順さ。そういうのがなければ、わたしも勝己くんにあっさり見放されていただろう。何せわたしも、何もできない人間なのだ。もし勝己くんに嫌われてしまったらと思うと本当に恐ろしい。人生の終わりを感じるよ。そんなもしもを考えては震え上がるわたしはただ、勝己くんのあとについて行くだけという素晴らしく幸福な生き方を続けているのだった。

 密かに親近感すら持っていたのに、気付くと出久くんはわたしとまるで違くなっていた。いつの間にか彼は、勝己くんに歯向かうようになっていたのだ。何度負けても懲りない。素直にすごいと思う。きっと出久くんには出久くんの正義があるんだろう。
 斜め前の後ろ姿を目に入れて、ゆっくり閉じる。

 わたしの正義は勝己くんだ。





 始業式後のホームルームはつつがなく終わり、お昼をまたがず放課後となった。今日はいわゆる短縮日課で授業がない。入学式が明日なので、会場設営の準備などで先生や運動部は大忙しなのだ。平常日課は明日からすぐに始まってしまうから、配られた時間割のプリントをなくさないようにしないとなあ。一年生のときは入学してしばらくしてから五時間授業が始まった気がするけれど、二年生じゃそんなゆっくりはさせてもらえないようだ。


「カツキ帰ろーぜ」
「あっわたしも!」
「ん」


 気持ち膨らんだスクールバッグを肩にかけて直帰しようとする勝己くんに、当然のようについて行く。一緒に帰る男の子は勝己くんの他にも二人いて、端から見れば早くもグループが出来ているように見えるかもしれない。実際このメンバーはそこそこ長い付き合いだ。内弁慶のわたしでも気兼ねなく話せる、勝己くんという中心人物によって繋がっている間柄だった。


「明日係決めだってな」
なんにする?」
「カツキと学級委員なっちゃえよ」
「えっ」


 混雑する放課後の廊下を、一人ズンズンと進んでいく勝己くんに続きわたしがついていく。二人はその後ろで、周りのことなんて関係ないとでもいうかのように並んで幅を取って歩いている。わたしは頭の中で去年の学級委員長がどんな仕事をしていたか思い出そうとしたけれど、たまにやるクラス会の司会進行や、困ったときの雑用にされていることしか浮かばなかった。小学校のときも思ったけど、案外暇なのかなあ、でも肩書きが重すぎるよ。勝己くん今年も立候補するのかな。勝己くんと一緒ならいいかも、でも足手まといになりそうだしなあ。

 何て返そうか考えていると、すぐそばの窓が突然、ガタッと揺れた。


「ひっ?!」


 反射的にビクッと大きく身を引く。近くを歩いていた同級生も一斉に注目する。依然ガタガタと揺れる窓ガラス。外は風なんて吹いていない。なのに明らかに不気味に揺れるそれは意思を持って、まるでフレームから飛び出したそうにすら見えた。無意識に、前を歩いていた勝己くんへ向き助けを求める。気付けば彼も立ち止まって、身体ごとわたしに向いていた。


「おまえんだろ」


 スラックスのポケットに両手を入れたまま、ポンと地面に放り投げられた言葉が、コロコロと転がってわたしの足に当たった。そんな感覚。それだけで、心は落ち着きを取り戻す。

 窓の揺れが収まる。信じたくない一心で見遣る。今や物言わぬ窓ガラスだ。周りの生徒も何事もなかったかのように階段へ流れて行く。みんな異常への対応が早い。それもそうだ、このご時世、超常現象なんて誰でも慣れっこだ。わたしだってそうなのに。


「……あはは…」


 居た堪れずに頭を掻く。情けなくて笑ってしまうよ。
 わたしは十年経っても、思うように個性を操れないのだ。


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