次の日には勝己くんの機嫌も直ったのか、昨日ほど明らかな苛立ちを表に出してはいなかった。わたしは同じように満員電車で揉みくちゃにされ、勝己くんに助けてもらって、斜め前を歩く彼のあとをひたすら追いかけるだけだ。勝己くんの口数は多くない。きっとわたしに余裕があれば、「昨日何かあったの?」って話を振ることもできたんだろうけど、残念ながら人の心配をするゆとりは、ないのだ。


「まだ誰とも話せてない…」


ついこぼしてしまう。背筋を丸める青い顔したわたしの正面には長テーブルを挟んで勝己くんが座っている。二人とも目の前にハンバーグ定食を供えていただきますのあいさつをしたばかりだ。ランチラッシュお手製の贅沢なお昼ご飯だというのに、わたしの気分は食堂に来た時点でも底辺を漂ったままだった。

平常日課の四限のチャイムが鳴るなり逃げるように教室を飛び出した。廊下の壁際で縮こまって待ってたら昨日の帰りみたいにすぐに勝己くんが一人で出てきてくれて、わたしは半ベソ状態で大混雑の廊下を勝己くんのあとについていく。朝のうちにご飯一緒に食べたいってお願いしてたのを、勝己くんはちゃんと守ってくれたのだ。勝己くんがお弁当を持ってきてたらわたしも売店で何か買ってこようと思ってたけど、食堂に行くつもりだったのは丁度よかった。
食堂に向かう流れは一年生の階でもできていて、勝己くんの斜め後ろを歩きながらそれに乗る。「いじめられたんか」俯くわたしに勝己くんが目線だけを向けて気にかけてくれたけど、それは違うと首を振るだけだった。気が緩むと泣いてしまいそうで、でも高校生にもなって人前で泣きたくはなかった。
なんとか落ち着いた頃には食堂で注文を済ませ席に着けていた。とはいえ、落ち着いても気分はどんよりしたままで、そんな泣き言をこぼす始末だったけれど。

そもそも教室で声出したの、自己紹介でみんなの前でしゃべったのだけだ。それすら当たり障りない定型文みたいなもので、多分五秒もしゃべってない。人前で話すのが苦手だから上がってしまって顔は真っ赤だっただろうし、声もどもり気味で震えてた。他の人が面白おかしく印象に残りそうな自己紹介をしてるときにも、わたしは緊張しきりでほとんど聞いてられなかったのだ。


「係決めとかもしたんだよ…!周りの子たちはどんどん友達つくってるしどうしよう〜…」


授業中はともかく、休み時間はもうあちこちで話し声が聞こえてくる。男子も女子も関係なしに仲良しのグループはいくつかできていて、それでいて全体の調和もとれてるように感じた。もちろんその輪に入れないのが、わたしなのだけど。


「んなモン適当に話しかけりゃいいだろ」
「そ、そうなんだけど、」


勝己くんが呆れてて肩身が狭い。きっと、カリスマな君は知らないのだろう。昔から特別自分から話しかけなくても人が集まってくる勝己くんと違って、何かアクションを起こさないと話しかけてもらえない、根暗な人間の苦悩を。何せこうして勝己くんといることができてるのも、勝己くんと幼なじみなのが大前提で、一生そばについてこうと決めたのは幼稚園のとき勝己くんがわたしを助けてくれたのがきっかけだ。もしそれらがなかったら、……考えるのもゾッとする。わたし、今ごろどうやって生き延びてたんだろう…。「ん。うめェ」


、食ってみろ。うめェぞ」
「あっ、うん、」


勝己くんに促され定食のハンバーグに箸をつける。一口サイズに切って口に入れた瞬間、んっ!と喉が震えた。おいしい!ソースがおいしいしお肉の柔らかさが絶妙だ。これがあのお値段ってすごくお得なんじゃないだろうか。おいしいね、と言うと満足そうに頬を緩めていた勝己くんがニッと片方の口角を上げて笑った。それにつられてゆるゆる笑う。ご飯がおいしいのもあるけど、高校も変わらず勝己くんと向き合ってご飯を食べられることがこの上ない幸せに思えたのだ。





お昼休みが終わる十分前、一年生の階の廊下を歩きながら、斜め前の勝己くんが口を開いた。


「一人が嫌ならどうにかするしかねえだろ」


おいしいご飯と勝己くんの存在にふわふわといい気分になってたわたしだったけれど、食堂を出る頃には自分のクラスに戻ることを思い出して憂鬱な気分に逆戻りしていた。また一人ぼっちだ、嫌だなあ…。勝己くんに置いてかれないように、でも重い足取りで歩いてたのを、勝己くんは見かねたみたいだ。
勝己くんの助言に、わたしは一瞬、あれ?と思ってしまった。それから、ちょっと目を泳がせて、ああ、と思う。話しかけないと、「うん」そうなんだよ、わかってる、よ。でもなんだか今、変な気持ちになってしまった。


「あ、あの、勝己くん!」
「あ?」


違和感を振り払うように声をあげる。C組の教室を通り過ぎ、自分のクラスに歩いて行こうとした勝己くんを呼び止めた。振り返った彼に、スカートをぎゅうと握る。


「…帰り、一緒に帰ろ!」
「ん」


即答してくれた勝己くんにホッと息を吐く。中学では朝もお昼ご飯も帰りも、なあなあで勝己くんのあとについて行ってたから、こういうちゃんとした約束をするのはまだ慣れない。でも今はもう、約束しないと一緒にいられないものね。いられないのは絶対に嫌だから、わたしはそのためなら勇気でも何でも振り絞れるよ。

勝己くんも、優しくしてくれて、ありがとう。

「じゃあな」歩き出した勝己くんの背中を立ち止まったまま見送る。「うん…」このさみしさにも早く慣れないといけないんだ。くちびるを噛む。


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