勝己くんの言う通り一人はやだし、勝己くんがいないときくらいちゃんとしなきゃ、しっかりした子とは到底言えやしないよ。そうだ、わたしの目標なんて、これでもかってくらいはっきりしてるじゃないか。このクラスで、一人の力で、友達を作るんだ!落ちてた気分をむりやり上げ、太ももの上で拳をぎゅっと作る。

……よし、まずは、話しかけよう!友達になるにはまず話さないと、ダメだよね!

ふと、中二の頃頑張った記憶が蘇る。きっかけは、校外学習の班に入ってって女の子にお願いしたことだ。声をかけるとき、ぐるぐる考えすぎて死にそうだった。今もちょっと、そんな感じだ。思い出すと心臓が変な脈を打ち出す。地に足が付いてないみたいにふらふらするのだ。あの子は優しい子だったなあ…でもあの子も結局、友達って言えるくらい話せるようになったのは班活動を通してだから、自力とはいえないと思う。他のクラスメイトもその子を通して和を広げられたし、でも勝己くんが雄英行きたいって知ってからは必要以上に誰かとしゃべることはしなかったから、突然のように関係は途切れた。

友達を作るって大変なことだと、あの頃身にしみていた。そして勝己くんの存在が、いかにありがたいかも。ずっとそばに置いといてくれる勝己くん。彼が少しでも多くわたしを見て笑ってくれるように、そう、わたしは、しっかりした子になるんだ!
壁掛け時計を見上げて確認する。五限まであと五分ある。ま、まずはやっぱり隣の席の人だよね、昨日は失敗したけど今日こそ、話し掛けよう。ロックオンした紫色の髪の男の子はもう席に着いていて、誰とも話してない。タイミングはばっちり、のはず。よし、よし…!俯きながら、自己紹介のときみたく顔は真っ赤で、心臓もバクバクいってる。でも、いける、話しかけるぞ!

ガバッと顔を上げる。昨日みたいに視線に気付いたその人が横目でこっちを見る。今度こそ目が合った。カッと頭が真っ白になる。


「どっ、どこ中っ?!」


とっさに出た質問だった。何て話しかけようか考えてなかったのだ。思いついたのが勝己くんが教えてくれたコミュニケーション方法だった。
口にしてからサアッと青ざめる。……でも、確かこれは、ナメられないようにってアドバイスだったから、間違えたかも……。男の子もポカンとしてるよ…。


「……個性とか聞くもんじゃねえの?普通」
「え、あ、ご、……」
「いいけど。名部中。って聞いてどうすんだよ。知り合いでもいんの」
「あの、その、えっと…」
「……」
「何となく、で…」


ろくな言葉も浮かばず、そんな情けない切り返ししかできない。知らない人としゃべったのが久しぶりすぎた。情けない、みっともない、恥ずかしい。嫌われる、かも…。「あっそ」そっけない声に指が震える。俯いて、泣きそうだった。全然だめだ、やっぱり一人じゃ友達なんて、できっこないんだ。


「ご、ごめんなさ…」
「べつに。じゃあおまえは?」


(あ、)顔を上げる。わたしを見遣る彼の表情に嫌悪の感情は現れてなかった。怒って、ない。何より、質問を返してくれたのだ。すうっと息を吸い込む。


「折寺中!」


安堵の勢いで大きな声を出してしまった。案の定彼は一瞬呆気にとられて、それから、ハッと片方の口角を上げて笑った。


「知らねえわ」


言葉ほど冷たくない彼、心操くんの表情に、第一印象はほとんど吹き飛んでいた。目つきあんまりよくないし怖いイメージあったけど、いい人だ心操くん!

心の中で両手を合わせる。勝己くんありがとう、中学聞いてよかったよー…!





受かってから知ったのだけど、雄英高校のヒーロー科は七限まであるらしい。他の学科は六限までなので、勝己くんと一緒に帰るためには一限分待つ必要があった。もちろんその対策はばっちりで、わたしはスクールバッグに忍ばせた文庫本を読むことで放課後をのんびり謳歌していた。
物語の世界に没頭するとあっという間に一時間は過ぎ、七限の終了を告げる鐘が校舎内に響く。栞を挟んで持ったまま廊下を覗いてみるも、A組とB組の教室からは物音一つ聞こえて来なかった。まだ終わってないんだろう。外で体育をやってるのかもしれない。思い、一人の教室に戻り読書を再開した。

廊下が賑やかになった頃もう一度覗くと、制服を着た知らない人たちがぞろぞろと戻ってきていた。A組の教室に入ってくところを見ると勝己くんのクラスメイトみたいだ。「なあさっきの反省会しようぜ!」男の子の快活な声が聞こえて、まだかかりそうだと察する。そのうち勝己くんも戻ってきて、一応帰る準備はしとこうと荷物を片付けた。
本や携帯をカバンにしまいながら、このあとのことを想像する。わたしが一人でクラスメイトに話しかけれたって言ったら、勝己くんどんな反応するかなあ。喜んでくれるかな、すげえなって褒めてくれるかな。想像するだけでわくわくする。一人なのをいいことに、我慢せず頬をにやけさせてしまう。早く言いたいなあ、聞いてほしいなあ。

教室から漏れてくるわいわいと盛り上がる声と、B組が戻ってきたのか明瞭な声たちが混ざって放課後の空気が漂う。そろそろどうだろうと思い、B組の生徒が教室に入っていったのを確認してから廊下を覗き込んだ。


「あれ?!デクくん怪我!治してもらえなかったの?!」


見えたのは予想外にも、A組の入り口に立つ出久くんだけだった。緑色のジャンプスーツはボロボロで、彼自身も腕に包帯やギプスをして傷だらけだ。その様子も気になりつつ、出久くんがA組ということを初めて知ったわたしは複雑な心境に陥る。…勝己くんと一緒なんだ…いい、なあ…。うらやましがらずにはいられない。それに、勝己くんはどう思ってるんだろう。快く思ってないのが想像できてしまい、ぐうと唸る。もしかしたら昨日の帰りに機嫌が悪かったのは、出久くんが同じクラスだったからなのかもしれない。

それにしたってあの質問の意図は、わからないけれど。

カバンを持ち教室を出る。なんとなく見つからないように忍び足でA組に近づいていく。昇降口に行くにはA組の奥の階段を使わないといけなかった。


「あ、いやこれは僕の体力のアレで…あの麗日さん…それより、かっちゃんは…」
「ああ…」


出久くんを心配する女の子の声がポツリと響いた。「皆止めたんだけど、さっき黙って帰っちゃったよ」……え?

気づくと立ち止まっていた。勝己くんが、もういない?そんなわけない、勝己くんはわたしと一緒に帰ってくれるって言った。勝己くんが約束破るわけない。思うけど知らない女の子の声に嘘が含まれてないのをなんとなく察してしまう。どういう、こと、だ。呆然とするわたしに気付かないまま、出久くんはすぐさま踵を返した。それにハッとして、慌てて彼のあとを追った。




「かっちゃん!!」


勝己くんは校舎を出てすぐのところを歩いていた。本当に、一人で帰っちゃうんだ。いざ現実を突きつけられるとショックだったり悲しかったりでどうしたらいいかわからず、わたしは出久くんが彼を呼び止めたタイミングでそばの柱の陰に隠れた。だって勝己くんに、どんな顔して駆け寄ったらいいんだ。


「ああ?」


振り返った勝己くんは昨日よりも機嫌が悪そうだった。やっぱり原因は出久くんなんだ。だとしたら出久くんはわざわざ勝己くんを呼び止めて、何を言うつもりなんだろう。息を潜めて二人の様子をうかがう。俯く出久くんは逡巡したのち、勝己くんとは目を合わせないまま声を絞り出した。


「人から授かった個性なんだ」


出久くんはそう、突然へんてこなことを言い出した。それからする彼の話は予想外で奇想天外で、わたしにはよくわからない。「全然モノに出来てない状態の借り物で……!」俯いたままとんちんかんなことを述べ続ける彼の声を耳に勝己くんを見遣ってみる。予想通り眉間にシワを寄せて苛立ってるみたいだ。出久くんは何が言いたいんだろう、個性も何も、出久くんは個性がない無個性の男の子なのに。まるで個性を持ってる人みたいだ。


「いつかちゃんと自分のモノにして、僕の力で君を超えるよ」


「……」……でも、こんな出久くんを見たのは初めてだ。泣き虫の出久くんは今まで勝己くんにいじめられてたし、勝己くんが強く言うことはあっても反対はなかった。そういえば去年も、勝己くんが出久くんを追いかけるっていう、珍しいことがあった。あのときも、わたしは陰に隠れて見ているだけだった。


「何だそりゃ…?借りモノ…?わけわかんねえこと言って…これ以上コケにしてどうするつもりだ……なあ?!」


フラリと身体をこちらに向けた勝己くんの声が震えていた。怒っている、でもそれだけじゃないのが、わかってしまった。


「だからなんだ?!今日…俺はてめェに負けた!!そんだけだろが!そんだけ……!」


息が詰まる。勝己くんの苦しそうな表情が見える。何かが伝染したみたいに息苦しい。勝己くんが出久くんに負けた、そんな信じがたいことを反射的に飲み込めてしまうくらい、勝己くんのまとう空気が痛く刺さった。
氷の奴を見て敵わないんじゃないかと思ってしまった、ポニーテールの奴の言うことに納得してしまった。勝己くんの言葉は暗闇をもがくようだ。固まって動けないわたしはそれを目の当たりにするだけで、果たして何もできやしないのだ。


「クソが!!クッソ!!なあ!!てめェもだ…!デク!!」


震える怒号が空気を振動させる。勝己くんの崇高な涙が光る。


「こっからだ!!俺は…!こっから…!いいか?!俺はここで……一番になってやる!!」


勝己くんの決意が、ここに見えた。

「俺に勝つなんて二度とねえからな!!クソが!!」背を向けて歩き出した勝己くんを、わたしはたまらず柱から飛び出して追いかけた。「えっ?!」出久くんの横を通り過ぎたときは驚かれたけれど、もちろん振り返ることはしない。久しぶりの全力疾走は勝己くんにすぐ追いつく、と思ったら、「…少年!!」後ろから追い越されてしまった。なんとオールマイトに。
間違いなく勝己くんに用があったのだろう、オールマイトは後ろから勝己くんの肩を掴んで何かを話してるみたいだった。先生になったことは知ってたけど、いざ目にしたのはこれが初めてだ。「君は間違いなくプロになれる能力を持っている!君はまだまだこれから…」「放してくれよオールマイト。歩けねえ」ナンバーワンヒーローの励ましを勝己くんは振り向く前に遮る。


「言われなくても!!俺はあんたをも超えるヒーローになる!」


擦った目だけをオールマイトに向け強く宣言した勝己くん。(ああ、ああ、)駆け足で走りながら、視界がぼやけていくのを感じていた。こういうの、何て言うんだろう。わたしはこの数分間、言葉で言い表せない尊い時間を、味わっていたんだと思う。

わたしに気が付いた勝己くんが少し目を見開く。まだ赤い目だ。それから眉に力をこめて、ふてくされてるみたいな、バツの悪そうな表情になる。くるっと背を向け歩き出した勝己くんは、けれどわたしを拒絶してるわけじゃないとわかったから、オールマイトの横を通り抜け駆け寄った。横目でわたしを見てから、正面に向き直る。そのあとも勝己くんは何も言わず、わたしも黙ったまま、二人で無言の帰り道を歩いて行った。


勝己くん、ちょっと思ったんだよ。ヒーロー科が七限まであるなら、わたし雄英じゃなくても勝己くんと登下校一緒にできたなあって。わたしの学校が終わったら雄英に向かって勝己くんを待つことできたよね。そしたら中三のつらい受験勉強も、もっと楽できたんだろうなって。
でも楽しなくてよかった。頑張ってよかったよ。勝己くんと同じ電車に乗って、同じご飯食べて、勝己くんを追いかけられるのは、同じ学校じゃないとできないよね。わたしが一人で頑張ろうと思えるのは近くに勝己くんがいるからで、勝己くんが見てると思ったらしっかりした子になろうって勇気が湧いてくる。わたしは死ぬまで、勝己くんに生かされるのだ。

じわりと滲んだ涙をワイシャツの袖口で拭う。帰りの駅のホームもそれなりに人は多いけれど朝ほどじゃない。列には並ばず、壁に寄りかかるように佇む。次の電車はあと三分で来る。これに乗ったら家の最寄駅だ。俯いたまま、目に押し付けた生地に染み込んでいくのを感じる。ずずっと鼻をすする。


「……置いてったのは悪かったよ」


ようやく聞こえた勝己くんの声に安心する。気にしてくれてたんだ、勝己くんにも事情があったんだから、それは全然、いいんだよ。思いながらふるふると首を横に振る。ゆっくりと顔を上げると、緑の掲示板に寄りかかる勝己くんは横目でわたしを見たあと、小さく息を吐いた。


「じゃあなんで泣いてんだよ」
「…わかんないー…」


頬にはポロポロと涙が伝う感覚がしていた。湿った袖口で拭き取るも次から次へと流れるからあまり効果がない。今自分が果たして、悲しいから泣いてるのか、嬉しいから泣いてるのか、判別がつかなかった。ただ、何ものかの感慨が胸を占めていて、ともすればはち切れそうで、でもすべて身体に吸収できそうな、幸福な感覚が、確かにあった。


、ちゃんと見てろよ」
「え…?」


勝己くんは背を離しわたしと向き合うように立っていた。ツンとした鼻をまたすすって、彼を見る。表情は決して朗かじゃなかったけれど、真摯に前を見据えるその眼差しは、勝己くんを構成する大事な部分で間違いなかった。


「俺がここで一番になっとこ、見てろ」


(わたしが一人で頑張ろうと思えるのは近くに勝己くんがいるからで、)すうっと息を吸う。もし勝己くんにとってわたしが、頑張ろうと思える理由になれたら、それはどんなに幸せなことだろうと思う。


「うん、ずっと応援する…」


鼻声での返事になってしまったけれど、勝己くんは満足そうにくしゃっと笑ってくれた。それにつられてわたしも、ぐしゃぐしゃの顔のまま笑う。ホームに、電車の到着を知らせるアナウンスが流れた。


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