雨も上がり綺麗な夕焼けが空を染める五時過ぎ。野次馬やテレビ局のマスコミがようやく散り散りに去っていく中、わたしは勝己くんが警察の事情聴取から解放されるのを待っていた。一緒にいた男の子たちも居心地悪そうにアスファルトにしゃがみ込んで、やっぱカツキすげーわと呟くように勝己くんを賞賛していた。わたしは二人の会話が聞こえないふりをして、勝己くんと彼の前に膝をついて話を聞く警察官の男の人を見ていた。
 それが終わるなり立ち上がった勝己くんの元へ駆け寄る。「勝己くん、」


「先帰ってろ」


 勝己くんは低い声でわたしたちに言うと、スクールバッグを肩に掛けて一人どこかへ走って行ってしまった。呆気にとられるわたしたち。目も合わなかった。どうしたんだろう。それに、あんな大変な目に遭ったあとで急いで行かなきゃいけないところなんて、あるの。「……わたしも!」拍子抜けしたと言わんばかりの男の子たちにまた明日とだけ伝え、勝己くんを追いかけた。ほとんど考えずの行動だったけれど、さっきの今で勝己くんを一人にはしたくなかった。





「デク!」


 走る勝己くんが叫んだ名前に驚く。全力疾走してるにもかかわらずどんどん開いていく距離に見失ったらどうしようとの不安に襲われたけれど、勝己くんが先に止まってくれたので杞憂に終わった。バクバクと動悸する心臓に手を当てながら、肩で息をする。信じがたいものを見る目を向けてしまう。
 なんと勝己くんは出久くんを追いかけていたのだ。こんなことが今までにあっただろうか。逆は何度も見たことがあるけれど、勝己くんが出久くんに、こんな、こだわるみたいに呼び止めるなんて、少なくともわたしは初めて見た。
 よく考えたら、走ってきた道は家への帰り道だ。いつも商店街から帰る方向と違うから気が付かなかった。きっと出久くんも帰ろうとしていたのだろう、まさか勝己くんに呼び止められるなんて思ってなかったようで、びっくりして振り返っていた。住宅街の道の真ん中、固く拳を握り締め震える勝己くんの後ろ姿を、わたしは電柱の陰から見ていた。


「俺は…!てめェに救けを求めてなんかねえぞ……!救けられてもねえ!!あ?!なあ?!一人でやれたんだ…!
 無個性の出来損ないが見下すんじゃねえぞ……恩売ろうってか?!見下すなよ俺を!!」


「クソナードが!!」一方的にまくし立て、勝己くんは踵を返す。いきなりこっちを向いたのでビクッとしてしまう。勝己くんもしかめた顔のままわたしを見つけて目を見開いていた。走っている最中、勝己くんは一度も振り返らなかった。だからわたしに気付いていなかったんだ。ポケットに両手を入れたまま、こちらに歩いてくる勝己くん。バツが悪くて目を逸らしてしまう。


「帰んぞ」


 すれ違いざま、呟くように言われた言葉に心底ホッとした。うん、と静かに返しついて行く。いつもの帰り道に出るんだろう。勝己くんの後ろ姿はまだ虫の居所が悪いことを語っていた。さっき出久くんへ吐き捨てた言葉から、救けに入った彼へ苛立っているんだとわかった。

 でも勝己くん、わたしは出久くんがうらやましいと思うよ。わたしは何にもできなかった。座り込むだけで勝己くんの何の役にも立てなかった。それどころか、最初敵に捕まれた勝己くんは、わたしを遠ざけようと押し飛ばしたんだよね。庇ったんだ。あの一瞬を、勝己くんが、自分が敵から逃れるために使っていたら、君は今ぼろぼろになっていなかったかもしれないよね。勝己くんがあんな目に遭ったの、わたしのせいだ。


「勝己くん、怪我とか大丈夫…?」


 案じた問いかけに、勝己くんの足がピタリと止まる。一歩後ろを歩いていたわたしも、ならって隣で立ち止まる。前髪で影になっていた目元が見える。ギロッとわたしを睨みつけていた。


「てめェまで見下すんじゃねえぞ……」
「え、」


 思わぬ返答に硬直する。怒気の含んだ声と表情は、今、間違いなくわたしに向けられていた。それを理解する思考回路が鈍い。ついていけない。呆然としたまま、制服の胸ぐらを掴まれ、引き寄せられてやっと、勝己くんがわたしに怒っているのだと、気付いた。すっと背筋が冷える。


「そんなこと、」
「一丁前にそんな目で俺を見んな!格下が!」


 まともな否定もさせてもらえず、挙げ句の果てにぐさりと鉄の槍を刺される。その痛みの正体が、格下という形容表現をされたことだと気付くのは早かった。間違ったことじゃないはずなのに痛かった。わたしは何を勝手に傷ついているんだろう。勝己くんは、いま何を考えているんだろう。「か、つきくん、」震える声を絞り出す。けれど彼は聞こうともせず、ぎりっと制服を掴み上げる手に力を入れるだけだった。


「てめェは俺の……!」


 言葉は最後まで紡がれなかった。勝己くんは苦しそうに顔を歪めたあと、あっさり力を抜いて手を離した。どっどっと気持ち悪く心臓が脈打つ。真っ青な顔のわたしに目もくれず、勝己くんは踵を返してしまった。


 わたしを置いて行ってしまう。


 その後ろ姿を、呆然と見送るだけだった。追いかけることが、できなかった。


「……かつきくん…」


 勝己くんに話を聞いてもらえなかったのはこれが初めてだ。どうして、なんで。わけがわからなくて、でも圧倒的なさみしさだけは確かで、わたしはポロポロと涙をこぼした。


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