「あー確か爆豪は……「雄英高」志望だったな」


 先生の言葉に騒つく教室。わたしはクラスメイトの陰に隠れるように、渦中の人物である勝己くんを覗いた。

 中学三年の四月、最終学年という感慨にふける間もなく早々に行われた席替えでは、目立つようで目立たない一番前の隅っこを引き当てていた。クラス替えはなく担任も変わらないことに安心していたのに、窓から二列目、前から三列目の勝己くんと思いっきり離れてしまい落ち込んでいた矢先の、ホームルームでの進路志望の話題だった。
「あのオールマイトをも超えて俺はトップヒーローと成り!必ずや高額納税者ランキングに名を刻むのだ!!」机の上に立ち堂々と宣言する彼を、誇らしいようなさみしいような複雑な心持ちで見ていた。ここからでは半身になれば彼の姿を目に入れることができた。「あ」先生が声を漏らす。


「そいやあ緑谷も雄英志望だったな」


 しんと静まり返った一同が、今度はバッと出久くんを見る。もちろんわたしもだ。みんなが爆笑し、各所から無理だ無謀だとの嘲りが飛び交う。そんな光景を、わたしは呆然と見つめていた。……出久くん、も?

 出久くんが日本で一番難しい雄英高校のヒーロー科を志望しているという。周りの人たちが馬鹿にする気持ちもわかる。だって出久くんは無個性だ。ヒーロー科の試験にはどこの高校も個性を使った実技があるから、何も持っていない出久くんはどうあがいたって合格することは不可能なのだ。だから、クラスの雰囲気もわかる。でも、そういう、理屈じゃなく、ただ、駄目だと思った。
 だってそれは勝己くんの将来設計と相容れない。出久くんがもし万が一雄英に合格してしまったら、困る。ざわざわと心臓が急き立てる。わたしは何か、犯罪現場でも目の当たりにした気分になって、落ち着かなかった。「こらデク!!」案の定怒った勝己くんが詰め寄り出久くんを教室の後ろへ追いやるのを、席も立たず黙って見ているだけだった。





 一日の授業はそれから特に問題はなく、あっという間に帰りのホームルームまで終わった。席の前をぞろぞろと通り帰っていく人たちの顔もろくに見ず、一目散に勝己くんの席へ向かう。クラスメイトは去年と同じ顔ぶれだったけれど、きっとこんな調子で卒業するんだろうとうっすら思った。逆に今から新しいコミュニティに入れるほうがすごいよ、わたしは無理だ。必要性も感じない。と完全に逃げ腰態勢だ。


「話まだ済んでねーぞデク」


 勝己くんの姿を探すと、彼は斜め後ろの席、出久くんの前に立ちはだかっていた。一緒に帰るメンバーも集まっている。


「カツキ何ソレ?」
「「将来の為の…」マジか?!く〜緑谷〜〜!」
「いっいいだろ!返してよ!」


 どうやら出久くんが昔から書いているノートを勝己くんが取り上げたらしい。最近のは知らないけど、昔はときどき見せてもらっていた。いろんなヒーローのことをメモしてある、彼の超大作だ。今何冊目なんだろう。
 返却を請う出久くんの声もむなしく両手で勢いよく挟み爆破の餌食にした勝己くん。この二人の力関係も昔から変わってない。もちろんそれはわたしにも言えるのだけれど。勝己くんは黒焦げになったノートを、後ろ手で開けっ放しの窓からひょいと放り投げた。「一線級のトップヒーローは大抵学生時から逸話を残してる」そう、勝己くんは前にわたしに話してくれた自身の野望を述べてから、ポンと出久くんの肩に手を置いた。


「つーわけで一応さ、雄英受けるなナードくん」


 にっこりと凄みを利かせる勝己くんの表情は、去年のクラス替え発表時の彼らを思い起こさせた。顔面蒼白の出久くんは何か言いたげで、でも何も返せない。わたしも何も言わず、震える出久くんを置いて教室を出て行く勝己くんたちについて行く。「あ。そんなにヒーローに就きてんなら効率良い方法あるぜ」最後にもうひと煽りした勝己くんにも、出久くんは完敗を喫したようだった。一人の教室で悔しさをにじませる彼を、一度だけ振り返って、それから勝己くんたちを追いかけた。地に足がついていないような感覚だった。

 出久くんが雄英を目指していたなんて知らなかった。彼とは今じゃ滅多に話さないし、出久くんもわたしに話しかけようとはしてなかったと思う。溝はいつの間にかできていたのだ。ヒーローになりたいって夢なら、小さい頃から勝己くんたちと話していたから、その頃から馬鹿にされてはいたけど、知っていた。でもよりによって雄英なんて。

 勝己くんと一緒なんて。


「……」


 校門を出たところで立ち止まる。「?」後ろを歩いていた男の子たちの声で前を歩く勝己くんも足を止めて振り返った。さっきのことが尾を引いているのか、やや不機嫌そうな表情だった。


「……わたし忘れ物しちゃった!先行ってて!」
「マジかー。いってら」
「……」


 勝己くんは鋭い目つきでわたしを睨んでいたけれど、「早くしろよ」言及することなく進行方向へ向き直った。それをいいことに、わたしもうんと頷いて踵を返す。……嘘ってバレたのかな。悪いことをした気がして後ろめたかったけれど、でもやっぱり、いてもたってもいられなかったのだ。

 駆け足で校舎に戻ると、建物の陰になっている暗い場所に出久くんの後ろ姿が見えた。方向転換し、日陰に踏み入る。


「出久くん」


 バッと振り返った彼の手にはさっき燃やされたノートがあった。水が滴って、アスファルトに水滴を作っている。彼の後ろに小さな人工池が見えるから、運悪くそこに落ちたんだろう。目が合ったわたしたちは、咄嗟に逸らした、と思う。二人とも、二人で話すことに慣れてないのだ。誕生日も年賀状もバレンタインもホワイトデーもずっとやってるのに、ちゃんと会話するとなると二人して尻込みするのだ。
 出久くんとは勝己くんと同じ頃から一緒に遊んでいたけれど、今となっては二人で話す間柄じゃなくなっていた。出久くんは勝己くんにいびられないように近寄らないようにしていたし、わたしは勝己くんに近寄っていたから自然とこうなった。そう、なんでも、勝己くんがいないと。結局のところわたしは勝己くんを通してじゃないとまともに世間と繋がれていなかった。眉をハの字に下げ、ぐうとくちびるを噛む。でも言わないと、わたし何のためにこんなに苦しんだのかわかんないよ。

 決心して顔を上げる。出久くんは同じように俯いていて、濡れたノートを大事に握りしめていた、ものだから。


「いずくくん、」
「な、なに…?」


 ああやっぱり、罪悪感。


「……勝己くんの、じゃま、しないで…」


 血の気が引いていくのがわかる。自分のだ。指先が冷たい。気持ち悪くなってきた。わたしは本心を言っているはずなのに、全然楽じゃなくて、とても苦しい。出久くんのひどく傷ついた顔が目に焼きつくようだった。そりゃそうだ、自分が言われたら絶対に傷つく。それでも口はごめん嘘だよと言おうとしない。かろうじて吸った息でひゅっと喉が鳴る。

 わたしは勝己くんを応援しようと決めた。勝己くんが目指すヒーローになれるように応援するのだ。そのためには、出久くんに諦めてもらわないと困る。勝己くんは一人で雄英に行きたいんだから。じゃなかったら、勝己くんがずっと怒ったままだ。気に入らないままだ。


「出久くん、」
「……ごめん…」


 彼もよっぽど苦しそうに、吐き出した返事はノーだった。わざわざ一人で引き返してまでこんなことを、部外者の自分が強要していることに罪悪感と嫌悪感が責めたてる。ごめんなさい、誰に褒められたことじゃないってわかってる。じゃあどうしてこんなことをしているのか。
 落としていた視線をわたしに向ける出久くん。やっぱり彼も眉をハの字にして、けれどなぜかわたしを労わるような、案じるような表情をしていた。


「……ちゃんは、雄英受けないの?」


 ああもしかして、出久くんは気付いているのかも。本当の本当の本心は、ちょっと違うところにあるって。


(ずるい。君がうらやましい)


 よく見てる。痛いとこつく人だ。


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