一、

秋のよく晴れた日のことだった。

朝干した洗濯物をすべて取り込み、山盛りのカゴを両手で持ちせっせと運ぶ。一番近くの縁側にそれを置き休む間もなくすぐさま畳む作業に移る、その前に、と袂をくくったたすきをほどいた。取り込むだけだからと適当に縛ったそれは袖が変に捲り上げられてしまっていたのだ。その違和感からようやく解放され、よし、と気合を入れ直しカゴから手ぬぐいを一枚取り出す。

日差しは暖かく降り注ぎ、わたしは眠気との格闘を繰り広げた末ようやく全部を畳み終えることができた。ぴっしり畳まれたそれらは成長の証だろう。ふああ、と大きなあくびをしてしまうのも許してほしい。
持っていく部屋ごとに分け、目的地へ運ぼうと廊下を歩く。今日はどうしてだか夕食の準備にいつもより多くの人数を割いているらしいのでこの時間でも歩く使用人の姿を見かけることはほとんどなかった。こういうことはよくあることなので特別聞いたりはしなかったけれど、今日は誰かお客さんでも来るのだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら歩いていると、玄関の前を通った丁度そのとき、入り口の戸が開いたのに気が付いた。反射的に顔を向ける。戸の向こうにいた人物を目で捉えた瞬間わたしの足はピタリと止まり、意識するでもなく顔がほころんだ。それに呼応して名前を呼ぶ声も高くなる。


「さつきちゃん、おかえりなさい!」


戸を開けた彼女は桃色の髪の毛を揺らし、首を傾げて「ただいま」にこりと笑った。そうか、もうそんな時間だったのか。まどろみながら洗濯物を畳んでいたから気が付かなかったけれど、いつの間にか彼女が学校から帰ってくる時間になっていたようだ。さつきちゃんとお話するのを毎日の楽しみにしているわたしはやるべきことも忘れその場で立ち止まったまま、彼女が屋内に上がるのを待った。しかし彼女は顔を横に向けると、「どうぞ」いつもは必要以上に開けない戸を全開まで開けたのだった。
戸の向こうに現れた人物に目を見開く。そこには初めて見る若い男の人が、姿勢良く立っていた。


「お邪魔します」


丁寧に挨拶を唱えるその人に呆然としていると目が合った。すると彼は朗らかな笑顔を向け、「初めまして」と小さくお辞儀をした。それでやっと我に帰ったわたしは慌てて「こんにちは!」とお辞儀を返したのだった。
バタバタと音がする、と同時に腕が軽くなった気がした。「ちゃん!」「…あっ!」さつきちゃんの声で、抱えていた洗濯物がなだれ落ちたのだと気付いた。すぐに拾い集めようとするも何枚もの手ぬぐいはお辞儀の勢いもあって見事辺りに散らばり、さらには玄関に立っていたせいでその内の一枚が土間に落ちかけていた。それを取ってくれようとしたのだろう、さつきちゃんが一歩踏み出す、より先に男の人が動き、手ぬぐいを拾ってくれた。


「どうぞ」
「あ、ありがとうございます!」


笑顔で差し出され、お礼を言う声が緊張していた。人の良さそうな笑顔だった。
助かった、けれどこの人は一体何者なのだろう。目の前の彼は濃紺の着物の下に白いシャツを着込み、背中には大きめの荷物を背負っていた。この家には旦那さまの部下の方はよく出入りするけれど、こんな若い年の人は今までいなかったし、こんな大荷物で来た人も見たことがない。そこまで考えて、やっと気付く。彼の年の頃と服装が、町でよく見かける人たちと同じということに。


「今日からこちらに住まわせて頂きます、花宮真と申します。どうぞよろしくお願いします」
「…し、書生さん、」
「はい、そうです」


再び小さくお辞儀をし名乗った彼に、思い浮かんだ身分を口にするとにこりと笑顔を向けられた。さつきちゃんが後ろから「真さんは十月から高等中学に入るんだよ。すごく賢いんだって」と説明を付け加えると彼は「よしてくださいよお嬢さん」と苦笑いを浮かべた。けれどさつきちゃんはそれに対してくすっと笑うだけで、「真さん、父母の部屋に案内しますね」と話を流して履き物を脱ぎ家に上がったのだった。


「あ、はい。お願いします」
「それじゃあまたね、ちゃん」
「うん、またね」


言った通り旦那さまと奥さまの部屋へ向かう二人を見送る。中学校のことはよく知らなくても、高等中学校への進学者が多くはないのは知っている。さつきちゃんが言ったようによほど優秀か、勉学がすきなのだろう。このお家が書生さんを迎えるのはわたしの知る限り初めてだった。接し方はわからないけれど、わたしはただ自分の仕事に従事するだけだ。洗濯物をもう一度積み上げ今度こそお風呂場へ向かう。今年で三年目になるはずなのに、使用人の仕事は未だに失敗だらけだった。


目を離して忘れた