夏休み明けに知り合った嵐山くんの例にならって、冬休み明けにも新しい出会いが待っていたらしかった。
 年明け最初の授業を受け終え、食堂へ足を向けると真っ先に目に入ったのは探してる人物じゃなく、似たシルエットながら発するオーラの違う個人的アクの強い男の子代表、迅くんだった。

 混雑時の四人席を二人で陣取り向かい合わせで座っている彼を信じがたいものを見る目で凝視してしまう。いや、二人で四人席に座るのが特段大ひんしゅくというわけじゃない。迅くんが我が物顔で堂々と座ってるのがびっくりだったのだ。だってあの人、ここの学生じゃないんだよね?それにしては慣れたようにイスの背もたれに寄りかかっているので一瞬記憶違いだったのかと自分の脳みそを疑ってしまった。
 でもまあ、話しかけるほど親しいわけじゃないし、迅くんがどこにいようと何も言えないな。へっと息を吐き、彼から目を離し他の席の確保を試みる。二限終わりのこの時間はピークだ。講義が五分早く終わったくらいじゃスタートダッシュには乗れない。


「あ、さん」


 ギョッとして目を戻す。ついさっき見ていた迅くんが、こちらに向かって手を振っているではないか。ど、どうも、と控えめな意味を込めて軽く手を挙げると、迅くんは挙げた腕をそのままに四本の指をちょいちょいと前に倒した。少なくとも日本では「おいで」のジェスチャーだと認識している。ま、まじか。
 完全に気後れしつつ、いや大丈夫ですと強気に出られるほど親しくもないのでその通りに近寄る。迅くんの向かいに座っていた男の人が何かとばかりに振り向いた。もちろん知らない人だ。同い年かも定かじゃない大人びたルックスをしている。


「先月ぶりだねー」
「ですね」


 頷くと、彼は調子を変えず自分の隣のイスを引いた。「ここ座んなよ」わお。


「え、でも、」
「嵐山と待ち合わせてんでしょ?太刀川さんもボーダーだし知り合いだから大丈夫だよ」
「迅、やっぱりこの人がそうなのか」
「そうそう」


 反射的に、向かいに座るその人を見てしまい目が合った。ふにゃふにゃの髪の毛に顎ヒゲを生やしたその人。座ってるから定かじゃないけど多分高身長だ。迅くんの呼び方からして年上なのだろうか。それにしては口調が砕けてるから判断に苦しむ。


「どうも」
「どうも…」


 迅くんは楽しそうに口元に笑みを浮かべたまま、わたしにもう一度着席を促した。怖々といった感じにそれを受け入れ、膝に乗せたカバンから素早く携帯を取り出す。「嵐山くんに連絡しとくね」この空気は気まずいので携帯に逃げたかったのが本音です。嵐山くん早く来てくれ…!!
 すぐに了解と簡潔な返信が来てとりあえずホッとする。きっと向こうもこっちに来てるところなんだろう。特にやることないし一人で携帯いじってるのも感じ悪いよな、と泣く泣くカバンに戻す。だいたいこれはどういう状況なんだ、嵐山くんの知り合いっていうのはわかるけど、わたしは知り合いじゃないから相席みたいなことになってるじゃないか。


さん、こっち太刀川さんね。大学二年生」
「はじめましてー…」
「どうも。嵐山と迅から聞いてるぞ。嵐山とめちゃくちゃ仲いいんだってな」
「めちゃくちゃかはわかりませんが…」


 嵐山くんとの仲を認めてもらった気分になってちょっと気恥ずかしい。肩をすくめてにやにや笑うと迅くんや斜め前のタチカワさんもにやにやと笑うので変な空気が漂った。……ん?タチカワさん?


「太刀川さんって、太刀川隊の…ですか?」
「おー知ってたか。そうだぞ」
「え、あれ、太刀川隊って上の方にいませんでしたっけ」
「おう、A級一位だ」


「一位!」どひゃあと背もたれまで吹っ飛ぶ大げさなリアクションをしてしまう。嵐山くんと知り合ってからボーダーの話を聞くようになって、自分でも何回かホームページを覗いたことがあった。その中で太刀川隊というチーム名を見た記憶がある。正確な順位までは覚えてなかったけど、まさかよりによって一位だとは。そう言われると一位っぽい貫禄があるような、ないような。


「すいません、遅くなりました」


 ハッと入り口の方へ顔を上げると、嵐山くんが人の波を避けながらこちらに駆け寄ってきていた。突然の衝撃に混乱していたわたしは神様に手を差し伸べられた気分で、嵐山くん、と大きめに声を発した。バッグを空席に置いた彼に三人の視線が集中する。嵐山くんは立ったまま、まずはといったようにあいさつをした。


「こんにちは太刀川さん」
「おー二限おつかれさん」
「太刀川さんはどうして大学に?全休ですよね?」
「それはおまえ、」
「レポート再提出って呼び出しくらったんだって」


 三人のやり取りを聞いていてそういえばと思い出したのだけれど、前に水曜は知り合いと誰とも会わない曜日だと嵐山くんが言っていた。なるほどそうだとしたら確かにこの状況は変だ。それに九月から今までで太刀川さんに遭遇したのが、彼が水曜の昼に食堂にいるというイレギュラーが発生した今回限りということにも納得だった。

 イレギュラーといえば先月ちょっとした騒動になった、警戒区域外に出現した近界民の件についてはたった三日で収束したらしかった。木曜が全休のわたしは嵐山くんの指示で一日中家にいたのであまり実感が湧かないのだが、三中はダイレクトに近界民に襲われてあわや大惨事というところだったらしい。嵐山くんの妹さんと弟さんも通っているその中学では訓練生のボーダー隊員の生徒が勇敢にも立ち向かってくれたおかげで、負傷者はゼロだったんだそうだ。その日の夕方には空中に浮かぶ近界民が街を爆撃し言葉通りの大惨事となったというのは、その日のニュースで知っていた。

 嵐山くんは席に着かず、ご飯を買いに行こうとわたしを誘った。逡巡せず頷いたわたしはお財布だけを持ち、食堂入り口近くのカウンターへ向かう。そういえば太刀川さんも迅くんも食べ終わった食器とトレーだけテーブルに置いてたけど、二人とも手持ち無沙汰にならないのだろうか。


「今日こそラーメンか?」
「ラーメン!醤油!嵐山くんは?」
「じゃあ俺もそれにしよう」


 おっ!パチッと目を瞬かせ見上げると、嵐山くんも嬉しそうに笑っていた。もしかして合わせてくれたのだろうか。去年の最後の食堂でも嵐山くんにつられて親子丼を食したのだ。ラーメンはここのところちっとも食べていなかった。
 でもそれはあくまでわたしが勝手に意気込んでたことだし、気遣わなくていいのになあ?思っていたのが伝わったのか、嵐山くんはわたしにトレーを渡しながら、「人のものがおいしそうに見える気持ちわかるよ」と言った。


「俺もラーメンの気分になった」
「優しいなあ!」


 興奮を抑えきれず嵐山くんの腕を叩いてしまう。精一杯こらえて軽くだったので嵐山くんも痛がる素振りは見せず笑っていた。

 会計まで済ませテーブルに戻ると、わたしたちのトレーに乗ったのがラーメンであることがわかるなり太刀川さんは大口を開けた。


「おっまえら図ったようにラーメン頼んだなあ!」
「え?!なんか駄目でした…?」
「ラーメンは列長いから買うのに時間かかるだろ?なんだ、そんなに俺たちと話すの嫌だったか」
「えっすいませんそんなつもりなかったです」


 確かにラーメンはいつも人気なので列が長い。その分時間がかかるので、食べる時間が減るのだ。そういうネックもあって無意識に諦めてた感は否めないけど、今回久しぶりに食べる決め手になったのはもちろん彼らとしゃべりたくなかったからとかでは断じてない。かくいう太刀川さんも冗談だというようにはっはっはと笑っているので、間に受けなくてよかったようだ。


「まあ嵐山は故意犯だけどね」
「おい、人聞きの悪いこと言うな」


 席につきながら、嵐山くんを盗み見る。…嘘っぽい?茶化した迅くんもわかってるようにヘラヘラ笑ってるぞ。嵐山くん実は迅くんとか太刀川さん嫌いなのか…?!とにわかに慌てていると、迅くんは「まあ正確には単純に二人のじか…ごほん」と意味深な言葉とともに咳払いをしてのけた。なん…なんだって?訝しげに隣の彼を見るがその台詞が繰り返されることはなかった。


「迅…」
「ごめんごめん。ちょっと楽しんじゃった」


 二人が目で会話してる風な空気を醸し出しているのでわたしはおとなしく黙ることにする。すぐに無言の話し合いは終わったらしく嵐山くんと一緒にいただきますを唱え、醤油ラーメンに箸をつけることができた。いろいろあったけど食べる時間はちゃんとある。腕時計から目を離し、箸で太麺を摘む。


って彼氏いんのか?」
「ごほっ」


 太刀川さんの唐突な質問にむせた、のは嵐山くんだ。口に麺を持っていく途中だったわたしはピタリと箸を止め、ゆっくりと顔を上げる。いつの間にか右半分のテーブルには袋に入ったぼんち揚げが広げられていた。太刀川さんは頬杖をついて、素手で摘んだぼんち揚げをバリッと噛んだ。


「いないですよー」
「……」
「へー。まあそうだよな」


 まあそうだよな、は「彼氏がいたら嵐山と二人では会わないよな」という意味なんだろう。そういうことに違いない。まさかあまりに男の影がないことが出会って数十分でわかったなんてわけがない。そういえば男の人と恋バナをしたのは年単位で久しぶりな気がして感覚が掴めないなあ。どのくらいぶっちゃけた話をしていいものなのか、よくわからない。ましてやもう十九や二十歳の大人だ。境界線はますます曖昧になる。渋い顔をしていたせいか太刀川さんは変な深読みをしたのか、ああ、と何かを察したようだった。


、彼氏とかはあんま興味ねえの?」


 太刀川さんに向いた視界の両端では、迅くんがふっと吹き出し、嵐山くんがわかりやすくギクリと固まったのがわかった。「さすが太刀川さん。これは読み逃した」肩を震わせ笑う迅くんが小声で何か呟いた気がするけれど聞き取る余裕はなかった。答えづらい質問ではない。けど、それを聞いて太刀川さんはどうするんだろう。というか初対面相手に突っ込んだ質問するよなあ!逆にすごいと思うよ。


「そりゃ人並みにはありますよー。太刀川さんこそどうなんですか?」
「俺?あるある。付き合ってる暇ないだろうけど」
「あーそうですよね、ボーダーの仕事忙しいですもんね」


 言われると確かに、嵐山くんを見れば忙しいことは一目瞭然だ。デートとか行く時間ないだろう。嵐山くん、冬休みも大忙しだったらしいし。
 実はわたし、冬休み、嵐山くんに何か誘ってもらえるかなと思っていたのだ。けどそんなことはなかったし、ポツポツと続いたメッセージのやりとりでは彼の激務具合を聞いて慄いたほどだった。甘えた考えをしていた。嵐山くんと仲がいいと自意識過剰になって、会えるかなとか思ったのだ。期待してた自分が恥ずかしい。

 と思い返していたら、嵐山くんと迅くんが揃って何かまずいものでも食べたかのような顔をしてるのに気が付いた。変なこと言ったっけ、と冷や汗をかくと、バリバリぼんち揚げを咀嚼していた太刀川さんが「でも」と答えた。


「大事なのは会ってる時間の長さより、お互いの気持ちだからなー」


 何となしにのたまった人生の先輩の言葉に、十九のわたしたちは思わず、おお、と感嘆の声を漏らすのだった。