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「じゃあ許したの?」


正面のソファ席に座るコナンくんはじっとわたしを見上げ、そんな疑問を口にした。

今朝、安室さんから昨日のお詫びにとポアロでごちそうになるお誘いを受けた。意気揚々と来店すると偶然コナンくんも来ていたらしく、丁度よかったのでご一緒してもらうことにした。バイト中の安室さんに案内され、まだ空いている店内でも一番奥まったソファとイスの二人席に座る。お客さんとして来るのは従業員になってから初めてだ。前にそんな話をしてからようやく実現できたことに胸を踊らせながらかしこまっていると、安室さんは持ってきたお冷やをテーブルに置きながら、コナンくんにもごちそうするからすきなのを注文するといいよと気前の良さを見せた。お言葉に甘えてホットケーキと紅茶を頼んだわたしとは対照的に、コナンくんは朝ごはんを食べてきたからとオレンジジュースだけを頼んだ。遠慮しないわたしがおとな気ない気がしたのはここだけの話である。
すぐに梓さんが紅茶とオレンジジュースを運んできてくれた。お礼を言ってから、彼女と顔を見合わせてにやにやしてしまう。いざ接客してもらうとむず痒くなってしまうのだ。


「あ、コナンくん、昨日わたし阿笠博士の家行ったって聞いた?」
「うん。ごめんね出られなくて」
「ううん、わたしこそ邪魔しようとしちゃってごめんね。どんなゲームやってたの?」
「え、えっと…博士が作ったゲームで…」


なぜかしどろもどろに説明するコナンくんを不思議に思いながらもうんうんと相槌を打つ。想像するに、シューティングゲームだろうか。「とにかく、すっごく面白かったよ!夢中になっちゃった!」手を大きく挙げて楽しさの度合いを表現するコナンくんになるほどーと深く頷く。コナンくん、普段は大人びてるけどこういうところは年相応に可愛いんだなあ。それにゲームいいな、一人暮らしを始めてからはご無沙汰だったから久しぶりにやりたいなあ。


「そういえばコナンくんたちの探偵バッジも博士の発明だっけ?いろいろ作ってるんだねー」
「う、うん」


それからわたしとコナンくんは飲み物を飲みながら、昨日とおとといにあった出来事について話した。おとといの出来事とはもちろん澁谷先生の事件だ。犯人かつ安室さんと一悶着あったサラリーマンの名前は神立さんというらしく、昨日安室さんから聞いたのとほぼ同じ内容を聞いた。コナンくんとジョディさん、随分親しいんだ。平日に二人でドライブなんてイカしてるなあ。
そういえば安室さん、神立さんのこと何とも思ってなさそうだったな。単に澁谷先生を突き落とした犯人って感じに話してた。安室さんって意外と図太いのかも。気に病む安室さんなんて見たくなかったから、それはよかった。

とか言っておきながら、昨日安室さんを気に病ませたのは他でもないわたしだけど。


「お待たせしました」


声と共に安室さんがやってきたことに気付く。トレンチに乗せたホットケーキと取り皿をテーブルに置いていくのをどきどきしながら見る。いつもより生クリームやフルーツのトッピングが豪華だ。サービスしてくれたのかなあ。「ありがとうございます!」嬉しくてにこにこしながらお礼を言うと、安室さんもにこりと笑った。……梓さんとはにやにやしたけど、安室さんにはひたすら照れてしまうな。普段店員側として見てるはずなのに接客を受ける側に回ると途端に刺激が強いのだ。女のお客さんが安室さん目当てにやってくるのもわかるよ。心の底から納得した。嫉妬はするけどね!
それに安室さん、笑ってる。よかったなあ。


「あ、安室さん」
「ん?」
「前に阿笠博士のこと気にしてましたよね。面白いゲーム作ったらしいですよー」
「へえ、ゲーム?」
「う、うん…」


コナンくんに振るとなぜか歯切れの悪い肯定が返ってきた。安室さんの視線から逃げるみたいに目を逸らす彼に、もしかして言っちゃダメだったか?!と焦る。咄嗟に安室さんを見上げるも、キョトンと目を丸くしてコナンくんを見下ろしてるだけで事情はまるで察せない。すると彼は何かに気付いたように、ああと表情を和らげた。


「昨日コナンくんも阿笠博士の家にいたんだっけ。じゃあ僕が探偵の仕事をしてたの、コナンくんにもバレちゃってたのかな」


ギクッと、今度はわたしが固まる。そ、それを言ってはバラしたも同然では…?!さっきの比でないくらい焦ってしまい言葉が出てこない。「探偵の仕事?」「あ、ごめん。今仕事中だから、から聞いてくれるかい?」安室さんはいけしゃあしゃあと述べると、ごゆっくりどうぞと下がってしまう。あからさまに訝るコナンくんの眼差しがわたしに向く。い、言ってもいいものなのか…?あ、でも隠してたのってわたしに対してだから、わたしにバレちゃった今、誰に隠すこともないのかも。そもそもわたし以外に知ってる人いるのかな。


「あの、昨日安室さんね……」


それからわたしはホットケーキを二人分に分けながら、昨日沖矢さんの家の前で目撃したことを話した。最初こそ険しい顔をしていたコナンくんも次第に緊張を解き、うんと相槌を打ってくれた。コナンくんは安室さんの秘密の依頼を知らなさそうだった。そりゃあゲームに夢中になってたんだから、気付くわけないよなあ。
わたしが散々怒ってしまい最終的におとなしく引き下がったことまで話すと、オレンジジュースのストローから口を離したコナンくんが、「じゃあ許したの?」と問うた。一瞬ポカンとしてしまう。許したの?


「許してないよ!目を瞑ったの!」
「そ、そうなの?」


そうだよ!取り皿に分けたホットケーキをコナンくんに渡す。いいの?と聞いたコナンくんに無言で深く頷く。ありがと、と受け取った彼はそれから、窺うように上目遣いでわたしを見た。続きを促してるような眼差しに甘えて理由を述べる。


「だって安室さん、わたしにバレたってわかったとき、すごい悪いことをしたって顔をしたんだもの。わたしのショックの比じゃないくらい後悔してそうで…」


昨日の、携帯を差し出した安室さんを思い出す。三日ぶりの彼は普段の余裕げな姿を忘れさせるほど動揺していた。目を見開いたその表情を、わたしは今までにも何度か見たことがあった。まるで取り残された少年のようだった。俯き、白いプレートに半分になったホットケーキを見下ろす。


「わたしが守らないとって、思ったよ…」


コナンくんが顎を引いたのが視界の隅でわかった。
本当にびっくりしたのだ。わたしが責めると安室さんはひどく困った顔をしていた。そんな顔をするなら最初からわたしに隠して依頼を受けなきゃいいのに、聡明な安室さんがそうできないほどの理由があるのかと思うと恐ろしかった。それに安室さんは、わたしをおだてたりその気にさせてかわす調子のいい言葉を山程持ってるはずなのに、一つも言おうとしなかったのだ。本当に、悪いと思ってるんだ。気付いてしまうとそれ以上責めることはできなかった。だから今回は目を瞑るのだ。
それに一晩寝たら怒りはさすがに湧いてこない。疑問だけが残っていた。


「そうなんだ…」
「ねえコナンくん、助手のわたしに隠さなきゃいけない依頼って、何だと思う?」


こんなこと聞くのはどうかと思ったけど、コナンくんならもしかすると推理できるんじゃないだろうか。わたしなんかよりずっと賢い天才少年だし、この子の頼もしさは安室さんに通ずるものがあるから。
けれどコナンくんはフォークを片手に、おもむろに俯いてしまった。「あ、ご…」しまった困らせた。謝ろうと口を開くと、コナンくんがわずかに顔を上げた。視線は変わらず伏せられている。


「わからないけど…さんがそれを知ったら一緒にいられなくなるとか……悲しませてでもさんを危険な目に遭わせたくなかったんじゃないかな…」


コナンくんの言葉は妙に実感がこもっていた。気のせいかもしれない。とにかくわたしは彼の提示した説得力ある可能性に、心臓がドクドクと脈打つのを感じていた。手放しで喜んでいいはずの言葉に無性に泣きそうになってしまう。さすがにコナンくんの前でそれは情けなさすぎるので必死で堪える。
嬉しいのは本当だ。もしそれが本当なら、安室さんはわたしのことをちゃんと考えてくれてたことになる。でも、だとしたら、安室さんは一体どれほど危険な依頼を引き受けたのだろう。助けになりたかった。わたしを助手だと即答してくれるのに、肝心なところで必要としてくれないことが悔しくて情けない。昨日の夜、スーツの男の人たちに指示を出していた安室さんを想像する。わたしの存在に気付いた彼は、ひどく傷ついて見えた。


「そっか…」
「わ、わかんないけどね…想像で…」
「ううん、やっぱりコナンくんすごいなあ…」


口でお礼を言って心は項垂れていた。安室さんは何が何でもわたしに知られたくなかった。だったらわたしは、知らないふりをするべきだったんだな。何も見なかったことにして今日を迎えてたら安室さんはきっと何も言わなかった。その方が安室さんのためになったのかも。わたしは嫌だけど、安室さんがわたしのこと考えてくれるなら、わたしも安室さんのこと考えなきゃ。はあ、と一つ息をつく。今回のことはもう責めないようにしよう。安室さんだって前に……。


「あっ」
「え?」


重大なことに思い至って背筋が粟立つ。「な、何でもないよ」首を傾げたコナンくんに慌ててごまかすけれど、頭は軽いパニックに陥っていた。や、やばい、そういえばわたし前にひどいことしたんだった…!偉そうなこと言える立場じゃなかった!ようやく気付いて冷や汗が出る。ほんと何様だわたし?!安室さん責める資格一つもないじゃん、バカ!恥ずかしい。顔を赤くしたり青くしたりあわあわとうろたえる。とにかく謝らなきゃ。くるっと振り返り店内を見回すも、なぜか安室さんの姿が見えない。バックヤードかな、いやどのみち仕事中だから駄目だ、今日あがるまで待ってよう。


「本当にどうしたの?」
「い、いや、わたし安室さん怒れる立場じゃないなと思って!」
「そうなの?」


大きな目を瞬かせるコナンくんにブンブンと頷く。これを話すのは守秘義務に反するだろうか。またしくじるわけにはいかないので、詳しいことは言えないんだけどと前置きする。


「よく考えたらわたしも思いっきり安室さんに隠し事したことあって…!」
「え、あ、そうなんだ」
「うん、それこそ探偵の仕事でやっちゃって、安室さんに迷惑かけちゃったんだ〜!」
「へ、へえ…」


検討もつかないと言わんばかりに首を傾げるコナンくん。すると背後からベルなしのドアの開閉音が耳に入った。ガバッと振り向くと、思った通り安室さんが裏口から戻ってきたところだった。安室さん…!思わず涙目で縋りつきたくなる。


「それ、安室さんは許してくれたの?」


コナンくんの質問に首だけ向き、青い顔のままうん、と即答する。コナンくんはよかったねと苦笑いを浮かべた。


「ほんとだよ!ほんとによかった、安室さんに見捨てられなくて…」
「アハハ…そういえば前にも言ってたね」
「うん!前に言ってもらったことがあって…!」


「ミステリートレインから降りたときだったかな」そういえばあのときも緊張感なしに寝落ちるなんてバカをやった。ほんと、やらかしてばっかだ。安室さんは何回わたしのことを許したのだろう。ああ、昨日一方的に怒りをぶつけてしまったの、本当に申し訳ない…。


「そう思うと安室さん、すごく心広いよね…わたしも見習わないと…。コナンくん、相談に乗ってくれてありがとうね!」
「ううん。僕こそ、ホットケーキありがとう」


二人してえへへと肩をすくめる。重くしてしまった空気が軽くなったようだった。食べ終わったら安室さんに何か罪滅ぼししたいな。何しよう、と考えながらナイフでホットケーキを切る。コナンくんも無邪気にいただきまーすと言い、一口大に切ったそれを口へ入れた。


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