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罪滅ぼしの手段を考えた結果、従業員控え室の掃除に取り掛かることにした。コナンくんと別れたあと安室さんの終業時間までをそれに費やし、これでもかと言わんばかりに雑巾を酷使した。やってる途中で気が付いたけど、罪滅ぼしというより暇潰しだ。徹底的にホコリを拭き取る作業は普通に楽しかったのだ。
締めである床の雑巾がけが終わった頃、ガチャリとドアが開いた。ガバッと顔を上げる。


「あっ、安室さんお疲れ様です!」
「どうも。もお疲れ様」


昼のピークが終わった頃、安室さんが戻ってきた。今日は昼休憩を挟まずの上がりなのだ。苦笑いの安室さんに笑顔で返して、罪滅ぼしもそこそこに水洗いした雑巾を洗濯バサミに挟んで干す。安室さんの帰り支度をする間掃除の片付けをし、ピカピカになった控え室を一緒に出たのだった。

安室さんにはコナンくんとポアロを出る前、掃除をして待ってることを伝えていた。そのときの安室さんはやっぱり苦笑いをしていたけれど、特に嫌がる様子もなく了承してくれた。車に乗り込んだ今も普段通りでホッとする。よし、早く言おう!太ももの上で両手の拳を作る。


「あの、安室さん、昨日のことなんですけど!怒ってしまってすみませんでした!」


「え?」目だけこちらに向けた安室さんはちょっと硬い声をしていた。あんまり触れたくない話題なのかもしれない。でも、だからこそここではっきり言っておかなきゃならない。車を走らせながら安室さんは、正面を向いたまま口を開く。


「隠していたのは僕だし、が謝ることはないよ」
「いえ、わたし南くんの件で、安室さんとの約束思いっきり破ったじゃないですか!だから偉そうなこと言えなかったなと思って…!」


そう、あのときわたしは安室さんとした三つの約束をことごとく破った。そのせいでストーカーに襲われたところを、安室さんが助けてくれた。完全に自業自得だったのに、安室さんは帰り道、あっさりと許してくれたのだ。あれと同じだ。立場が逆になっただけ。
ああ…と思い出すように遠い目をする安室さん。全然根に持ってなさそうだ。わたし自身大してわだかまりを残していなかった。もちろん反省はしてるけども。


「だからあの、昨日は散々怒ってすみませんでした…」
「そこまでじゃないと思うけど…僕もあのときは頭に来てたし、お互い様だな」


頭に来てたんだ。うぐっと心臓に痛みが走る。でもこれと同じ痛みを安室さんが感じているとしたら、早く助けないとと思う。


「でも、そうか…あのときと同じか……」


運転席に座る安室さんを見上げる。正面を向いたまま、目を細めて何かを思案しているようだった。


「だったらなおさら、悪いことをした。本当にごめん」
「い、いえ…!わたしもすみませんでした!」


謝りながら俯いてしまう。わたしと安室さんで同じようなことをお互いにしていた。その共通認識を持った上で謝られると、余計ヘコむ。それほど安室さんにとってストーカーの件は嫌な気持ちになってたんだと実感してしまう。これがほんとの罰か…!ますます身を縮こめ小さくなる。


「…謝れば謝るほどお互いダメージが入るな。ここら辺でやめておこうか」
「あっ、はい…!」


顔を上げると安室さんは横目でわたしを見ていた。はは、と遣る瀬なさそうに笑った彼に、また気遣われたと思う。なんだか、自分はいくら怒られてもいいけど、わたしに謝らせたくないから切り上げたみたいに思えてしまった。ほんとうに優しい。堪えるように口を一文字に結ぶ。隣で安室さんが、はあ、と息を吐いたのがわかった。


「本当は……君は、こんな僕に嫌気が差さないのかって思ってたんだけど」
「さっ?!」


びっくりして声が裏返る。なんてことを…?!眉をハの字に下げる横顔を信じられないものを見る目で見てしまう。わたしを横目で一瞥する、一瞬また、少年みたいな顔に見えた。


「差さないですよ!全然!…え、安室さん嫌気差してたんですか…?!」
「差してはないから、も差してないんだなと思って」
「な、なるほど…?」
「うん」


「本当に、不思議だな」進行方向を向きながら、ぽつりと零した呟き声はちゃんと耳に届いた。安室さんの声はもう馴染んだから、よく聞こえる。

そうだ、声といえば。


「あの、昨日ちょっと気になったんですけど、」
「ん?」
「探偵の依頼、偽名使ってるんですか?外にいた人たちに呼ばれてましたよね。ちゃんとは聞き取れなかったんですけど…」


安室さんが目を瞠った、と思った次の瞬間にはわたしに向けられていた。明らかに驚いた表情に思わず苦笑いしてしまう。一応伝えた方がいいと思って聞いたのだけど、余計だっただろうか。


「ああ……念のためにね。むやみに身元を明かすわけにはいかないから」
「そうなんですか…あの、あんまり無理しないでくださいね!言ってくれればわたし手伝うので、ほんとに…」
「ありがとう」


「でも昨日の件はもう片付いたから、心配しなくて大丈夫だよ」その言葉にちょっとホッとする。終わったんだ、よかった。さすが安室さん、仕事早いなあ。
探偵業は奥が深い。わたしの想像もつかない危険な仕事があることを知った。きっと安室さんはわたしのことを、まだペーペーの頼りない助手だと思ってるんだろう。もっと頑張って、ちゃんと信頼してもらって、どんな依頼でも任せてもらえるようになりたい。今回の悔しさを糧にするのだ。


「次からはちゃんとするから、安心してくれ」
「えっ?は、はい…!」


あれ、次は教えてくれるのか、なんだ…。今回はイレギュラー中のイレギュラーとか?本当に謎だ。安室さんの判断基準もよくわからないなあ。安室さんのことちょっとわかってきたと思ってたけど、まだまだ知らないことばっかりだ。少なくとも今回の件は触らない方がいいんだろうなあ。調べる当ては一応、沖矢さんがいるんだけど、面識ないから迂闊に近づけないしなあ。


「ちなみに偽名を教えてくれたり…」
「しないかな」
「ですよね…!」


あーあと背もたれに寄りかかる。……。「ふふっ」思わず吹き出してしまい口を両手で覆う。隣で安室さんがわたしを見遣ったのがわかり、彼へと目を向ける。訝しげな眼差しだ。


「安室さんといると飽きないなあと思ったんですよー」


ふふふと肩を震わせる。安室さん、出会ったときから謎が多くて、これまでの付き合いでわかってきたと思ったのにこれだもの。驚かされてばっかだよ。にこにこするわたしとは対照的に、安室さんは肩の力を抜いて、呆れたみたいに笑った。


「本当に前向きだな」
「それほどでも!」


きっと嫌気が差すことなんて一生来ないんじゃないかと思う。わたしずっと、安室さんのそばから離れないよ。安室さんも同じだったら嬉しいなあ。


top / 緋色の真相編おわり