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安室さんからのメッセージで「澁谷先生の依頼は片付いたよ」と報告を受けたのはそれから三日後のことだった。大学の講義真っ只中だったわたしは、ああっと嘆きそうになるのを堪え、大教室の机に肘をつき項垂れた。きっと昨晩の警護のとき、澁谷先生にストーカーの正体を突き止めたことを伝えたんだろう。菅本先生はどうなったんだろう。口で伝えてやめてくれるならいいんだけど、聞かないようなら法的措置も視野に入れなければならない。念のため言い逃れできないよう写真や動画は撮ってあるので必要に応じて提示していくことになる。警察沙汰になると知れば、先生だし自分のしたことを省みると思うんだけど、楽観的かなあ。とにもかくにも依頼が解決したということは、もう身辺警護も終わりということだ。その場に立ち合いたかったという気持ちは強いけれど、三日前の時点でこうなることは予想できてたので仕方ない。証拠が揃ったんだから澁谷先生に一日でも早く安心してもらいたいものね。いうなればわたしが三日連続の夜のシフトをオーケーしてしまったところに悔いが残るだろう。でも先週は大学と調査があってほとんど梓さんに任せちゃったから申し訳なさがあったんだよなあ。
そうだ、あのサラリーマンどうなったんだろ。安室さんへの返信で聞いてみると、そっちも解決したと返ってきた。ふむ、ならよかった。携帯から目を離し、教授の話もそっちのけで背もたれに寄りかかる。一件落着だ。なんか、久しぶりの探偵の仕事だったから楽しかったな。まさか澁谷先生の前では言えないけど。


[詳しいことは明日話す]


それにはよろしくお願いしますと返す。確か安室さんも今日、久しぶりのシフトだったはず。わたしとは入れ替わりなのだ。二限はもうすぐ終わるだろう。バイトまでしばらくあるし、せっかくだから澁谷先生にあいさつしに行こうかな。安室さんの親戚で、後学のために仕事を手伝ってると自己紹介すると、澁谷先生は感心したように偉いですねと言ってくれた。嘘をついたことへの罪悪感に苛まれつつ、褒められて嬉しかったのも事実だ。実は本当の助手なんですよーとは言えないにしても、このまま彼女との縁がふわっと消えてしまうのはもったいなかった。

定刻の一分前に講義を切り上げた教授が去り、まもなくして教室のスピーカーから鐘が鳴った。よし、行こう!決意したわたしは急いで片付けをし、教室を飛び出した。ここから杯戸小ってどう行くんだろう。携帯で乗り換え検索しながら廊下の壁沿いを歩く。すると突然画面が切り替わり、携帯が振動した。電話だ、しかもポアロから。「もしもし?」立ち止まり耳に当てると、受話口からは梓さんの声が聞こえてきた。


『もしもし、ちゃん、今大丈夫?』
「大丈夫ですよー。どうしました?」
『うん…あのね、今日安室さんから何か聞いてる?』
「え?」


話によると、今朝梓さんは安室さんからバイトを休む旨の連絡を受けたらしい。なんでも体調不良らしく、それは問題ないのだけど、先ほど聞きたいことがあって電話をかけたら繋がらなかったそうだ。もしかしたら結構重症で、代わりにわたしが探偵の仕事をするため夜のシフトに入れないんじゃないかと思い、連絡をくれたのだそうだ。相槌を打ちながら、三日前までの身辺警護と調査の日々を思い出す。安室さん、今までよほど無理してたのだろう。大変だったに違いない。梓さんには安室さんが探偵の仕事を昨日まで頑張っていたこと、依頼は解決したからわたしは変わりなく入れることを伝えると、梓さんはホッとしたように声を柔らかくし、じゃあ夕方からよろしくねと返してくれた。


「あ、というかお昼は大丈夫ですか?マスターと二人で回せます…?」
『ええ、平日だし大丈夫よ』
「そうですか!じゃあまたあとでー」


ありがとう、またね。梓さんのあいさつを聞いてから通話を終わらせる。安室さん、心配だなあ。だからさっきのメールで詳しいことは明日って言ってたんだ。澁谷先生のとこ行く前に安室さんのお見舞いに行こうかな。画面は電車の乗換アプリが再度表示されていた。検索結果から、一度自分の家に帰ってもそこまで遠回りじゃないことがわかる。よし、そうしよう。本日のプランをもう一度立て直し、携帯をしまって歩き出した。

大学近くのドラッグストアでスポーツドリンクやゼリー飲料、インスタント粥を買い、安室さんの自宅へ向かった。安室さんに開けてもらおうとエントランスの自動ドアの前で呼び出したのだけれど反応はなく、寝てるのかもと気付いて家主の許可のいらない番号で解錠した。やばい、起こしちゃったかも。
内心冷や冷やしながらエレベーターに乗り、十階の部屋の前に辿り着く。起こしちゃったかもって焦ったけど、よく考えたら起きてもらわないと部屋入れないや。…やめといた方がいいかな?逡巡した結果、ええいとインターホンを押した。せめて顔が見たかったのだ。あわよくば看病を!


「……あれ」


しかし安室さんからの反応がなかった。続いてもう一回押すも、返答は一向にない。ドアに耳を当てて部屋の中をうかがう。……うーん、物音一つ聞こえないな。もしかしてまだ寝てるのかも。安室さんって意外と寝たら起きないタイプなのかな、それかよっぽど具合悪いのか。後者なら様子を見たいところではあるんだけど、鍵持ってないからなあ…。どう頑張ってもドアを開けられないわたしがここにいても何もできないので、おとなしくドアノブにお見舞いの品を提げて引き上げることにした。


[具合どうですか?お休み中だったみたいなので帰りますね。つらいようでしたら明日のバイト変わるので言ってください。あと、起きれたらでいいのでドアの外見てください]


携帯からメッセージを送る。もちろん反応はないので、そのまま部屋を離れた。安室さんのことは心配だけど仕方ない。バイト早く上がれたら夜にもう一回来ようかな。


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