91 ティーバッグの缶を手に取り裏側の成分表示をなんとなく見ていると、安室さんがティーポットを台所から持ってきた。さっき沸騰した音が聞こえてたから、中にはきっとお湯が入ってるんだろう。 「今日は自分で紅茶を選ぶんですか?」 「ああ。ちょっと趣向を変えてみたくてね」 へえーと間延びした声で相槌を打つ。いつもは特に考えず適当なティーバッグを選んでポットに浮かべているのだ。最初の方に何でも飲めると申告してからずっとそうだから、なんだかわくわくするなあ。安室さんがイスに座ったのに合わせて向かいに腰を下ろす。 安室さんとわたしはそれぞれダージリンとアップルティーを選んだ。ポットからお湯を注ぎ、しばらくしてから小皿にティーバッグを移す。砂糖を足してかき混ぜ、一口飲む。ほんのりりんごの味がするから、紅茶ではこれが一番すきだった。ほっと息をつき、テーブルにカップを置く。同じく安室さんも一口飲んだあとテーブルに置いたようだった。 「安室さんはダージリンがおすきなんですか?」 「すきだけど、特別ってわけじゃないよ。一番残ってたから選んだだけさ」 安室さんの人差し指がダージリンの缶の蓋をコンコンと叩く。つられるようにそれを持ち上げ、次に隣のアールグレイ、アッサムと、順々に重さを比べてみた。確かにダージリンだけ重い。適当に選んでるつもりでも偏りが出てしまうのだろう。この紅茶のセットは前に友人からもらったのだと聞いたことがある。 「はアップルティーがすきなのかい?」 「はい!フルーツの味がする紅茶がすきなんです!」 「なるほど」 「じゃあ今度、オレンジやピーチも揃えておくよ」テーブルに並んだ缶を見遣りながら笑みを浮かべる安室さんに目を輝かせる。「ほんとですか?!ありがとうございます!」嬉しいなあ!安室さん、なんて優しいんだろう!じゃあわたしも今度安室さんのすきなお茶菓子買ってこよう。お互いがお互いのすきなものを持ち寄って開催するお茶会。間違いなく素敵な時間になるだろう。 「そうだ。これ知ってるかい?」 そう言って安室さんはポケットから出した携帯を操作し、わたしに見せてきた。どうやらゲームアプリが立ち上がっているようで、絵画写真が画面いっぱいに映っている。 「最初と最後で変わったところを見つけるってゲーム。最近流行ってるらしいよ」 「へえ……え、もう始まってます?」 「ああ」 えっと声をあげ、画面に目を落とす。そういう頭の体操は聞いたことがあるのでルールはすぐにわかった。なんだっけ、脳トレみたいなやつだ。しかしいざ探そうとしても風景画のどこに焦点を当てるべきか決めかねて目線をうろうろさせてしまう。「確か三つだったかな」変化する箇所の数だろう、安室さんが身を乗り出して携帯を覗き込んだのを気配で感じ取りながら、しかし目を逸らすことなく携帯に集中する。白い花が怪しいような。いやこの人物が……いっそ全体を俯瞰するように見れば…と携帯を顔から離してみるも、一つもわからない。そうこうしているうちにタイムオーバーになってしまった。 「うわー、一つもわからなかったです…!」 「はは。結構面白いだろ」 画面下に現れた正解のボタンをタップすると始まりと終わりの絵が交互に表示された。比べると一目瞭然なのにこうもわからないんだなあ。全然違うとこ見てたよ、悔しい。不完全燃焼で苦い顔をしながら安室さんに携帯を返す。 「悔しいけど面白いです…これ流行りなんですか?」 「らしいよ。僕も教えてもらったんだけど」 「へえ、誰にです?」 「ポアロのお客さんだよ」 「えっ!女の人ですか?!」 「ああ」 何となしに肯定され嫉妬の炎がグワッと燃え上がる。安室さん目当ての女性客の多さはもはや全店員が承知してるところである。安室さん本人がよく弁えているから忙しいときにお客さんとおしゃべりをすることはないけれど、手が空いてるときに話しかけられて応対してるのは何度も見たことがある。も〜!と怒りたい気持ちは山々だけど、いかんせん女のお客さんに限らず梓さんやわたしに世間話を振るお客さんは何人かいるし、そういうちょっとした会話を楽しみにしている人がいることもわかってるので安室さんに絡む女の人だけに目くじらをたてるわけにはいかないのが実際のところだった。 「うらやましい…」 「え?何がだい?」 「安室さんとお話できるお客さんですよー!」 「今君と話してるじゃないか」 「そうなんですけど、違うんですよ!店員の安室さんとお話できるのがうらやましいんです!」 「へえ」 呆れたように苦笑いを浮かべる安室さんは恋する乙女の気持ちがわかってないんだろう。どうせ安室さんはわたしが男のお客さんと話してても何とも思わないんでしょう!そもそも注文以外で話しかけられたことないしね。梓さんの方がよっぽど話しかけられてるよ。 「じゃあ今度お客さんとしてポアロに来たら?」 「えっ、いいんですか?」 「駄目じゃないだろう。ちゃんとお金払えば」 そっか、その考えはなかった!自分は店員だからと思ってたけど普通に行けばいいのか。想像してすでに楽しい。えー今日ポアロ行ったらシフト見てこよう。安室さんが入っててわたしが入ってない日。大学との兼ね合いもあるから狙って行かないと難しそうだ。昨日なんてまさにベストだったんだなあ、惜しいことをした。 「じゃあ今度行きます!やったー」 「そんなにいいものじゃないと思うけどなあ」 安室さんが手元に置いてあったティーカップを取ったのを見て、思い出したようにわたしも自分の紅茶へ手を伸ばした。口へ持っていき、一口啜る。 「んっ?あれ?!味変わった?!」 自分でもびっくりするくらい素っ頓狂な声を出してしまった。いや、でも仕方ない!だってアップルティーがアップルティーじゃなくなってるんだもの!何かの間違いかと思ってもう一口飲んでみるけど、やっぱり違う。りんごの風味が一切ない。りんごが消えたんじゃなくて、もはや違う紅茶になってるような……。 「ふっ…くく…」 向かいの安室さんが吹き出した。ティーカップを置いた手で口を覆い、堪えるように肩を震わす彼にはてなマークを浮かべてしまう。 「え?安室さん?」 「ごめん、想像してたよりシュールで…」 「のはこっちだよ」まだ余韻が残っているのか安室さんは笑ってる口を隠したまま片手でティーカップを滑らせた。さっき安室さんが飲もうとしていた方だ。よく見ると確かに、わたしが淹れたアップルティーの色に似てるような。あれ?じゃあこっちはもしかして…。 「安室さんのダージリン?!」 「正解」 「えーっいつの間に?!マジック?!」 「どちらかというとトリックかな」 わけがわからないながらも、アップルティーのティーカップと同じようにダージリンの方を安室さんへ滑らせる。安室さんはそれを受け取りながら、あっさりと種明かしをしてくれた。携帯の画面を覗き込むフリをしてわたしのティーカップを取って手元に持っていき、自分のティーカップをわたしの方へ押し出すように近づけたらしい。「がゲームに夢中になってたから簡単だったよ」楽しげにのたまう安室さんにへええと深く感心してしまう。言われてみれば確かに、飲もうとしたときティーカップが遠い位置にあったような?でも違和感を覚えるほどじゃなかったからまんまと騙されてしまったよ。いつもはあるソーサーが使われてないことにも言われて初めて気付いたくらいだ。しかも押し出したとき持ち手の位置で気付かれないよう、最初は左手で持って飲んでたと言うのだから完敗だ。絶対気付かないよ。 「…あれ。え、ちょっと待ってください。トリックって…?」 「ああ。今日詳しく話すって言ったのがこれだよ」 「へ?」 そうだ、そもそも今日は昨日起きたらしい事件の話を聞くために来たんだ。でも、これが何?アップルティーのティーカップを一瞥し、安室さんへ顔を上げる。 「昨日起こった殺人事件のトリックさ」 「…へっ?」 |