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安室さんの口から紡がれた事件の全容はわたしが想像してたものよりずっと深刻だった。話し役に徹する安室さんはもちろんのこと、聞き手のわたしも紅茶を嗜む余裕はなくなり、ただ一心に想像力を働かせていた。
一つの病室で起きた痛ましい事件を目暮警部や毛利さんと一緒に解決した安室さんは、被害者の死因、犯人との関係、犯行動機、そしてトリックをつまびらかに説明してくれた。ティーカップのすり替えについては先ほど身をもって体験したので理解しやすかった。ただ、アップルティーとダージリンは同じ茶色なのでそのままでも入れ替わったことに気付かないけれど、昨日の場合はハーブティーの赤色と青色の違いをごまかす必要があったらしい。そこまでして殺したかったのかと思うと気分はひたすらに複雑だった。というか…


「めっちゃ普通に事件じゃないですか!言ってくださいよ!」


バンッとテーブルを叩く。事後報告にも程がある!昨日のメッセージを読んだときはてっきり、盗難とか喧嘩とかそういう軽犯罪的な事件を解決したんだと思ったよ。あの文面でどうしたら殺人事件が起きたと察せるだろう。しかも連絡が来たのは終わったあとだ。ぐぬぬとやり場のない憤りに肩を震わせる。


「勘違いしてるだろうなとは思ってたけど、もう終わったことだったし、君に余計な心配をさせるのが心苦しかったんだよ。すまない」
「ぐっ…」


いきなり謝られてしまってはこれ以上怒れない。爆発させたつもりの怒りを即座に消火された気分になる。
確かに安室さんの言う通り、昨日知らされてたら驚いて、今日までなんて待てなかっただろう。なんたって殺人事件だ。話を聞くにお友達の悪行への恨みが動機だという。見知った人を殺したいと思うのはそれなりの理由があるんだというのは、伊豆の件で思い知った。あのときも判明した真相はやりきれなくて、しかも自分もちょっと関係してたからだいぶ堪えた。思い出すと今でも身体のどこかが鈍い痛みを主張するのだ。そんな事件に……。わたし、事件が起きてすぐ連絡されてたら早引きしてでも向かったと思うけど、きっとまた居た堪れない気持ちになったんだろうな。俯いた姿勢で、ちらっと安室さんを盗み見る。まるで哀れんでいるような眼差しだった。


「…でもわたし、助手ですから……安室さんの関わる事件には立ち会いたいです…」
「…そう言うだろうとは思ったけど」
「そ、それに安室さんも助手のわたしに一報入れる義務はあるんじゃないですか…?!まるで用なしといわれたみたいです!」
「用なしだなんて思ってないさ。君にはいつも助かってるよ」


イスに深く腰掛けふうと一つ息をつく安室さん。言われた言葉は素直に嬉しくて、わたしの表情筋は喜びたい気持ちとまだ怒ってるぞという気持ちで混乱気味になる。安室さんがよくわたしに呆れてるのは知ってるつもりなので、褒めてもらえるとすぐコロッといってしまうのだ。きっと安室さんも優しいことを言えばわたしが無力化するのを知ってるのだろう。現にもう許していいかと思えてきてる。


「えっと、まあ、今回はいいですけど…」
「いいのか?」
「い、いいです!でも次は絶対連絡してくださいよ、わたし助手なんですから!」
「ああ、わかったよ」


わかったと言った安室さんの表情には存外、反省の色はなかった。安室さん、ずるいよなあ…!かっこいいからって、わたしが安室さんのことすきだからって、何しても許されると思ってるんじゃないか?!いくらわたしでも、安室さんにぞんざいにされたらヘコむよ!恨みがましく睨むも安室さんは目を細めてうっすら笑みを浮かべるだけで、ちっとも効いてなさそうだ。


「や、約束ですよ…!」
「ああ」


即答はしてくれる。全然楽しくなさそうなのに表情だけ笑顔だ。そんなうわべだけの安室さんの感情がわからなかった。なんだかすっきりしなくて、手持ち無沙汰の両手でティーカップを包んだ。ふと、視線を落とした先に安室さんのそれが目に入る。


「すいません、安室さんの紅茶、口つけちゃいました…」
「気にしないから大丈夫だよ。そもそも僕がそうさせたんだから」


安室さんはさらっと言いのけ、左手でダージリンのティーカップを持ち上げた。トリックを聞いたから、わたしが口をつけたのとは反対側になるというのはよくわかった。もしこれ見よがしに同じところに口をつけられたら死んでしまうところだった。とはいえ、反対側だとしたって…。恥ずかしくて見てられず俯く。わたしが気にするよ!安室さんも気にしてくださいよー…!





しばらくして、ちょうどいい時間になったので二人で部屋を出た。わたしだけ午後からシフトが入ってるので、安室さんがポアロまで送ってくれるのだ。昨日の罪滅ぼしだと言う彼に今度こそお言葉に甘えようと頷いた。前は安室さんにいじわるなことを言われたせいで恥ずかしくて逃げたんだよなあ。あのときは結局電車が遅延してて遅刻してしまったのは申し訳なかった。


「そういえば安室さん、誰か探してるんですか?」


安室さんが鍵を閉め、マンションの外廊下を歩いていく途中でふと思い出した。隣を見上げる。


「誰から聞いた?」


話題の一つとして何となしに切り出したのだけど、安室さんの反応はあまり良くなかった。肯定されてどんな人かを教えてもらえると思っていただけに内心驚いてしまう。声音もどことなく硬くて低い。動揺しつつも正直に答えるしかない。


「コナンくんですけど…昨日会ったって言いましたよね、そのとき…」
「ああ…名前は聞かなかったのか?」
「はい…」


「そう」わたしを見下ろす安室さんに、引きつった笑みを浮かべる。なんか駄目だったかな。十階のエレベーターホールに着き、安室さんが下向きのボタンを押すと、右側のドアの向こうのロープが動いた。階数表示のパネルには3の表示がされていた。


「どんな人なんですか?」
「気にしないでいいよ。昨日の用事っていうのもその人に会いに行くことだったんだけど、いつの間にかいなくなってたんだ。お金を貸してたから返してもらおうと思ってたんだけど」
「え?!大変じゃないですか!」


思わず大きな声を出してしまう。それって失踪ってやつじゃないか、全然大丈夫じゃないのでは…?隣に立つ安室さんを見上げるも、当の本人は上着のポケットに手を入れ、何食わぬ顔で斜め上に目を向けていた。


「まあ、よくあることだから…お金も大した額じゃないし、とりあえず連絡を入れて様子を見ることにしたよ」
「へ、へえ…」


ほんとに大丈夫なの…?安室さんって意外とのん気なのかもしれない。自分の立場で考えると、お金の貸し借りをするって結構気心知れた仲の人だと思う。そんな人と連絡が取れなくなったら普通心配になるだろうに。そこまで考えて、ハッとする。


「ちなみに性別は」
「男だな」
「へ、へえー」


気まずくて目を逸らす。タイミング悪く無人のエレベーターが来て、狭い密室に二人きりになる。や、やばい……杞憂だったけど、やぶ蛇だったな〜!「ふっ…」隣で安室さん笑い声押し殺してるよ!


「だ、だって安室さんの周り、女の人多いんですもん…!」
「何も言ってないだろ…」
「笑ってるじゃないですか!」
「ごめんごめん。あまりに君がわかりやすくて」


あははと笑う安室さん。こういうときいつもどういうリアクションをしたらいいのかわからない。ただただ恥ずかしさのあまり、穴があったら入りたい気持ちと、こらー!って怒りたい気持ちが混ざってよくわからないのだ。安室さんはなんでいっつもこんな、おとなっぽくてかっこいいんだろうなあ!自分の子どもっぽさが嫌になるよ。


「安室さんって絶対女性経験お有りですよね…!」
「え?……まあ人並みには…」
「わーーーん!!」
「二十九年生きてるから、そりゃあね」
「そうですよねこんなかっこよければ世の女性が放っておきませんよね」


そしてわたしに「君はどうなの?」とは聞かない!無関心!いいですよどうせ聞かれてもありませんって答えるしかないんだから!いっそ聞かないでくれた方がいいわシュレーディンガーの猫だ!


「…あっはは…!」
「も、もう笑わなくたっていいじゃないですか…!」
「あははっ、ごめんごめん……くっ…」


クックッと堪えてるけど肩震わせてる。聞き返されなかったことに不満を感じてることすらわかってそうだ。恥ずかしい。くそ〜!言い返す言葉が出てこない!


「君はほんと、のん気だなあ…」


それは安室さんもですよ!


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