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 全身を叩きつけられる衝撃で目が覚めた。顔面も打ちつけたらしく特に鼻が痛い。寝そべる床の馴染みのない感触と、黒一色の視界を眺めながら、脳がだんたんと覚醒していく。「やべ、落ちた」「起きては…ないな」上のほうから声が聞こえてきて、ようやく頭が回転しだす。叫びそうになる衝動を抑えられたのは褒めてほしい。

 心臓がバクバクと騒がしくなる。上がる呼吸がバレないよう必死で落ち着かせるけれど、気味の悪い汗が背中に滲んでいくようだ。誘拐?なんで?混乱しながらも、自分が知らない間に気絶させられて、今どこかに連れて行かれていることだけは理解していた。手足をさり気なく動かしてみるけれどロープか何かでしっかり拘束されていてビクともしない。全体の振動と独特の匂いから、ここが車内であることはすぐにわかった。おそらくわたしはさっきまで後部座席に寝かされていたところを、急ブレーキか何かで足元に落ちたのだろう。顔が見えない向きで落ちたのはよかった。地面にちゅーはしたくなかったけれど。
 ……どうしよう。このまま気絶した振りしてていいのかな、だってどう考えてもこの状況、何か良くないことに巻き込まれてる。たぶん、尾行がバレてしまったのだ。でもだからってなんでこんなことになるのか。さっきの会話を聞くに、運転席と助手席に男が座っている。横目で何とか見てみたところ、この車は三列目のない五人乗りだ。乗っているのはわたしを含めて三人。一人は、たぶん尾行してた男だ。もう一人はどこから現れたんだろう。それにどこに向かってるんだ。わたしは、どうなるんだろう。

 ……こわい。


「おい」


 ビクッと硬直する。起きてるのバレた?!一層激しくなる動悸が全身にダイレクトに伝わってくる。「さっきから携帯うるさいぞ」……わたしのことじゃないみたい、だ。ほっと息を吐く。「後ろの女のだよ」その言葉にまたドキッとする。


「何度も安室透って奴から着信がくんだよ。こいつの男じゃねえの?」
「ロック解除できないのか。指紋認証とか」
「それができる機種じゃねえよ」


 あ、安室さん…。名前を聞いてじわりと涙が滲む。あのメッセージを送ったきり音信不通だから心配してくれてるんだ。気持ちの悪い拍動が和らいで、少し落ち着けた。いけない、鼻水出てきた。すすったらバレる。
 何とかこの状況を伝えたいけど、荷物は男たちに取り上げられてしまっているみたいだし、手も使えないしでどうしようもない。ああ資料持ってこなくてよかった。きっとこの人たちは、わたしをただの大学生だと思っている。会話からして安室さんが探偵というのも気付いてないみたいだ。


「にしてもこの女はなんでおまえを尾けてたんだろうな」
「……まさか、若い男っていうのは嘘で本当はこいつが探偵なんじゃ」
「探偵だったら普通に撒いてもらおうと思ったけど。でも一般人なのは間違いねえよ。さっきあいつと探偵が電話してたみたいだしな」
「だが、連れてきたのやっぱりまずかったんじゃないか?大体おまえがいきなりスタンガンなんて使うから…」
「試しに使ってみたかったんだって。本人目の前に効かなかったら意味ねえだろ?」
「それならせめてどこかに置いておけば」
「知らない間に目ェ覚まされて通報されたらどうすんだよ」


「まあ、落ち着けよ。女のことは全部終わってから決めようぜ」助手席の男がそう言い、会話が一旦途切れる。訪れた静寂に、わたしの心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思えるほど、バクバクと騒がしくなっていた。探偵と電話、スタンガン、本人目の前に、全部終わってから。会話の内容から、男たちの目的がだんだんわかってくる。そして、このままだとわたしも無事では済まないことまでも。


「でもラッキーだったよな。盗聴器仕掛けた日にたまたまおまえが監視されてるって知れてよ」
「私立探偵の若い男にってな。名前がわからなかったのは残念だが、そんなのも今日が終わればどうでもいいさ。……お、ここだ」


 ゆっくりと車が止まる。この体勢では外の様子はうかがえない。それに、変な風に落ちたからさっきから足の関節がきついのだ。「向かいの家の前に車が止まってやがるな……見られたら面倒だ。早く行くぞ」男たちが車を降り、後ろのトランクから何かを取り出す音が聞こえる。それがバタンと閉まり、足音が遠ざかって行くのを耳にする。
 逃げるなら今しかない。けれど、もしかしたら見張られているかもしれないという恐怖心が、わたしの身体を硬直させたままにしていた。動いた瞬間、ころされるんじゃないかと。我慢していた鼻をすするとなんだか変な感じがした。

 コンコン

 ビクッと肩を跳ねさせる。まどをたたくおと。いよいよ恐怖で震えだす。


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