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「あれ?こちらに何か用ですか?」


 玄関前に立つ男二人に声をかける。両方帽子を深く被っていて判別しづらいが、段ボールを小脇に抱えた方は予想通り昨日まで監視していた男だった。もう片方の男も同年代か少し上くらいのようだ。その男のズボンのポケットが不自然に膨らんでいるのを確認し、再び彼らの目を見る。隠してはいるが、動揺をはらんだ目だ。


「い、いえ、ちょっと届け物を」
「そうでしたか。でもこの家、留守だと思いますよ。なんでも出先で娘さんが体調を崩したとかで。ついさっき車が出て行くのを見ましたから」
「え、でも明かりが…」


「防犯じゃないですか?最近は物騒な事件が多いですからね」挑戦的に笑みを浮かべて返せば動揺の色が濃くなる。もちろん家の明かりがついているのはわざとだ。ここで彼らを引き返させるわけにはいかない。


「そ、そうなんですか?なら日を改めることにします」
「なんなら僕が預かっておきましょうか。すぐそこの家なので」


「い、いや」「遠慮なさらずに」適当に近くの一軒家を指差し善意を前面に押し出した笑顔で一歩詰め寄ると、段ボールを抱えた男がドアへと一歩後ずさる。
 と、ガタン、と家の中で物音が響いた。ハッと顔を向けると、男たちの背後にある玄関ドアの向こうに、人影が見えていた。――依頼人だ。おそらく彼らにも見えただろう、手ぶらの方の男がしめたと言わんばかりに笑みを浮かべた。


「やっぱりいるみたいですね!」
「え?あれ、いや、そんなはずは…」
「では我々は大丈夫なのでこれで」


 切り上げられそうになったところでポケットに手を入れ操作すると、すぐに手ぶらの男のポケットからバイブレーションが聞こえてきた。やはり持ってきていたな。まあ、車内に置きっ放しにして目が覚めた彼女に使われるわけにはいかないから当然だろう。


「あれ、着信じゃないですか?出なくて大丈夫ですか?」
「え、いや……ではお言葉に甘え、て!」


 ポケットに手を入れた男が、黒い物体を取り出すや否や一歩踏み込みそれを突き出してきた。小さくかわすと同時に右腕を引っ張り腹に一発決め、難なく落とす。握られていたスタンガンが地面に落ちた。「ひっ…」逃げようとした監視対象の男の腕を引っ掴み地面にねじ伏せる。男の呻き声は無視し、玄関のドア越しに待機しているであろう依頼人に声をかけた。


「ロープをお願いします」
「…おお、素晴らしい!安室探偵はお強いんですねえ」
「はは、たまたまパンチがいいところに入っただけですよ。それより、物音のタイミングばっちりでした。ありがとうございます」


 ドアを開けた依頼人の賞賛を受け取り、準備してもらっていたロープで男らを拘束する。その間に依頼人が通報したところによると、警察はすぐに駆けつけられるようだった。
 結び終え、「それじゃ、少しだけ見張りをお願いします」気絶している方の男のポケットを探り彼女の携帯を取返し、隣の男からは車のキーを拝借する。「おまえ、安室透か…?」ゆっくりと、俯いていた顔が上がる。随分と恨みがましい目つきだった。


「そうだが」
「くそ、探偵だったのかよ…てことはあの女、おまえの手先か。わかっていれば連れてこなかったってのに…」
「……」


 男の恨み言には返事をせず、その場を後にする。無意識に走り出していた足で門をくぐり、そばに止めてある黒い乗用車のロックを外し真っ先に後部座席のドアを開け放つ。





 彼女はこちら側に向いたまま、俯きながら正座をしていた。先ほど男らが家の敷地内に姿を消したあと、陰に隠れていた僕は目を盗んで窓を叩き、もう大丈夫だから待っていてくれと伝えた。あれから十分も経っていないと思うが、彼女はまだ座席の足元にいた。寝そべっていた体勢から変わってはいるが、それは果たして楽なのか。両手両足を縛られているとはいえ、てっきり座席に座り直していると予想していただけに少し驚いた。それにまるで、頭を垂れ謝られているようで落ち着かない。


「大丈夫か?」
「……はい」
「今ほどくから、顔上げて」


 とにかく、無事でよかった。内心ひどく安堵していた。あとは顔を見られたら。思いながら屈み、彼女の肩に手を置く。
 その瞬間、ポタッと一滴、何かが落ちるのが見えた。俯いた彼女の顔からだ。咄嗟に下を見るが車内の床の色と暗がりが相まって確認できない。が、今の黒い水滴は、血ではなかったか。


「怪我をしてるのか?!」
「ち、ちが」


 まだ俯いたままの彼女の頬を左手で挟み無理やり上げさせる。そして一時停止。「……」


「はなぢれす…」


 一日ぶりに見る彼女の顔は、おそろしく間抜けだった。



◇◇



「違うんれす、急ブレーキで床に落っこちて顔面打ったせいなんれす」鼻声で必死に弁明する彼女に相槌を打ちながら、服が鼻血で汚れるのを避けるためまずその場で手のロープを解き、彼女のカバンから取り出したティッシュで鼻を押さえさせたあと座席に座らせ足の拘束を解いた。自力で解こうとしたのだろう、鼻を押さえる手首にはロープの痕が痛々しく残っていた。それを見て、罪悪感から胸が痛む。


「待っていてくれれば助けたよ…」
「そ、そうれすけろ、早くほろきたかったんれす、すいません……う、うえ〜…」


 打ち所が悪かったのか鼻血がずっと止まらないらしい彼女はこのタイミングでぐずぐずと泣き出した。責めたように聞こえたか、さっきまでの彼女の身に起きた恐怖を思うと罪悪感は募るばかりだ。腰を屈め、落ち着かせるように頭を撫でる。


「怖かったよね、すまない」
「うー…それもあるんれすけろ、こんな鼻血なんか出してるのがかっこわるくてえー…」
「……はは…」


 ぎゅっと目をつむり涙をこぼす彼女に、気の抜けた笑い声が漏れる。今さら何をかっこつけたいんだか。君は本当に、ばかというかなんというか。
 嘘は言ってないだろうが、拉致まがいのことをされて怖くなかったはずがない。そんな目に遭ったのが自分のせいだと思うとこのままにしてはおけなかった。今回は彼女の不運ではなく、僕が依頼人に自分以外の存在を伝えなかったことが原因だった。それをしていたら犯人は、を拉致しようとは考えなかったはずだ。
、」しかし丁度警察が到着したらしく、向かいから一台のパトカーがやってきた。…タイミングが良いのか悪いのか微妙なところだな。仕方なしに具合を聞き、頷いた彼女と共に警察の事情聴取を受けることにした。

 監視していたのとは別の男は以前、依頼人に秘密がばれ会社を解雇されたのだそうだ。その逆恨みで、同期だった男と協力して犯行を計画していたらしい。依頼人の自宅に盗聴器を仕掛けたのは前日。丁度今日の夜、妻と娘が友人の家に遊びに出かけ留守であることを知り、犯行を決めた。しかし同時に、専務と電話をした際男の探偵を雇っていることを知ったので、今日監視されていないことをもう一人の男が確認していたのだという。自殺に偽装するための道具は予想通り、男が抱えていた段ボールに入っていた。

 事情聴取も済み、解放された僕たちは向かいの家の前に停めていた僕の車に乗り帰路についていた。盗聴器の件は警官に任せたので心配ないだろう。
 助手席に座るは安心したように背もたれに深く寄りかかっていた。鼻血はポケットティッシュを使い果たしてようやく止まったらしい。


「すっかり遅くなったし、どこかでご飯を食べて帰ろうか」
「はい!」


 いつも通りの彼女に小さく笑う。「もう元気出たんだね」そう言うとはまた大きく頷く。「怖いのは安室さんが来てくれて終わってましたよー!」なんと哀れなことかと思う。僕のせいで君はこんな目に遭ったというのに。バツが悪く、彼女の笑顔から逃げるように正面に視線を戻した。強がりでもなくにこにこと笑いのけてしまう彼女に、僕は言わなければいけないことがあった。


「……あ、そうだ。これ」
「あ、携帯!ありがとうございます!」


 男から取り上げたのを忘れていた。左手で内ポケットから取り出し返すと、受け取った彼女は電源ボタンを押して画面をつけた。「わーほんとに安室さんからの着信が連なっている…一生ロック解除したくない」目を輝かせ嬉しそうに抱え込む彼女には苦笑いをしておき、また正面に戻す。信号が赤に変わり、車を停止線で止める。

 この件が済んだら離れよう。もう二度と来ないよう突き放し、僕も姿をくらませる。そう、決めていた。





「はい?」従順な目で僕を見るのが視界の端でわかる。それと合わせるように顔を向ける。

 君に正体がばれるわけにはいかない。僕がしていることを知られてはいけない。君の存在が組織に知られてはいけない。このままそばに置いておけば、の存在が僕の弱点になるのだ。だから、早く離れないといけない。そうでなければ。

 そうでなければ、守れるよう、囲い込んでおかなくては。


「君を助手にするよ」


 途端、の目が大きく見開かれる。口もぽかんと開いたままだ。携帯を握り締める手に力が込められたのがわかる。目が潤んでいるのは、さっきの名残だろうか。「あは、はは……わたしまだ助手じゃなかったんですか…?」そう、力なく笑う彼女の目からはまたぽろぽろと涙が溢れていた。それを見て安堵する僕も大概だ。ふっと笑い声が漏れた。

 これ以上近くに置いていてはいけない。離れるのが正しい判断だと頭ではわかっている。だが、ただ漠然と、離れがたいと思った。君にはきっと、もう放っておけないくらいには情が移っているんだろう。だから覚悟を決める、君を巻き込まない形でそばに置いておく。
 この先僕は、君を嬉し泣きなんていいものじゃなく、傷つけて泣かせることになるかもしれないけれど。

 青信号になりアクセルを踏む。ゆっくりと動き出した車の中ではが泣きながら、より一層頑張りますだとか助手としての抱負を述べていた。うんうんと相槌を打ちながら、下した決断に心持ちがだいぶすっきりしていることを自覚していた。運転中じゃなければ頭でも撫でて泣き止ませてあげたかったところだけれど、あいにく両手を塞がれた今ではそれは叶わなかった。



 しばらくして泣き止んだ彼女は、沈黙を破るようにそういえばと問いかけた。


「安室さん、わたしが乗せられた車が依頼人の家に向かってるってわかってたんですよね。どうしてですか?」
「ああ、発信器だよ」
「発信器?」


 きょとんと目を丸くする彼女を横目に頷く。「念のため君のバッグに仕掛けておいたんだ。気付かなかった?」我ながら白々しくのたまうと彼女はえっと驚きバッグを漁り始めた。外側のポケットの一番底に入れたのは実際のところ三ヶ月前のことだけれど、彼女はまったく知らなかったらしい。確かに滅多なことでは使わない部分ではあるが、彼女の不注意さは今後指導していく必要がありそうだ。そんなことを考えているのが楽しいことに気がついて内心自嘲気味に笑う。「あった……すごい、全然気付きませんでした」差し出された黒いアダプターのようなそれを受け取り、フロントガラスの手前に置いておく。もう彼女には用無しだろう。今さら疑う余地もない。


「やっぱり安室さんのおかげですね!」
「…うん」


 ああでも、僕はこの罪悪感を一生抱えていくのか。思うと少し気が重くなったが、それでも彼女を手離すことと天秤にかけたら結果は見えているので、ここに来て負けた気がしてくるのだった。


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