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 どきどきの三十分間が過ぎ、喫茶店の外に出る。依頼人である二十代の女性はわたしたちに向き直り、改めて「本当にありがとうございました」とお辞儀をした。にこりと愛想のいい笑顔で返す安室さんと並んでわたしも小さくお辞儀をする。


「また何かありましたらお気軽に」
「はい。では失礼します。…お勉強頑張ってくださいね」
「……はい!」


 投げかけられた激励には一瞬詰まってしまったけれど、作り笑いで返事をしてみせた。ここにきて今さら変なことは言えない。
 彼女が遠ざかっていくのを見送り、安室さんが踵を返したのに倣ってあとについていく。「安室さん、本当にこれでいかなきゃいけないんですか」すぐ近くの駐車場までの道のりを歩きながら隣に並ぶ彼に問い掛けると、二つ返事で「もちろん」と返されてしまう。不服な肯定には頬を膨らませざるを得ない。恨みがましく見上げると、そんなわたしを見下ろすなぜか楽しげな安室さんと目が合った。


「ちゃんと助手とは言っただろう?」
「そうですけどー…」


「彼女は親戚で、大学で専攻している学科の勉強のために助手として働いてもらっているんです」前回の会合のとき、初めて同席した場で安室さんは白々しくもわたしをそう紹介した。晴れて公認助手となった喜びに打ちひしがれていたわたしは聞いて大層驚いたものだ。まさかの親族である。ぎょっとして安室さんを見上げるも「ね?」と有無を言わせない笑顔の圧力に撤回する勇気もなく、ビシッと背筋を伸ばしてそうなんですよろしくお願いしますと頭を下げたのだった。
 でも、もちろんわたしは、そんなお手伝いさんみたいなポジションを狙っていたんじゃない。もっとがっつり安室探偵の助手!という確固たる関係を構築して依頼人にもそういう紹介でいく気でいたので、なんだか肩透かしをくらった気分だ。そんな膨れっ面のわたしに安室さんは眉をハの字にして、まるで子供をなだめるかのように笑った。


「客観的に見て、僕みたいな探偵に女子大生の助手がいるなんてのは説得力に欠けるだろう」
「そんなことないです!」
「そんなことあるんだよ。何か訳ありの方が話は早いんだ」


 ぐうと言葉に詰まる。確かに安室さんの言う通り、最初は訝しげだった依頼人の目がその説明で納得の色を見せたのは否定できない。それに、安室さんはこう言うけれど、問題があるのは安室さんじゃなくてわたしのほうだというのもなんとなくわかる。よく考えたら大学生が助手の探偵なんて聞いたことがないし、まだ若い探偵に女子大生がひっついているのは、依頼人からしたら緊張感に欠ける、のかも、しれない。これ以上は文句言えないかあ。
 駐車場に着き、車の助手席に乗り込む。返す言葉なしと黙り込むと、必要ないときは言わないよと優しく諭されてしまう。はい、とかっくり頭を垂れると、仕方のなさそうな小さな笑い声が聞こえてきた。

 しかしとにもかくにも、周りに何と説明されようと安室さんの助手として認められたのは確かなので、今までのように運良く居合わせて仕事の片棒を担ぐのではなく、これからはちゃんと業務の一部を任されるようになる。わたしはスカスカの大学の時間割と、スカスカのバイトのシフトを毎回連絡し、安室さんは依頼が来たら随時わたしに伝えるというルールを作った。
 シフトは書き込んでくれたほうがわかりやすいと部屋の壁掛けカレンダーを指して言われたので、安室さんの家に着いてからコーヒーを淹れてもらっている間に早速、携帯の写真と交互に見ながらキュッキュと青ペンで書き込んでいった。真っ白だったそこにわたしの字だけが増えていく。いいのかな、と一人背徳感にむずむずしながら半月分を書き込み終えると、安室さんがキッチンカウンターから声をかけた。


「ブラックじゃ嫌だよね?」
「あ、できたらお砂糖欲しいです!」
「ミルクは?」
「いります!」


 了解、と短く返し戸棚に身体を向ける安室さん。わたしも、口がにやけてしまうのを隠すため顔を背ける。な、なんか、助手になってから急激に距離が縮んだ気がするのは気のせいだろうか。最初から優しかったとは思ってるけど、なんというか……うまく言えない…。とにかく、心臓がむずむずする頻度が増えた気がする。これはわたしが安室さんをますますすきになってるってことだけなんだろうか。わーわたしこのままやってけるかなー。


「書き終わった?」
「あっ、はい!」


 パッと振り返るとトレーにコーヒーカップを二つ乗せた安室さんが立っていた。慌ててお礼を言いテーブルに戻る。安室さんが滑らかな動作でそれらと角砂糖の入ったビンとミルクが入った小さなビンを並べ、優雅なティータイムが始まる。いつも思うけど、一人暮らしの男の人の家にこんな洒落た物はなかなかないよなあ。というか女のわたしの家にもないよ。シュガースティックしかないよ。いつか安室さんが我が家に来てくれたときのために準備しておくべきかもしれない。安室さんもときどき砂糖類を使うし、優雅に入れるには角砂糖が最適だろう。その通り、ぽちゃんと角砂糖を入れながら考える。「コーヒー飲めてよかったね」ちょっと茶化しながら言う安室さんに目を瞬かせる。すぐに合点がいき、苦笑いしながら頷いた。

 そう、今日のわたしはとてつもなくコーヒーの気分だったのだ。なので依頼人との会合に赴いた喫茶店でも意気揚々とコーヒーを注文したのだけれど、驚いたことにバーカウンターから出てきたのはなぜか抹茶オレだった。前でコーヒーを受け取った安室さんも目を丸くしていたから、多分わたしの言い間違いじゃなくて店員さんの勘違いだったのだろう。全然嫌いじゃないしわざわざ変えてもらうのも申し訳ないのでそのまま受け取ったけれど、やはりコーヒーの口は抹茶オレでは満足してくれなかった。我、カフェインを求む。それがようやく満たされるときがきたのだ。
 ミルクも合わせてティースプーンでカラカラかき回す。その間安室さんは壁掛けカレンダーに顔を向けていた。


「前から思ってたけど、あんまり入ってないんだね、バイト」
「はい!できる限り安室さんの仕事についていくためです!」
「まあ、助手になっても依頼はいつ来るかわからないからね」


 苦笑いする安室さんを見上げる。助手公認となった日に、アルバイトとして雇って給料を出そうかと安室さんが提案してくれたのだけれど、即座に断った。バイト代が欲しくて助手になりたかったんじゃないし、完全にわたしが無理を言ってやらせてもらっていることなので、それで安室さんにお金を支払わせるなんてことは絶対にさせたくなかった。元々大学一、二年生のときはスーパーアルバイターと友人に引かれるくらいアルバイトに明け暮れていたので貯金には余裕があるし、基本的に生きていく中での出費も少ない人種だと思うのでバイトが入れないことによる金銭面の心配はしていなかった。まだ両親の脛をかじっている状態なので、偉そうなことは言えないけれど。問題といえば、あまり入らないわたしに店長が睨みを効かせてるような気がすることくらいだろうか。


「なるべく依頼人には君が来れる時間にするよう頼むから、あまり気にしなくていいよ」
「とか言って安室さん、今回の依頼だってわたしに黙って受けるつもりでしたよね!」
「女性のストーカー相談だったんだから当然だろう。君に気を遣ったんだ」
「それは嬉しいですけどー…!」
「今度から依頼内容は伝えるようにするから」
「絶対行きますから!」
「はいはい」


 呆れたように笑う安室さんはやはりなんだかんだ楽しげで、わたしはこの間からその謎が解けずにいた。何か心境の変化でもあったんじゃないかと睨んではいるけれど、本人に聞いても気のせいだとかわされてしまって未だ究明は叶っていない。根拠といっても安室さんの節々に見られる挙動がなんとなく前より機嫌がよさそうに見えるって程度だからどうとも言えないし。でも何かいいことがあったんじゃないかなあ、また尾けてみようかな。安室さん、わりとお出かけ多いし。毎回一瞬でバレるのだけれど、おかげで尾行スキルは上がっていっている気がするし無駄なことじゃないと思う。安室さんの迷惑はおいといて。
 もちろん、こそこそ尾けたりするより、二人でどこかへ出かけたりできたら、何億倍も楽しいと思う。何となくカレンダーに目をやると、突然、ピンとひらめいた。100ワットの電球が光った!


「安室さん、当分は依頼入ってないんですよね?」
「今のところはね」
「じゃあ、助手公認のお祝いにデート行きませんか!」
「自分で言うのか。しかも今さら?」
「だってすぐストーカー被害の依頼が来て連日身辺警護で時間なかったじゃないですか!」
「んー…」


 コーヒーに口をつけながら思考する安室さんをじっと待つ。なんたってデートにこぎつけるチャンスだ。何が何でも頷いてもらわないと困る!たぶん最初は断られるだろうからと、畳み掛ける文句を頭の中でどかどか並べていく。闘志と期待に目を燃やしながらガン見していると、安室さんはふとコーヒーに目線を落としたと思ったら、わたしと目を合わせた。


「いいよ」


「…え?!やった!!どこにします?!」まさかこんなあっさり頷いてくれるとは!興奮のあまりバンッとテーブルに手をついて身を乗り出してしまう。それには若干引かれたけれど、安室さんは「僕に任せてくれないか。連れて行きたい場所があるんだ」と何でもないように言うのだった。
 すぐさまもちろんと頷いてから、首を傾げる。突然のお誘いだったのに、安室さんは一体どこに連れて行きたいんだろう?


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