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てっきり大尉が飛びついた若いお兄さんが飼い主なんだと思ったけれど、コナンくん曰く「猫は真ん中の人に惹かれる習性がある」らしく大尉のお持ち帰りは一旦お預けとなった。今は、コナンくん発案のとある実験を行うために準備をしている最中で、わたしはこの時間を利用して安室さんに飼い主候補の三人について説明を受けていた。

一人目の舎川というおばあさんは、本当の飼い主である孫娘さんの代わりに大尉を引き取りにきた。大尉は二ヶ月前に行方不明になっていて、ずっと探していたんだそうだ。五年前に撮った写真もあり、舎川さんと孫娘さんと、大尉と思われる小さい仔猫が写っていた。
二人目の飼い主候補はIT企業の社長である益子さん。四ヶ月前、奥さんが亡くなったのをきっかけに引っ越しをした際、大尉が行方不明になってしまった。奥さんと猫が写った写真を持っていたが、益子さん自身が撮影したので写っていなかったと言う。
三人目は雨澤さんという若い男の人だ。放し飼いをしていたら半年くらい前から大尉が帰ってこなくなってしまった。写真など証明できるものはない。ただ、動物に好かれやすいらしく、人見知りするゴロちゃん(毛利さんの奥さんの飼い猫だそうだ)もすぐに懐いたという。自由を好むというのも本当で、大尉はメスだとコナンくんが言うと、じゃあ違うかもとあっさり意見を翻したのだとか。


「ちなみに、あの猫には去勢手術の跡があり、術後の猫について舎川さんは「なかなか包帯が取れず抜糸するまで一週間くらいかかった」、益子さんは「首にパラボラのようなカラーを巻いていた」、雨澤さんは「拾った猫だから知らない」と回答している」
「ほお…?」
「これも情報の一つだよ」


ふっと笑う安室さん。やっぱり安室さんはもう答えがわかってるんじゃないだろうか。でも、だったらどうして言わないんだろう。一応依頼主って立場だからかな?首をかしげながら、自分の推理も進める。安室さんに聞いたら答えを教えてくれちゃうかもしれない。それはもったいない。わたしも助手として、自分で考えられるようになりたい。そのためには……。


「じゃあ梓さん、大尉と一緒に外で待っててくれる?」
「ええ」
「コナンくん、わたしも行っていい?」


コナンくんに駆け寄り名乗りをあげる。このまま安室さんと一緒にコナンくんの実験を見学するのもいいけど、ちょっと離れて考えてみたかった。後ろで安室さんがどんな顔をしてるかわからなかったけれど、「うん、いいけど…」キョトンと目を丸くしたコナンくんにお礼を言ったあと一瞥すると、安室さんも目を丸くしてわたしを見ていた。


「何もしないで、大尉だけ見てくれてればいいから…」
「わかった!待ってる間、誰が飼い主なのか考えてるね!」


そう言うとコナンくんは、あ、うんと乾いた返事をした。安室さんに振り返りぐっと親指を立ててみせると、彼は肩の力が抜けたみたいに半笑いを浮かべたのだった。

事務所を出た踊り場ではトレーに入ったキャットフードを頬張る大尉のそばで見守るように梓さんがしゃがんでいた。邪魔にならないよう、わたしは三階に続く階段に腰を下ろすことにした。部屋の中の声は言葉としては聞こえない。実験って何をするんだろう。
そもそも本当の飼い主は誰なんだろう。あの三人の様子を見るに、誰が飼い主でもおかしくない気がする。でも舎川さんだったら、孫娘さんと一緒に来ればいいのにと思わないでもない。益子さんは自分が写った写真を見せてほしい。でも証拠って部分なら誰一人確実なものはないんだよなあ。ていうかそんなのがあったら今頃みんな解散してるよ。
じゃあ最後に安室さんが言った去勢手術とやらがヒントになってるのか?そういえば舎川さんと益子さんは、同じ去勢手術を行ったのに処置の仕方が違った。病院によって違うだけかもしれない。抜糸に一週間かかる大掛かりな手術とパラボラみたいなカラーだけ……いや、全然違う。そこまで違うものなの?


「難しい…」


思わず零すと同時にドアが開いた。俯いて考えていた顔を上げる。開けた人は舎川さんだった。


「ほら、ムギちゃん。私よ、わからないの?」


飼い主候補と大尉を一人ずつ会わせてく戦法なんだ。実験の意図をなんとなく察したわたしは咄嗟に大尉の反応を見る。わたしたちと同じく大尉も音に反応して舎川さんへ首を向けていたけれど、やがてプイッと背いて餌を食べ始めてしまった。「ムギちゃん!」舎川さんの焦った様子が見える。大尉のこのリアクションは、違うってことなのかな。


「や、やっぱり飼い主の孫娘じゃないとダメみたい…」
「いや…お孫さんでも同じだよ」


「だっておばさんが探してる猫はその猫と違って、メスだから」事務所の中からそう断言したコナンくん。彼も大尉の反応を見る前から舎川さん家の猫じゃないとわかってたみたいだった。「そうだよね、安室の兄ちゃん?」コナンくんに話を振られた安室さん曰く、猫の去勢手術後の処置は益子さんが言っていたように首にカラーを付けるくらいで済むもので、舎川さんが言ったような包帯がなかなか取れない手術はおそらく不妊手術だろうとのことだった。つまり、舎川さん家の猫はメス。なるほど、去勢手術の情報で安室さんは舎川さんを飼い主候補から外していたのか。
腰を上げ入り口から事務所を覗き込む。コナンくんは、猫の扱いに慣れてないという点から舎川さんは飼い猫とはたまに会うくらいなんじゃないかと言い当てた。それは見事正解で、孫娘さんが修学旅行に出かけたため世話を頼まれたけれどなかなか懐いてくれず、昨夜、ふと目を離した隙にいなくなってしまったのだと舎川さんは答えた。扉が開いていた場所は全て探したのに見つからず、途方に暮れていたところ例の雑誌を見てここにやって来たのだという。ということは舎川さん、大尉が孫娘さんの猫じゃないって気付いてたんだ。それもそうか、さすがに見間違えるなんてことないよなあ。三毛猫は模様もあるし。


「じゃあ扉が閉まってるところを探してみるといいよ!トイレとかお風呂場とか…」


コナンくんのアドバイスを受け、もう一度探してみるわと慌てて探偵事務所を出た舎川さん。一階へ続く階段を背にしてしゃがんでいる梓さんの真横を通り階段を駆け下りていくその人を見送っていると、梓さんは身体の向きを変えたみたいだった。事務所の扉を正面に、向かいの壁に背中を預ける位置に落ち着いたようだ。確かにさっきの位置だと後ろにひっくり返ったら階段から落ちてしまう。危ない体勢だったのだ。次の実験に移るのだろう、パタンと閉じたドアの音を聞きながら彼女に声をかける。


「梓さん落ちないでくださいね…!」
「ええ、気を付けるわ」


あは、と肩をすくめる梓さんにわたしも笑い返す。一方大尉は、まるで意に介していないとでも言わんばかりにキャットフードを頬張っていた。部屋の中からコツコツと足音が聞こえる。次は誰だろうか。ガチャッと扉が開く。


「ん?」


雨澤さんだ。大尉の反応は、と見遣ると、さっきの舎川さんと同じようにほとんど無反応だった。大尉が最初にここに来たとき雨澤さんに飛びついてたのを考えると少し不思議だ。「お、おいどーしたんだよ?」やっぱり真ん中の人に惹かれる習性って本当なんだなあ。「さっきみたいに来いよ!」だって大尉のこの反応、飼い主じゃないって言ってるよ。


「来いっつってんだろ?!」


怒号にビクッと肩が跳ねる。わたしだけでなく梓さんも顔を強張らせ、大尉はそんな彼女の陰に隠れた。…なに、なんで怒ってるの?さっきまでの軽薄そうな雨澤さんのイメージが一変して本能的に恐怖を感じてしまう。そして確信する。この人は大尉の飼い主じゃない!
もしかしたら悪い人かもしれない。咄嗟に立ち上がり、大尉を庇うように間に立つ。雨澤さんの後ろではコナンくんが、雨澤さんがマタタビを振り撒いてからここに来ていたことを指摘し、本当の飼い主ならそんなことをしないと毛利さんが呆れながら諌めてくれた。言外に彼の悪意を暴くような内容にわたしの拳も力が入る。さっきの怒鳴り声で印象は最悪だ。この人一体、わざわざ何のために来たっていうんだ。


「それにあなたは、コナンくんにあの猫がメスだと言われてあっさり身を引こうとしましたよね?」


さらに問い詰めるように安室さんが言葉を投げかける。猫の性別が違うと言われただけで引き下がろうとしたのは執着がないからだと思っていたけど、どうやらそうではないようだ。


「知ってたんでしょ?あの猫がメスだと何の価値もないことを…」


安室さんが言うには、なんと三毛猫の雄というのは染色体異常で百匹に一匹の割合でしか生まれず、その希少価値から招き猫のモデルにもなっており、最低でも100万、2000万の値が付いたこともあったんだそうだ。寝耳に水な話に思わず振り返って大尉を見下ろしてしまう。大尉がそんな珍しい猫だったなんて、思いもしなかった。


「明らかにその価値を知ってたあなたが、この都会で放し飼いなんてするわけないですよね?」


詰め寄る安室さんの台詞に青ざめていく雨澤さん。そうか、お金が目的だったんだ。そのために嘘をつくなんて、なんて悪い人…「し…」


(え?)


急に振り返った雨澤さんと目が合う。咄嗟のことで動けなかったわたしとは反対に、彼は思いっきりわたしの肩を押しのけた。右方向に勢いよく押され足がもつれる。とと、とブサイクなステップを踏み、三階へ続く階段の一段目に爪先がぶつかった。あ。「失礼しましたァ〜〜〜!!」そんな声を響かせながら階段を降りてく雨澤さんを気にかける余裕もなく、バランスを崩して階段にビタンと手をついてしまう。……ど、鈍くせえ〜〜っ!恥ずかしくてカーッと赤くなってしまう。体幹を鍛えろよ体幹を…!しかもちょっと面白い体勢で倒れ込んでしまったよ!足めっちゃ絡まってるよ!


、大丈夫かい…?」
「は、はい……」


入り口から覗いてるのだろう安室さんの顔は恥ずかしくて見れなかった。「……ふ、…」若干笑いこらえてるな…?!恥ずかしい。倒れ込んでぶつけた脛も痛い。


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