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無事財布の持ち主全員を集めることに成功したものの、すぐに犯人の特定には至らなかった。なんでも遺体の近くに置いてあった黒い五円玉三枚は、本来ならば黒兵衛が「ご・くろー・さん」の語呂合わせでスッた相手の懐に入れるもので、それを置いていった犯人は自分がスられたときに入れられた五円玉を持っていないはず。だから持ってない人が犯人だ、という推論を立てていたのだけれど、財布の持ち主は全員とも、黒い五円玉を持っていたのだ。もちろんわたしも探したらカバンのポケットに入ってた。四人の手のひらに乗る合計十二枚の黒い五円玉。なんだか不気味で思わず顔をしかめてしまう。


「何なの?ポケットに入ってたこの気味の悪い五円玉…」
「それは黒兵衛というスリの置き土産のような物で…」


高木刑事の説明に驚いてハンドバッグの中を漁るのは段野頼子さんという女性。茶色の長財布の持ち主だ。「そのスリ、捕まえたのか?」そう問うのは赤いお財布の持ち主だった杖をつくご老人の坂巻重守さん。彼には目暮警部が、先ほど遺体で発見されたと、トイレの壁に寄りかかっている遺体を目で示しながら告げた。容疑者三人に動揺が走る。そりゃあそうだ。思いながら、居心地が悪くて身じろぎしてしまう。しかも、その上で容疑者扱いされるなんて納得できないだろう。


「あなたも疑われてるんですか?」


顔を上げると、弁崎さんが困ったように眉尻を下げながらわたしを見下ろしていた。あはは、と肩をすくめる。


「そうなんです…」
「ついてないですね。スリに遭ったと思ったら今度は容疑者なんて…」
「ほんとですよねえ」


弁崎さんの言い方は、まるでわたしを哀れんでいるみたいに聞こえた。でも立場的には弁崎さんもわたしと同じなんだけどなあ。苦笑いしつつ不思議に思いながらも、目暮警部から容疑者全員へボディーチェックと所持品調査の依頼が来たためそれに応じることになった。「その代わり私、脂性だから携帯ベタついてるけど我慢してよね!」ハンドバッグを警察に突き出す段野さんは不服そうだったけれど、警察の捜査を断るとのちのち面倒なことになると言われては従うしかないといった感じだ。

わたしもカバンごと警官さんに預け、婦警さんのボディーチェックを受ける。もちろん怪しいものは出てこず、すぐに待機を命じられた。思わず溜め息をついてしまうのも無理ないだろう。周りに人はたくさんいるし知り合いもいるのに、孤独感を覚えるのだ。漠然とした不安も拭えない。わたしは絶対犯人じゃないけど、このまま疑われ続けるのは嫌だった。安心を得たくて携帯に手を伸ばそうとするも、所持品一式警察に預けたことを思い出して項垂れる。安室さんから返信来てるかなあ……安室さんがいたら絶対、わたしが無実だって証明してくれるのに。
眉をハの字にして、警察官にボディーチェックを受けている三人を見遣る。…というか、本当にあの三人の中に犯人がいるの、か。ぶるっと身震いする。さっきから努めて見ないようにしてるけど、殺された遺体の状態は脳裏に焼き付いていた。頭から血を流してた。細長い棒で何度も打ちつけてたって、犯行現場を目撃した阿笠博士が言ってたらしい。その光景を想像して動けなくなる。あんなことをしてしまえる人があの中に、こんな近くにいるんだ。

こわい。

棒のような足をなんとか動かし、そろそろと彼らから距離を取るように移動する。離れた先にはちょうどコナンくんやジョディ先生がいたので、これ幸いと彼らの輪に入れてもらいに近寄った。


「こ、コナンくんー…」
さん、どうしたの?」
「心細くて…一緒にいてください…」


大学生が小学生にすがるものじゃないとはわかってるけど許してほしかった。以前言った通りコナンくんのことは類稀なる天才少年と思ってるので自然と頼りたくなるのだ。本当に、わたしより年上みたいにしっかりしてるよ。「さん、二度目だよね…容疑者になるの」泣き言を漏らすわたしに彼は苦笑いだ。


「うん…でもあのときは安室さんがいてくれたから…」
「…安室さんには連絡取ったの?」
「取ったよ、返事まだ見てないけど…」


ちらっと、バッグを預けた警察がいる方に目を向けると、段野さんと弁崎さんが目暮警部に詰め寄っているのが見えた。腕時計を指しているところから、早く解放してほしいって話だろうと思う。二人の反応はもっともだし、かといってご老人の坂巻さんが人を殴り殺せるとも思えない。でも、スられた被害者という条件としては三人とも当てはまってるのだ。全然わからない。


「あなた、その安室って男のこと随分信用してるのね」
「え?」


くるっと頭の向きを戻す。ジョディ先生がわたしをじっと、見透かすような視線で見つめていた。まるでわたしの些細な機微も見落とすまいと注視しているようだ。さっきも同じような目で見られていたような…。途端に恥ずかしくなって目を逸らす。えっと、あれ、今何て聞かれたんだっけ。「助手なんですって?」弾かれたように顔を上げる。


「はいっ!安室さん、すっごく優秀な探偵なんですよ!」


そうだ安室さん。信じてるよ!ここにいてくれたらどんなに心強いことか。きっとわたしがまた容疑者になったことに呆れて、運が悪いなって言うんだろう。でも犯人だなんて一ミリも疑うことなく信じてくれる。そのことにわたしは、とても安心するだろう。
そこまで考えてハッと気付く。…そっか、安室さん、わたしのことすごく信じてくれてる。だからわたしが疑ぐるようなこと言ったとき、「案外僕のこと信用してないよな」なんて言ったんだ。それなのにわたし、意味わかってなくて、結局、また疑おうかななんて言われてしまった。自分が信じてる相手から疑われるなんて嫌に決まってる。現にわたしも、安室さんから疑われるなんて恐ろしいと思うよ。わたしは他の誰でもなく安室さんからの信頼が欲しかった。

やっぱり、わたしには駆け引きなんてまだ早いんだ!その前に安室さんに、わたしのことちゃんと信じてもらわないと!


「そう…」
「はい!…あ、歩美ちゃん!」


そばにいた少年探偵団に中腰になり、見上げる歩美ちゃんと目を合わせる。


「わたしやっぱり、安室さんにやきもち妬いてもらうのはもっとあとにするよ!」
「えー、どうして?」
「その前にわたしが安室さんをすきだって、ちゃんとわかってもらわないとと思って!」


グッと拳を作ると歩美ちゃんも嬉しそうに、そっかあ、頑張ってね!と笑った。


「あ、これさん!勝手に離れられちゃ困りますよ!」


あっ、バレた。目暮警部に見つかり、すいませんとすぐに駆け戻る。別件でやる気が湧いてきたからか、さっきより心持ち元気になった気がする。他の容疑者の三人のボディーチェックは終わったみたいだけれど、しかし捜査に進展はなく全員手持ち無沙汰のように立っているようだった。注意深く三人を観察してみるけれど、やっぱり全員、ただスリの被害に遭っただけの人にしか見えなかった。


「何を話してたんですか?」
「あ、いえ、何でもないですよー」


ガラガラの声にも関わらず声をかけてくれる弁崎さんに適当にごまかす。容疑者の中で唯一顔見知りだからか気にかけてくれるのはありがたかった。まるでこの人、わたしのこと全然疑ってないみたい。弁崎さんからしたらわたしも容疑者の一人のはずなのに。それでも人から与えられる信用は気分が良くて、わたしも弁崎さんは犯人じゃないって信じようと思えた。


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