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手に入れた配達経路から大体の道筋を追っていくと、思った通り届け先の一軒家の前でトラックを見つけた。狭い路地を塞ぐようにして停まるそれのナンバーはレシートに示されていた数字と一致している。間違いない。両開きのコンテナの前に立っているチーター宅配便の制服を着た男二人を見据える。さらに扉の奥には複数の子供たちの姿も見えた。五メートルほど後方で停車しクラクションを鳴らす。


「すみませーん!この路地狭いから譲ってもらえますか?」


「傷つけたくないので…」車を降り彼らへ近づく。開いた扉の隙間からはコナンくんの姿も確認できた。やはり間違いなさそうだ。あのレシートの暗号は死体の乗った車を示すもの。猫の首輪が冷たかったのは、冷蔵車のコンテナの中に入って出られなかったから。とすると犯人は十中八九この宅配業者の男たち。黙って子供たちが解放されるはずがない。


「た、探偵の兄ちゃん!」
「助けてー!」
「あれ?君たち何をやってるんだい?そんなところで…」


彼らの保護のためにも犯人の制圧も視野に入れていた。まさか偶然通りかかっただけの人間が子供たちの知り合いだとは思ってもみなかったのだろう、子供たちの助けの声に小太りの犯人は動揺を見せた。一方眼鏡を掛けている方はいくらか肝の座った男らしく、こちらに近づきながら親指でコンテナを指し、僕を脅迫する言葉を発した。「ガキを殺されたくなかったらあんたもコンテナの中…」タチが悪いのはこちらだな。判断し、彼の言葉が終わるより先に動く。


「に?!」


左腕でボディーブローを決めると難なく落とすことに成功した。前方に倒れる彼を受け止める。「言ったでしょ?傷つけたくないから譲ってくれと」気絶した彼をアスファルトの地面に寝かせ、さて、ともう一人の男に顔を向ける。相方が倒れ完全に尻込みしている彼に戦意は見受けられなかった。にこりと笑う。


「あなたもやります?」


シャドーボクシングの流れで拳を向けると、彼は尻餅をつき、両手を胸の前で振り降参のポーズをしたのだった。

犯人二人の身柄を拘束するためトラックの運転席に乗せてあったガムテームを持ってくる。逃げられないと悟ったのか、僕が数秒席を外したにもかかわらず小太りの男が逃げ出そうとした様子はなかった。コンテナに積まれているであろう死体と犯人らの関係性はまだ謎だが、いずれはっきりするだろう。ガムテープを引き出し、コンテナの中にいる彼らに笑顔を向ける。


「じゃあコナンくん、このことを警察に…」
「う、うん…」


黒い携帯を持っているコナンくんにそう頼むと、彼は何か言いたげな表情のまま頷いた。声を出すのが憚られる状況だったのか、彼の携帯を使えばあんな暗号を作る必要はなかったと思うが、事の顛末の解明よりまずは子供たちの保護と犯人の拘束が優先される。気絶した男と小太りの男の両手、両膝をそれぞれ交互に縛りながら、その横では少年探偵団の彼らがぎこちない動きで順番にコンテナから降りていた。相当長い時間閉じ込められていたのだろう、身体がかじかんでしまい思ったように動かせていない彼らを横目に、小太りの男の胴体と腕の拘束をしようとしたところだった。


さん?」


反射的に顔を上げていた。コンテナの中から聞こえたコナンくんの声だった。子供たちはすでに男の子二人と女の子一人が外に出ていた。残るは彼を含めた少年探偵団の二人だけのはず。瞬時に、嫌な予感がよぎった。


「まさか…!」


ガムテープを置きコンテナに足をかける。クール便なだけあり中は冷え、明かりがなく暗かった。加えていくらか残っている未配達のダンボールで視界は悪かったが、コナンくんともう一人の少女の姿はすぐに捉えることができた。身長に合っていないコートを身にまといフードを目深にかぶる見慣れない女の子ではあったが、それより二人の視線の先が気になって仕方なかった。


さん!しっかり!」


ダンボールが壁になっているため姿は見えない。しかしコナンくんの呼ぶ名前と緊迫した表情が、自分の中の悪い予感を現実へと変えていった。すぐさま駆け寄り、ダンボール箱の陰を覗く。


「――!」


がコンテナの壁に寄りかかるようにして目を閉じていた。呼びかける声に反応がない。最悪の可能性が、死の文字が、眼前に突きつけられる。頭を殴られたような衝撃。ひゅっと吸い込んだ息を吐き出す間もなく、すぐさまコナンくんたちを跨ぐように駆け寄り彼女のそばに膝をつく。首に指を当て脈を確かめる。……生きている。
はあっと大きく吐く。ひどく安堵した。が、気絶していることに違いはない。息が白くなるほどの環境下でその状態がいかに危険なことかは容易に想像がつくだろう。暗がりでもはっきりわかるほど血色が悪い。口紅を塗っているはずなのに唇も紫色に変色している。頬に涙のあとがある。そっと頬に手を添えるとひんやりとした体温が伝わってきた。間違いない、低体温症だ。


「……」


だらんと床に垂れた指先は白く、凍傷の前兆が見て取れた。なるべく負荷を与えないよう、壁に寄りかかった体勢のに覆いかぶさるように身体を密着させてから、壁との身体の隙間に手を入れ抱きかかえる。ゆっくりと上体を抱き起こしながらこちらに体重を移動させ僕に寄りかからせると、か細い呼吸を感じられた。抱きかかえた背中と胸が動いている。それを確認すると、自身の呼吸が震えているのがわかった。知らない間に張り詰めていた緊張の糸が緩むが、しかし身体中の冷たさは通常の人間のそれではないことに再度引き締め直す。このままここにいては取り返しのつかないことになる。


「安室さん、さん……」
「気を失ってるみたいだ。すぐ運び出すから、扉を開けて待っててくれるかい」
「、うん」


後ろにいたコナンくんは頷き、もう一人の少女と一緒にコンテナの入り口へ駆けていった。ドアが大きく開く鈍い音ののち、アスファルトへ降りる二人分の足音が聞こえる。「お姉さんどうしたの…?」外にいる彼らの会話が遠くから聞こえる。コンテナ内の冷房の音が忌々しいほどうるさい。


「……」


背中に回した腕に軽く力を入れ、身体をできる限り密着させる。首裏に手を這わせると自分のそれとの温度差がはっきり伝わった。少しでもの身体が温まるよう抱きしめる。彼女たちはどのくらいここに閉じ込められていたんだ。コートを着ていないうえ薄着なせいで彼女の体温は酷く奪われていた。僕の知らないところで、よほどつらかったのだろう。涙のあとが残る彼女の顔を思い出す。やけに速い動悸はさっきからしていた。落ち着かせるように、の首元へ顔を埋める。


「…もう大丈夫だ」


囁いた声は僕以外聞いた人はいなかっただろう。それから僕は自分のジャケットを脱ぎへ掛け、片方の腕を彼女の膝裏へ回し横抱きした体勢で立ち上がった。意識のない彼女がバランスを崩さないよう自分の身体へ寄りかからせながら、静かにコンテナから降りる。夏に比べ冷蔵車の中と外気温に差はないはずだが、短時間しかいなかった僕でさえ肌に感じる違いがよくわかった。


お姉さん!」
「大丈夫なのかよ?!」


駆け寄る子供たちにはは体温が下がって一時的に気を失っていると説明する。「君たちは大丈夫かい?」と同じ環境下にいたので同様の症状が見て取れても不思議じゃないと思ったが、その問いかけには全員大丈夫だと頷いた。


「……さい…」
「ん?」


コナンくんの後ろに隠れる少女が何か言ったような気がした。しかし言葉としては聞き取れず、を抱えたまま首をかしげると、コナンくんがあっと声を上げた。


「あのね、閉じ込められてるとき、この子のセーターがほつれちゃって、さんがコート貸してくれたんだよ!」
「ああ、なるほど、そうだったんだね」


それでがコートを着ていなかったのか。よく見ると、確かに少女が着ている黒のダッフルコートには見覚えがあった。俯き気味にコクコクと頷く少女の顔はやはりよくうかがえなかったが、よほど罪悪感を覚えているのだろう、小学生の小さな身体をさらに小さく縮こませていた。彼女自身に非はないためフォローの言葉を掛けようと口を開く。
と、抱えていたの頭が動いた。ゆっくりと目が開く。


…?」
さん!気が付いた…?」
「……」


僕や子供たちの声が聞こえていないのか、はぼんやりした目をゆっくり瞬かせただけだった。それから僕と目が合い、次に子供たちへ顔を向ける。お姉さん、と次々に声をかける子供たちに、は力なく笑みを浮かべた。


「えへへ…あったかいねえ……」


そんなことを言ったと思ったら、今度はポロポロと涙を流し始めた。「お姉さん…」心配する子供たちの目も気にせずくしゃりと顔を歪め泣き出したは、まだ意識がはっきりしていないように見受けられた。ただ、安心しきった涙だというのはわかった。


「…も気が付いたことだし、僕たちはこれで失礼するよ」
「あ、うん…」
「でもスゲーよなおまえ!あのレシートの暗号見て来てくれたんだろ?」
「レシート?」


「ああ…猫の首輪についてた妙なレシートなら、風に飛ばされて見つけられなかったよ」ここを通りかかったのはたまたまだという嘘をついても疑われることはなかった。車のナンバーを知ったあと位置を特定するために行った工程を、彼らの前で話すわけにはいかなかった。


「そうだ!せっかくだから博士の家で一緒にケーキ食べようよ!お家あったかいからお姉さんもすぐ元気になるよー!」
「博士?」


トラックが停まっている一軒家を見上げる。「へー…ここが噂の阿笠博士の…」普通の一軒家とは違う、奇抜な外観は確かに「博士」と呼ばれる人間が住んでいると思わされた。彼についてはまだ調査が進んでいない。子供たちのお誘いも甘美ではあったが、阿笠博士との接触はこちらがもう少し情報を集めてからが理想だった。……というのとは別で、たとえ万全だったとしても今日は乗らないだろうと思う。申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「でも今日は遠慮しておくよ。念のためを病院に連れて行きたいから…」


そっかあ、と残念がる彼らに、じゃあねと挨拶をして車へ戻る。運転席のドアを開け、助手席にを座らせる。「うう〜…」依然ぐずぐず泣いてる彼女を見て、毒気を抜かれたように笑みをこぼしてしまう。精神的にも肉体的にもつらかったのだろう。随分前に、が犯人に拉致られたときのことを思い出す。あのときも彼女は明確な理由を述べず泣いていた。
リクライニングで背もたれを倒し、ずれていたジャケットを掛け直してあげる。暖房を入れてあるので次第に回復するとは思うが、病院に連れて行きたいのは本当だった。ポアロへの連絡も入れないとな。その前に近くの自販機で温かい飲み物を買って飲ませよう。

シフトレバーを操作し、車を発進させる。今は一心不乱にただ泣いてるだけのもしばらくすればいつもの調子に戻る。そうしたらどうせ、君は僕にお礼を言うんだろう。「安室さん、ありがとうございます」僕へ満面の笑みを浮かべるを想像して、ふっと口角が上がる。
そうだよ、君の健全な命は守られた。それが僕にとってどれほど尊いことか、正確には測らないけれど、どれだけ君を危険に晒しても、君の気持ちを無視して悲しませることをしても、僕は君を死なせたくなかった。生きていてよかった。助けられてよかったと、心から思う。


まだ君とのいたちごっこも終わらない。そんなことで安堵が染み込む心をどう取り扱うべきか悩みながらも、今は暖かい感情に身を任せていたかった。


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