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昼過ぎのピークを乗り越え、今日のシフトは無事終わりを告げた。夕方からは梓さんとマスターに任せて、わたしは安室さん家にお邪魔しに行くのだ。昨日までクリスマスシーズンの繁忙期で半ば忙殺されてたポアロだけれど、二十六日を迎えてようやく普段の落ち着きを取り戻していた。いやあ、暇すぎるのも嫌だけど忙しすぎるのも問題だってしみじみ実感したよ。しかも今年は安室さんというかっこいい従業員がいるという噂がまことしやかに囁かれていたらしく、彼目当ての女性客の分さらに忙しくさせていた。今日もウエイターの仕事をしながら、「今日あの人いないのかな」という女の人たちのやりとりを何回も聞いた。残念でした!安室さんは今日はお休みですー!嫉妬に荒れ狂う気持ちを抑え笑顔で接客をしたせいか無性に疲れた気がする。肩を回しながら、はあーと溜め息をつく。梓さんが買い出しからまだ戻ってきてない今、マスターのお手洗いの間だけ、代わりにお店に立っているのだ。ちょうどお客さんも途切れていたので本当に突っ立っているだけだった。
と、カランカランとドアの開閉の音が。ハッと我に返り笑顔を向ける。


「いらっしゃいませー…って、コナンくんたち!」


なんと、コナンくんたち少年探偵団五人がぞろぞろと入店して来たではないか!彼らと会うのは五日前の冷蔵車に閉じ込められた件以来だ。「お姉さんいたー!」手を振る歩美ちゃんたちにパタパタと駆け寄る。


「いらっしゃいー!今日もみんなで遊んでたの?」
「おう!博士ん家でゲームしてたぜ!」
「そしたら灰原さんが、さんに用があるって言って出かけようとしてたので、みんなで来たんです」
「はい……あ。哀ちゃん?」


挙がった苗字に一瞬誰のことかと思ったけれど、コナンくんの後ろで身じろぎをした様子からして哀ちゃんのことらしい。いまいち彼らの苗字まで覚えられてないのだ。
哀ちゃんは大きな紙袋を抱きかかえる腕に力を込め、それから一歩前に出た。膝に手を当て中腰になって彼女と対面する。コンテナの中では暗かったから、こんなに顔をしっかり見たのは初めてだった。歩美ちゃんもだけど、最近の小学生ってみんなかわいいのかなあ。哀ちゃんは大きくなったら美人さんになりそうだ。


「これ……ありがとう」
「え?…ああ、コートかあ!」


差し出された紙袋を受け取ってようやく合点がいった。黒くてかさばるそれは、例の事件で哀ちゃんに貸したダッフルコートだった。ご丁寧にクリーニングに出してくれたみたいで、全体がビニールに包まれている。
あの日、意識がはっきりしてきた頃には安室さんの車で病院に向かっていた。いつの間にか背もたれを倒した助手席に寝ていて、ペットボトルの温かい紅茶を手に持っていた。キャップが空いて中身が少し減ってたから、知らないうちに飲んでたみたいだ。頬に違和感を覚えおもむろに擦ると、涙のあとがついてたことに気付く。指先の色はちゃんと肌色に戻っていた。コンテナの中で真っ白に見えたのは気のせいだったんだろうか。思いながら指先を擦り合わせた。あれからもう五日も経ったのだ。


「これのために来てくれたの?」
「ええ…」
「わーありがとうー。クリーニングまで、逆に気を遣わせちゃってごめんね」


いえ、と短く答える哀ちゃん。少年探偵団の彼らにはもっと歯切れのいい物言いをしてたように思ったけど、やっぱりわたしなんてまだ見ず知らずの人って感じなのかな。打ち解けるには時間がかかりそうだ。無理やり絡んでも余計嫌われる気がしたので、彼女に何か言うのは今日のところはやめて他の子たちに目を向ける。


お姉さん、探偵のお兄さんはいないの?」
「あ、うんいないよー」
「そっかあ…」
「助けてもらったお礼を言おうと思ったんですが、残念ですね」


またもや安室さんをご所望の声だったけれど、知らない女の人たちが言うのとはまったく別物だった。全然腹立たないよー!「昨日も明日も入ってるんだけどねー」安室さんのシフトはだいたい把握してるぞ。伝えると、じゃあまた明日来ましょうかと光彦くん。ぜひそうするといいよと頷くと、マスターが店内に戻ってきたので入れ替わるようにクリーム色のエプロンを脱いだ。


さん、もう上がりなの?」
「うん。これから安室さん家行くんだ」
「そう…」


コナンくんの神妙な相槌を不思議に思いつつ、みんなはどうするの?と聞くと、用も済んだことだし博士の家に戻ろうという話になった。


「じゃあ途中まで一緒に帰ろ!すぐ支度してくるから!」
「うん!」


了承を得るなり、マスターにあいさつをして従業員控え室へ戻った。途中、梓さんともすれ違ったので、少年探偵団と一緒に帰ることを伝えると、梓さんは、あら、と頬に手をやった。


「コナンくんたち今日来たの?」
「はい。…あれ?梓さん知ってたんですか?」
「ええ…おとといくらいに、コナンくんに安室さんとさんがいつシフト入ってるか聞かれたから、教えてあげたのよ」


だから今日安室さんがいないの知ってたはずなのにね、と言う梓さんにわたしも首をかしげる。そうなのか……わざわざ事前に確認取ってたのに今日来ちゃったんだ。光彦くんも安室さんにお礼を言いたかったって言ってたし、効率を考えるとわたしと安室さんが揃ってる日の方が都合いいよなあ。


「きっと今日じゃないと来れなかったのかもね」
「あ、そうですね!安室さんへのお礼はまた今度しに来るって言ってました!」
「そうなの。でもほんとに、ちゃんもコナンくんたちも無事でよかったわー」


あとで聞いた話だけど、あの日一向に店に姿を見せないわたしを、梓さんもマスターも心配してくれてたんだそうだ。夕方になって安室さんから連絡が来たときは本当に驚いたと。不可抗力とはいえ申し訳ない。特に梓さんには、あの日のシフトを代わりに入ってもらってとんだ迷惑をかけてしまったのだ。お詫びをと思ってポアロのみんなに買ってきた菓子折りは従業員控え室にまだ残っている。
梓さんと別れ、控え室で手早くエプロンを片付けリュックを背負ってポアロの前の歩道に出ると、少年探偵団たちがお店の前で待っててくれていた。お待たせーと手を振って合流し、ぞろぞろと歩き出す。博士の家が二丁目にあるとは知ってるけど、道順はわからない。駅までの道とどれくらい重なってるんだろう。


さん、もうすっかり体調よさそうだね」
「よいよ〜。その節はお騒がせしました」
「ううん、何ともなくてよかったよ」


コナンくんにも心配かけてしまったみたいだ。あのときの記憶はもはや曖昧だけど、死にそうなくらいしんどかったのは覚えてる。「というか、みんなは大丈夫だったの?わたしほんとつらかったんだけど…」そう問うと、コナンくんは、ああ、と小さく笑った。


さん、コート貸したら僕らの中で一番薄着だったじゃない。冬の格好とは思えないくらいに…」
「あ、うん…ポアロある日はあんな感じなんだよ。いつも動き回って暑くなるから」
「だから一番早く身体が冷えちゃったんだよ。僕らもあのまま閉じ込められてたら同じようになってたと思うけど…」
「…そっかあ」


納得したように言いながら、わたしはこのやりとりにデジャブを感じていた。いいやデジャブというよりはっきりと、前にもあったやりとりだと思い出していた。あの事件の日、念のため受けた診察で異常なしと診断され、ほっとしながら帰路に着いた車の中でのことだった。そう、安室さんと同じような会話をしたのだ。安室さんにも一人だけやたら薄着だったからだろうと言われた。それ以外にも、あのコンテナに閉じ込められるに至った経緯や、講じた打開策についていろいろ話した。後半は記憶がおぼろげであやふやなことしか説明できなかったけど。


「そういえば安室さんにコナンくんが作った暗号のこととか話したらすごく褒めてたよ」
「あ、へえ……」
「レシートを大尉の首輪に挟んでポアロに届けたの、わたしがやったのかとも一瞬考えたらしいんだけど、無理だろうなって思ったんだって。失礼だよねー!あははは」
「アハハ…」


安室さんの冷静なジャッジに腹はちっとも立たない。だって本当のことだもんなあ。わたしにはレシートの文字を消す方法も、コープスなんて英単語の知識も、車のナンバーを覚えとく注意力もないもんなあ。コナンくんがあまりに類稀なる天才少年すぎて、安室さんに説明したときもつい熱く語ってしまったほどだ。


さん、安室さん他に何か言ってた?」


コナンくんのそのセリフを聞いた瞬間、そういえば、と思い出した。コンテナの中にいたとき、コナンくん、わたしに何か聞きたいことがあったんじゃないっけ。


「……えーっと…」


とりあえず今は聞かれたことに答えるべく、安室さんとのやりとりを思い起こす。「あ、そうだ」





「へえ、阿笠博士のお隣さんのだったんだ」


紅茶のティーカップから口を離した安室さんに、「らしいです」と頷く。少年探偵団とはあれからすぐに帰り道が別々になり、別れたあとは宣言通り安室さんの家にお邪魔していた。
コナンくんの質問に対して思い出したのは、彼の携帯についてだった。コナンくんは自分の携帯を博士の家に置いてきたと言っていた。でも安室さんの話では、コナンくんは携帯を持っていて、警察への通報も彼に任せたというのだ。そもそも携帯があったなら安室さんにレシートの暗号を送る前に警察に通報して事なきを得たはずだ。だからコナンくんの携帯じゃないと思う、というわたしの意見に安室さんも納得はしたみたいだけれど、じゃあどこから出てきたんだろうという疑問は残っていた。
その件についてコナンくんに聞くと、あの携帯は博士の家のお隣さんである沖矢昴さんという人のだということ、コナンくんが博士への荷物に「工藤様方」と書き加えて工藤家に居候している沖矢さんに届けさせ、配達伝票に細工をしてあの危機的状況を伝えたこと、沖矢さんはコナンくんたちが直接警察に通報できるよう集荷の依頼と称して間接的に携帯をコナンくんたちに渡したことを教えてくれた。ちなみに、この説明は全部光彦くんや歩美ちゃんから聞いた内容だ。コナンくんはなぜかあんまり話したくなさそうにしていた、気がする。
ともかく携帯の謎は解け、安室さんも、ふうんと、とりあえず納得したみたいだった。


「随分機転の利く隣人なんだね」
「そうですね……」
「……なにニヤニヤしてるんだ」


バレた。口を手で軽く覆うも、安室さんの訝しげな視線から逃れることはできなかった。えへ、と肩をすくめる。


「でも結局犯人たちには見つかってしまったんですよね。そう考えると安室さんが来てくれてなかったらわたしたち、大変なことになってただろうなって…」
「…ああ、本当によかったと思うよ」
「へへ…やっぱりわたし運悪くなんかないですよね!」


「え?」自信満々に言い切るときょとんと目を丸くされる。安室さん、本当にわかってなさそうだ。やだなあ、もっと得意げにしてくれていいのに。代わりと言ってはなんだけどわたしがにんまりと笑みを浮かべる。


「だっていざというとき安室さんが助けに来てくれるんですもん!充分ラッキーですよー!」


安室さんは飛ばされたレシートを探しにポアロを早引きしたけど、見つからなかったので車でわたしを探していたんだそうだ。そのおかげで無事助かったのだから、まさに幸運だろう!
元気よく言うと安室さんは目を見開いて、それから嬉しいのを堪えるみたいに、はたまた悲しそうなのを隠すみたいに眉間にしわを寄せた。「あまり期待しないでくれよ」そう言った安室さんに、わたしははい!とこれまた元気よく頷いたのだけど、きっと安室さんはわたしの信頼を裏切らないだろうなあと、確信めいた何かを感じていた。


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