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結局、次の手段として例の阿笠博士に掛けて繋がったものの、事情を話すことができないまま充電の限界を迎えてしまった。連絡手段は完全に絶たれた。トラックも動き出し再び絶望が立ちこめる中、コナンくんは諦める様子を見せることなく次の手を考えようとした。わたしたちが今持ってる物を使って、何とかできないか考えるのだという。抱きかかえていた大尉のおかげでだんだんと元気を取り戻していたわたしは、ピンッと背筋を伸ばす。


「わたし大学帰りだからきっと使えるのめちゃめちゃ持ってるよ!」


大尉を歩美ちゃんに返し、床に置いていたカバンを開け意気込んで中身を出していく。「お財布、タオル、ポケットティッシュ、ポーチ、筆記用具、ルーズリーフ……」次々と床に並べて行くのをコナンくんはじっと見ていて、カバンを空っぽにすると彼はありがとうと言って他の子たちにも聞いていった。歩美ちゃんはハンカチとポケットティッシュとキャンディー、綿棒。元太くんは絆創膏とチョコバー、しもやけのかゆみ止め。光彦くんは手帳とボールペン、ハンカチとお財布、それにタクシーのレシートだった。みんなサッカーをやっていたからカバンなどは持っておらず、ポケットに入っていたものをコナンくんに渡していた。結構被ってるなあ、と彼らの所持品を見つめる。


「じゃあ灰原、何か持ってねーか?」


えっ。コナンくんの思わぬ問いかけにポカンと呆気にとられたのはわたしだけでなく、そばでライト係を担ってくれていた哀ちゃんも口を引きつらせていた。「ああそっか!オメーはパン一だった…」などとのたまうデリカシーのない彼の頭をすかさずグーで殴る哀ちゃん。ポカッと小気味いい音が響く。うん、さすがにコナンくんが悪いぞ。にやけそうになる口元を堪えながら哀ちゃんにわたしのコートに何か入ってないか聞いてみるも、不機嫌そうにあなたの携帯だけよと返された。そうだよなあ。手っ取り早く充電バッテリーとかあったらいいのに。気を取り直して、一通り持ち物が出揃ったところで作戦会議が始まった。


お姉さんか光彦くんの持ってる紙に「助けて」って書いて、その紙をちぎって車の外に落としちゃうっていうのはどーお?」
「いいんじゃねーか?あのドアの隙間なら紙くらい通りそうだしよ!」
「でも、それを誰かが拾ってくれたとしてもすぐに警察に通報してくれるかどうか…」
「それに紙をうまく外に出せればいいけど、引っ掛かって出せなかったらアウト…次にあの配達人がコンテナの扉を開けるときにその引っ掛かった紙に気付かれたら、コンテナの中に誰かいるって気付かれてしまうわよ」


歩美ちゃんの案は光彦くんと哀ちゃんによって却下となった。わたしも歩美ちゃんと似たことを考えてたけど、二人の指摘はもっともだった。ということは、人工的なものをここから出すのはかなりリスクが高いということだ。床に置いたみんなの持ち物に目を落とす。全部、急にトラックから出てきたら変なものばかりだった。打つ手なしだ。

うーんとみんなが考え込む中、ドクドクと心臓の音が響く。…やっぱり、これしか方法はないんじゃ…。わたしの頭の中では、ずっとある考えが浮かんでいた。
わたしが囮になってコンテナの奥の方で見つかって、二人がわたしの方に来る隙に入り口近くに隠れてた少年探偵団のみんなが一斉に逃げる。これなら少なくとも少年探偵団は逃げられるし、逃げたあと通報してくれればわたしも多分助かる。この方法が一番可能性が高いと思うのだ。
かじかんだ指先が痛い。一人で緊張してるみたいに地に足がついていない。わたしが言い出さないといけないことなのに、腕が、顔が、口が、動こうとしない。本当にこれで上手くいくの?もしかしたら二人を引き付けられなくてコナンくんたちも捕まってしまうかもしれない。そしたらわたしたちは今度こそ完全に閉じ込められて死んでしまう。先ほど見た、ダンボールに入れられた男の人の遺体を思い出してゾッとする。

結局わたしはその作戦を言い出すことができなかった。「駄目だ。君はいざとなったら恐怖で動けなくなるから」前に安室さんに言われたことだ。わたしはあのとき、見てもないのによくもまあ!と強がった。でも本当は、心当たりがあったのだ。わたしはいざというとき勇気がなくて動けない。
黙ってることが罪を犯してる気分になる。居た堪れなくて目を逸らすと、近くの荷物の伝票が目に入り、五丁目の住所が見えた。


「…ポアロへの配達があればなあ…」
「え?」


今まで考え込んでいたコナンくんが顔を上げる。「…あ、ポアロ……荷物があったらお店の前に停まるから、そしたら騒いだりして安室さんに気付いてもらえるかなあって…」「……」あははと肩をすくめる。元気だったらダメ元でここの荷物からポアロの住所を探してたかもしれないけど、体力的にかなり難しかった。それにお店に仕入れるような荷物を一般家庭への荷物と一緒に運ぶことはない気がするから、わたしの望みはかなり薄いだろう。やっぱりこんな夢見事話してるより、さっきの作戦をみんなに提案した方がいいんじゃ…。


「!!……いや、でもさすがにそれは…」


コナンくんが何か呟いたらしかった。哀ちゃんが急かすように促すと、彼は目の前にお座りしていた大尉から目を離し、わたしに向いた。


「…さん、安室さんは今ポアロにいるんだよね?」
「え、うん、今日は一日シフト入ってるよ」


マスターも一日で、梓さんは三時まででわたしと交代だ。腕時計を見ると三時は過ぎていたので、梓さんはわからないけど安室さんは確実にいるだろう。


「ポアロがどうしたんだよ?」
「この車、たぶん今は五丁目に向かってると思うんだ」
「うん、そうだね、さっき四丁目って言ってたし…」


「五丁目は大尉の根城……大尉は夕方になるとポアロに餌をねだりに行くんだ。そうだよね?」わたしに確認を取るコナンくんに頷いてようやく、彼の作戦がわかった。大尉に、わたしたちの代わりに助けを求めてもらうのだ。歩美ちゃんが声を明るくして、大尉にメモを書いた紙を届けてもらうんだねと言う。ああそっか、コンテナから出てくるのが猫なら、バレたって変じゃないんだ。誰も考え得なかった発想に何度目かの感嘆をする。と、でも、と哀ちゃんが懸念を述べた。


「もしその仔がここから出るときにあの二人に捕まって紙に気付かれたら…」
「そこは大丈夫。あの二人に見られても気付かれない暗号を作るから」


コナンくんは自信ありげにそう言い、床に置いてあったみんなの荷物の中から光彦くんのレシートと歩美ちゃんの綿棒と、元太くんのかゆみ止めを手元に持ってきた。「何するの?」聞くと、彼は「前にテレビで見たんだけど…」と言いながら、かゆみ止めの液体を綿棒につけた。


「レシートは感熱紙って言って、インクじゃなくて熱で黒く変色させて文字を書いてるんだって」


それからコナンくんは、感熱紙の表面には黒い色の元になる薬と発色剤っていう酸性の薬が塗られていて、発色剤が熱で溶けてもう一つの薬に反応して黒い文字を浮き出させているということを説明した。そのうえで、かゆみ止めに含まれてるアンモニアはアルカリ性だから、それをレシートの文字につけると酸性を打ち消して文字が消えるのだと、実演を交えて教えてくれた。
言った通り、レシートの「Card」のaの文字が一部消えてアルファベットのoになった。まるで理科の実験をしてるみたいだ。すごいすごいと光彦くんたちと一緒に感動する。


「続いてこの……えっと、これどういう意味かなあ?」
「え?…んー…カードの次だから、きっとカード支払いみたいな意味じゃないかな!」


コナンくんに指された英単語はわたしもわからなかった。Purchases、何て発音するかもわからない。「じゃあ、そのカード支払いって英語のいらない文字を消して…」意味はどうでもよかったんだろう、コナンくんは次々と印字されたアルファベットを消していく。そして、aを変形させたoを含め六文字のアルファベットが残った。C、o、r、P、s、e……。


「コープス…死体って意味の英単語だよ」
「死体…!」


そんな英単語知ってるなんて!何度目かの驚きを与えたコナンくんは仕上げにと下に表示されてる電話番号や端末番号を消し、この冷蔵車のナンバーを示したのだった。なんと鮮やかな手際か。すごい、すごいなあコナンくん。


「これをクシャクシャにして大尉の首輪に挟んでおけば、たとえ大尉があの人たちに捕まってレシートに気付かれたとしても、ただの印刷ミスか何かにこすれて字が消えたとしか思わないよ」


そう言いながらレシートを大尉の首輪に挟むと、タイミングよくトラックが止まった。順番通りなら、五丁目に着いたはず。自然と全員の緊張が高まる。


「大尉…」


首輪にレシートがセットされた彼の背中をゆっくり撫でる。ふわふわであたたかいはずの大尉の毛並みは、冷え切った指先では感じ取ることができなかった。はあっと白い息を吐く。突然背負わされた重大な責任を彼はどう思ってるだろうか。心配ではあるものの、現実問題としてわたしたちは大尉に頼らざるを得なかった。


「安室さんによろしくねえ…」


ポアロに辿り着いた大尉を迎え、レシートの意味に気付く安室さんを想像して泣きそうになる。手を離すと彼はわたしたちに背を向け、入り口へと近づいていった。ギィッと扉が開く音がする。


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