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 ピンポンとインターホンを鳴らすとすぐにドアを開けてくれる。出迎えてくれたちょっと苦笑いの安室さんに、タッパーが入った袋を笑顔で差し出した。


「おすそわけです!」





 リビングに通してもらい、ソファに座って紅茶を頂く。キッチンカウンターから見える安室さんはどうやらこれから夕飯を作るらしかった。もちろんそこを狙って来たので、にやっと口角を吊り上げてしまう。
 市販の青椒肉絲を四人分バーッと作り、半分をタッパーに入れて持ってきた。毎週この曜日は大学が四限まであるため探偵の助手として顔を出せないので、せめてと思いわざとおかずを多く作って顔を出すことにしているのだ。もちろん意図的に作りすぎていることは内緒である。苦笑いのままありがとうと言って受け取ってくれた安室さんはキッチンに立ち、それを開けたようだった。


「へえ、おいしそうだね」
「ありがとうございます!安室さんの胃袋掴めそうですか?」
「あ、ごめんそういう意味合いはない」


「なんだあ」乗り出した身体をぼふんとソファに埋め直す。安室さんは優しいけど、大体いつもつれない。まあいい、最初から長期戦覚悟だ。できることは何でもやって、いつか必ず安室さんにすきになってもらう。わたしの決意は固いぞ。
 一人闘志を高めていると、点けられていたテレビではニュース番組が始まったようだった。ぼんやりとオープニングを眺める。「」カウンター越しに安室さんに声をかけられ、振り返る。


「いつももらって悪いし、夕飯、うちで食べていくかい?」
「えっ!いいんですか!」
「ああ。支度はこれからだし、おすそ分けにもらったこれも二人分はあるみたいだしね」
「わーやったー!さすがにそこまでは狙ってませんでした!」


 勢いよくソファを飛び降り、なぜか呆れ顔の安室さんに駆け寄る。「じゃあわたしも手伝います!」てっきり拒否されると思ったけれど意外にも彼はうんと頷き、お味噌汁の具のネギとじゃがいもを切るのをわたしに任せてくれた。安室さんはお魚を焼くらしい。手を洗ってキッチンに二人並ぶ。すると途端に、このシチュエーションにどきどきしてくるのだった。


「な、なんだか新婚さんみたいで照れますね…」
「それは君だけだけどね」


 つれない…!クッと傷ついた振りで胸に手をやるけれど「包丁危ないよ」と注意されるだけで終わってしまった。「…はあい」確かに胸に持ってきた手は包丁を握ったほうだった。口を尖らせながら返答し、おとなしく調理に取り掛かる。一人暮らし三年目にして安室さんに褒められたいがために料理を頑張ろうと励んだ三ヶ月間。その腕前をとくとごらんあれ!



◇◇



 まあもちろん、安室さんはお魚の焼き加減に目を奪われ、わたしのことなんてちっとも見てくれなかったのだけど。しかも切り終わったあとはもう大丈夫だよとキッチンから退去させられ、あとのことは全部任されてしまい結局ロクに手伝うこともできなかった。向かいに二人分並べられた夕食に目を落とし、きっとわたしの力添えなんて必要なかったんだろうなと無力感に襲われる。
 そりゃそうだ、何を今さら。今までで安室さんが一人ではできなかったことがあっただろうか。お仕事の依頼だってプライベートのことだって、わたしがいつも首を突っ込んで仕事を奪って力になった気になっているだけじゃないか。何を今さら。わかった上でわたしは……。


「それじゃ、いただきます」
「…いただきます」


 手を合わせて来客用のお箸を手に取る。そうだ、せっかく安室さんの手料理が食べられるんだから、こんな暗い気分でいるのはもったいない。おいしく味わいたい。曲がっていた背筋を伸ばし、最初にお味噌汁へ手を伸ばす。湯気の立つそれを一口すする。


「おいしい〜!」
「はは。君が作るのとそう変わるものじゃないだろ」
「全然変わりますよー!え、いいお味噌使ってるとかですか?」
「普通に売ってるやつだよ」
「じゃあダシか…」


 ダシについては我が家はいまいちこだわっていないのだ。こんなことなら言われた通りにリビングで待ってるんじゃなくて、キッチンに張り付いてテクを見ていればよかったな。それにしてもお味噌汁でここまで差をつけられるとなると、安室さんの胃袋を掴む日はまだまだ先のようだ。


「さっき落ち込んでたみたいだったけど、元気でたね」
「え、」
「何か悩み事でもあるのかい?」
「ええと…」


 安室さんは、よく見てるなあ。「安室さんが何でもできちゃうので、自分助手なのにこんなんじゃあと、少し自己嫌悪に」しかし本人に言うのは少々かっこ悪い。口をもごもごさせながら述べると、安室さんはやや呆れた表情を見せた。


「そもそも君を助手に認めた覚えはないんだけどね」
「え?!え……じゃあなんでこうしてご飯のお誘いを……あっ、恋人として…?!」
「おすそ分けのお礼です」


 はあ、と溜め息をつく安室さん。なんだあ、そういう意味か。ぬか喜びした心臓を落ち着かせながら、改めてお茶碗を持つ所帯染みた彼を見遣る。かっこいいんだなあこれが…。いかんまたどきどきしてきた。そんなわたしに安室さんは呆れ顔を崩さない。


「それにしても君、助手とか恋人とかよく言うけど、最終的にはどこを目指しているんだ」
「助手兼恋人です!」
「あ、そうだったのか」
「ん?!今までのが通じてなかったんですか…?!」
「いや、本当に本気で言ってるのかなと思ってたよ」


「本当の本気ですよ!」テーブルをぺしんと叩くと、安室さんがあははとちょっと楽しそうに笑う。そんな笑顔を見せられてしまってはこれ以上強く言えない。ぐっ、これが惚れた弱みってやつか…!一人悔しく思うわたしとは反対に、安室さんは穏やかにふっと目を伏せ、口元には小さく笑みを浮かべていた。


「まあ、恋人とかはともかく、君が調べ物が得意なのはわかったし、助かってるよ。尾けるのもうまいみたいだし。さすがに同業者にはばれるだろうけどね」
「ほ、ほんとですか〜…!じゃあ助手に認めてくれますか?!」


 わたしの問いに答えようとした途端、安室さんは表情を消しスッと目を逸らした。つられるように視線を追う。その先のテレビでは、ただ、男性ニュースキャスターが原稿を読み上げているだけだった。「先週の金曜日、来葉峠で停車中の車が突如爆発する事件が発生しました。車内から発見された男性の遺体の頭部に拳銃で撃ち抜かれた痕があることから、警察は殺人事件の可能性が高いとみていますが、男性の身元は依然判明しておらず、目撃情報などを元に確認を急いでいる状況です。この事件は十三日の午後七時頃――」画面がスタジオから切り替わり、炎上する来葉峠の車道が映し出される。


「……どうだろうね」


 パッと正面を向く。もう安室さんはわたしを見ていた。けれど、目を細めて、含みのある笑みを浮かべる表情からは、何も読み取れなかった。


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