58 尾行自体は順風満帆だけれど、背後の気配はまだ消えてない。わたしはコートのポケットを上から触り、その存在を確かめた。身を守るための武器をコンビニで調達したのだ。うまく使えるかわからないけど、何もないよりいくらか安心できた。 マンションの前は東西に伸びる一方通行の道路が通っている。その通りを歩いていけばマンションに着くけれど、わたしは手前で右に曲がり、コンクリート塀に沿って迂回した。マンションに対して垂直に伸びる細い路地に身を潜めながらエントランスの様子をうかがうのだ。ここは盗撮スポットの一つでもあるから、ストーカー犯もよく知ってるだろう。エントランスからはそばの街灯が眩しくて見えづらい位置だ。しっかり警戒しながら位置に着いて身を潜める。 (えっ、安室さん?) 思わず目を丸くする。なんと、エントランスの前に安室さんが立っているではないか。なんで?来るなんて一言も……。 と、お昼の電話を思い出して、このことを伝えようとしてたのかと納得する。確かに本来ストーカーが知り得ない情報だから、教えてもらわなくてもいいものだ。程なくして南くんがマンションに着くと、安室さんはピンク色の封筒のようなものを彼に差し出し、それから何か話したあと二人はマンションを離れて通りの進行方向へと歩き出したのだった。 教えてもらわなくても大丈夫とはいえ、この目で見たことを処理するのに時間がかかった。何の用だろう。そりゃあ、ストーカーの件ではあるだろうけど。わたしはどうすればいいんだ……いや、待てよ……。 (あっ) 頭の中でひらめいたことに目の前が明るくなる。ストーカーなら、目的の人物が外に出てくのをほっとくわけがない。だから、二人を追うと思う。 ということは、もしかしてわたし、合法的に安室さんを尾行できる…? やった!思いもよらぬ初体験ににわかに浮き足立ってしまう。今まで何度尾行しようともすぐに撒かれてロクにあとをつけられなかったのだ。でも今ならきっとすきなだけ尾けられる。安室さんもわたしを撒こうとしないはずだ。これは俄然行くしかない!二人の遠ざかっていく背中を追いかけようと塀の陰から足を踏み出す。 「ねえ」 あ。反射的に振り返る。すぐ後ろに、女の人が立っていた。心臓がドッと気味悪く脈打ち出す。しまった、と思った。煩悩にまみれて背後への警戒を怠っていたのだ。声をかけられて初めて気付いた。 暗くて彼女の顔がはっきりと見えない。けれど鋭い眼光が無意識に恐怖を与えていた。時間が止まったみたいに動けない。 「南くんのことストーカーしてるの?」 「あ、いや…」 同じこと聞かれた。わたしが相手を特定したとき聞こうと思ってたのと同じことだ。「南くんの迷惑になるからやめてくれる?」…でもわたしより偉そうだ!ぎゅっとカバンを抱きしめ、一歩距離を取る。 「あ、あなたこそ、南くんに用ですか?」 口にした途端、彼女の顔が大層歪んだ。眉間にシワが寄り、眼が釣り上がる。怖い、思うより先に彼女の言葉が耳に突き刺さる。 「気安く呼ばないで!!」 振りかぶる彼女のバッグがスローモーションのように見える。それは、わたしの脳が処理するより先に横顔をぶった。一瞬時間が消えたような感覚。気付いたときにはアスファルトの地面に手をついていた。頬と耳がじんじんと痛い。思わず右手で殴打部分を覆うと頬がピリリとしみた。人差し指が触れた頬の皮が裂けてる。頬骨とバッグの金具が思いっきりぶつかったせいだろう。 ともかく、この人凶暴だ!想定してたよりずっと話通じない人だった!正面から首を捕まれそのまま体重を乗せられる。止むを得ず押し倒され、硬いアスファルトに寝転がされた。馬乗りになった彼女は憎悪にまみれた歪んだ眼差しのままわたしを睨み続けている。…このままじゃやばい!身の危険を感じたわたしは震える手を叱咤しポケットに突っ込んだ。ハンドサイズのインスタントカメラを取り出す。 「っ?!」 女の人が動揺を見せた隙に彼女の前に持ってきて片手でシャッターを切った。フレームを覗き込む余裕なんてなかったから適当だ。でもうまくいけば彼女の顔が写ってる。伸びてきた彼女の手から逃げるようにカメラを放り投げる。カラカラと音を立てながらアスファルトを滑っていくそれはマンション前の道路で止まった。 「…!」 彼女がわたしから降りる。思った通り、カメラを拾おうとするだろう。その隙に逃げる算段だった。起き上がった矢先、ゴオッとどこからか音が聞こえてきた。彼女がピタッと立ち止まる。 「えっ?」 目の前の道路をトラックが横切った。パキッと小気味のいい音が聞こえる。 「……」 「えっ?!」 トラックが通り過ぎたそこを見ると、わたしの投げたカメラが見るも無残に割れていた。サッと青ざめるわたし。うそ、あれを囮に逃げようと思ったのに…! 「…ははっ…ざまあみー……っ!」 「!」 通りに面した塀の陰から安室さんが姿を現した。「あむ…」へたり込むわたしに一瞬目を瞠ったあと、すぐさま彼女を睨む。さすがにやばいと思ったのか逃げようとしていた彼女の腕をひっ掴む。 「あなたが南さんに写真を送りつけていた方ですか?」 「ちがっ…!そこの女が南くんを!」 「何かあったんですか?!」 遅れて駆けつけた南くんは現場を目の当たりにし一瞬言葉を失った。「……え、君は…」驚愕の表情を浮かべる彼の視線の先には、真っ青のストーカー犯が立ち尽くしていた。 |