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南くんのストーカーの振りをするに当たって安室さんからはいくつか約束ごとを取り付けられた。南くんと直接会わないこと、危険なことはしないこと、少しでも変わったことがあれば安室さんに報告すること。もちろんそのつもりですと即答すると、安室さんはふうっと息をついて「ならいいんだ」と言った。それから五日目のお昼の出来事だった。


「まあ、盗聴器って使い方難しそうですもんね」


大学近くのカフェでお昼ご飯を食べ、そのまま三限の空きコマの時間を潰していた。暇だったのと、安室さんの声が聞きたくて思い立ってカフェの外に出、電話をかけてみるとすぐ応答してくれた。なにせ先週の金曜に会ってから五日顔を見れてないのだ。携帯越しの彼を思うと胸が高鳴るのは乙女の証拠だろう。話題は南くんの家の話という、何とも色気のない話題だったけども。ああ、と何か思案するような相槌ののち、いつもより低い声が聞こえる。


『さすがにここまではしないよね』
「……えへ」
『おい』
「ググっただけですから!それに安室さんが発見機持ってるって知って結局諦めたんですよ!」


『ならいいけど、本当にやらないでくれよ』呆れと怒気のこもった声に、彼のこめかみに青筋が浮き上がるのを想像する。やっぱり駄目だったか。言ったことは本当で、調べた段階で使い方を理解できず、そうこうしてるうちに安室さんがストーカー被害者の家で発見機を使ってるのを見て実行に移さなくてよかったと思い直したのだ。自分がストーカー犯を追う今となっては、あのとき実行してたらさすがに通報されてただろうと震えるよ。ていうか助手になるまで安室さん、よく日夜出待ちしてたわたしのこと許したなあ…。

何はともあれ、あの頃磨かれたストーキングスキルが役に立つなら使いたい。見事手柄を立てて、安室さんに褒められたい。そしてもし安室さんをストーカーする輩が現れたら、わたしが絶対に守りたい。安室さんの声を聞いて決意を新たにし、空いてる方の手でグッと拳を作る。


『そういえば、発信機はちゃんと持ち歩いてる?』
「はい!今大学近くのカフェにいますよー。どうです?」
『はは。電話が終わったら確認するよ』


確かGPS発信機の位置情報は携帯で確認するんだっけ。カフェのガラス窓から自分の席を見遣り、ソファ席にカバンが置いてあるのを確かめる。五日前、安室さんから手渡されたそれはカバンの内ポケットにずっと入れてる。…安室さんは意外と心配性だ。いざってときすぐ駆けつけられるようにってくれたけど、いざってときってどんなときだろう。まさか前みたいに拉致まがいな事態になるとは思えないよ。まあ、安室さんに居場所を把握されてる感覚というのもなかなか言葉にし難い快感を覚えるので、いいんだけれど。


『で、何か得ることはあったかい?』
「あ、いえ、まだストーカーの特定には至ってませんが…でも南くんの行動パターンは何となく知れましたよ。バイト先も特定しましたし」
『事前に聞かなかったの?』
「はい!自分が南くんをストーキングするとしたらって考えながらやってるので、事前に聞いといたのはSNSのアカウントとかです」
『その線引きはよくわからないけど……そういうことなら余計な情報は与えない方がいいかな』


その台詞には疑問に思ったものの、「? はい」と答えてしまった。そういえばさっき電話に出たとき、安室さん『丁度よかった』って言ってたかも。……まあ、ストーキングに必要な情報はすでに南くんから聞いた分で足りてるから現状問題ないだろう。


『じゃあ、健闘を祈るよ。くれぐれも無茶しないように』
「はい!ありがとうございます!」


プッと通話が切れ、通話履歴の画面が映る。携帯電話を両手でぎゅっと握り込み、すうっと大きく息を吸う。それから、もったいぶるようにゆっくり吐き出す。五日ぶりに安室さんとしゃべれて幸せだった。安室さん今何してたんだろう。わたしがストーカー犯特定するの待っててくれてるのかな。
もちろん安室さんは相手が女でも男でも容赦なく特定してすぐさま事件を解決するだろう。そう、わたしがやらなくてもどうせ丸く収まるのだ。でもそれは嫌だと思う。
絶対わたしが特定したい。というか、特定できる自信がある。盗撮された写真を金曜に見せてもらったときから何となく察してたけど、南くんのストーカーはわたしと感覚が近い。行動原理も何となく理解できた。だから、このまま南くんをストーキングしてたら絶対目の前に、「南くんをストーキングしてる人」が現れる。
もしその人がストーカーだって決めつけることができたら、「南くんのストーカーですか?」って声をかけようと思う。あわよくば写真を撮って南くんに見せてやる。この四日間のうち、土日を使ってバイト先に張り込んだ。月火で大学から自宅に帰るまでのルートを確認した。でも、例の植え込みにストーカーの姿はなかった。四日間盗撮してないはずはないから、塀の陰とかに隠れて撮ったんだろう。だとしたらわたしという知らない女が連日マンションの前でうろついてるのも知ってるだろうから、もしかしたら向こうもわたしの存在に気付いてるかもしれない。南くんをストーキングしてる奴だってバレる前にこっちが特定しなくちゃ。

よし、今日は南くん直帰のはずだから、四限が終わったら南くんが受ける五限の教室前で待ってよう。安室さんとは五日会ってないけど、南くんとも土曜にバイト先のファミレスで料理を運んでもらったとき以来やりとりしてない。あのお店の制服、南くんよく似合ってたなあ。まあ安室さんには敵わないけど!人知れずにやけながらカフェの引き戸に手をかける。


さん?」


バッと振り返る。後ろから名前を呼ばれたのだ。しかも聞き覚えのある声。


「南くん…?!」


彼はカフェの前の通りで立ち止まりこちらを向いて手を振っていた。やたら爽やかな笑顔である。しかしそんな彼とは対照的に一気に血の気が引くわたし。頭が真っ白になる。


「偶然だね!さんも三限ないんだ」
「う、うん、ていうか、」
「うん?」
「話しかけないでよーー!!」


わたしの悲痛な叫びにぎょっとした様子の南くんは、それからすぐにしまったという顔をした。そうだよ!何考えてんだよ南くん!安室さんに会うなって言われてたじゃん!!


「ごめん!!」
「もー!」
「うわーーどっどうしよう」
「とりあえずバイバイ!!」
「はい!」


二人して逃げるように踵を返す。「あっ」振り返る。


「南くん!安室さんにはこのこと言わないでね!」
「えっ?…は、はい!」


南くんが了承したことを確認し、カフェの店内に戻る。背中に冷や汗をかきながら自分の席に戻りソファ席に腰を下ろした。びっくりしたほんとに。南くんちょっと抜けてるとこあるんだなあ…!
焦ってかなり冷たく追い返してしまったけど、実際のところ、あんな神経質にならなくてもよかった気がする。猛スピードで後悔してる。金月火で大学から南くんを尾行してたけど、ストーカーの姿は見えなかった。多分ストーカー犯は、毎日南くんの家の前に張り込んでるんだと思う。彼の大学を知らないわけないと思うから、社会人もしくは学生としてもちゃんと生活してるタイプだろう。だからきっとここまで来てない、はず。
ソファ席に腰を下ろす。注文したココアは溶けた氷の分、上の方に水が浮いていた。どうしようもないのでストローでかき混ぜる。

突然、ゾワッと身震いする。……なんか、視線を感じたような。慌てて周囲を見回すも、視線の主はわからなかった。ごくりと固唾を飲み込む。

「君、護身術でも身につけてるのかい」安室さんの不満げな声が再生される。護身術とまではいかなくても、身を守る方法は構築しておくべきだ。動揺する頭で考えを巡らす。

……ああ安室さん、まだ当分会えなさそうです…。


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