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南さんのワンルームに盗聴器は見つからなかった。隠しカメラの方も軽く探してはみたが見当たらず、盗撮は外に限られるだろうと判断した。彼の自室に興味がないのか、部屋に侵入できるほどのスキルがないのか、単にまだ行動に移していないだけなのかはわからないが、現状の被害はストーキングと盗撮のみで間違いなさそうだ。
南さんの部屋には特に目立ったものはなく、一般的な一人暮らしの大学生のそれだった。イスに腰掛けながら預かった写真すべてに目を通していく。南さんが廊下のシステムキッチンでお茶を淹れている物音だけ聞こえる。長居するつもりはなかったが、手持ち無沙汰でもあるのだろう、無下に断ることはしなかった。
写真の枚数は五十枚にのぼる。どれも南さんを被写体にしているものの視線はあっておらず、しかし日の暮れた外での写真が多い中ピントはほぼ合っている。携帯のカメラではなくデジカメで撮ったと思われるが、ここまで綺麗に撮るとしたら偶然を装うというよりしっかり待ち構えて撮る姿が想像できる。どこから撮られているのか、下からのアングルが不自然な、夜にマンションのエントランス前で撮られたと思われる写真が一番多かった。


「お茶です、どうぞ」
「ああ、どうもありがとうございます」


透明なグラスに注がれた麦茶がテーブルに置かれるのを目だけで見遣る。一通り写真を見終えたあと、脇に出ている日付を確認する。ここは隠す必要性を感じなかったのだろうか、ごく当たり前といった風に撮影日が記されていた。ほとんど毎日のそれには執念と同時に恐ろしさを感じた。向かいのイスに腰を下ろした南さんが背筋を正しそわそわと落ち着かない様子で僕を見ているのがわかったが、考えをまとめるまで少し待ってもらうことにする。
テーブルに目を落とすとピンク色の封筒が十枚近く重ねてある。毎週水曜、写真の入った封筒が郵便受けに投函されているという。一番最近送られてきた写真は今週の火曜日、喫茶店で本を読んでいる南さんだった。そういえばと思い、写真の束からある写真を探す。


「南さんの行き先はどうやって知られたのかという点が気になっているんですが、この写真…」


一枚引き抜き、テーブルに置いて見せる。八月中旬の夏休み、友人とボーリング場にいる写真だ。レーンと周囲の客を背景に、背中を向けて立っている南さんが写っている。しゃべっているのか、友人の顔がしっかり写り込んでしまっていた。彼がこの件を解決したい理由の一つだ。自分だけが撮られるならまだしも、友人まで撮られるのは迷惑がかかると思っているのだ。


「ここに行くことを知っていた人は誰ですか?」
「えっと…俺の知る限りでは一緒に行った友達だけです。前日に計画して行ったので」
「その計画は大学で?」
「いえ、携帯で…」


そう言って彼はポケットに入れていた携帯を取り出し、指で操作したあとこちらに向けてテーブルに置いた。どうやらSNSで突発的に決まったことらしく、夜の九時から男三人の応酬が連なっていた。………。溜め息をつきそうになるのをグッと堪える。この人は、ストーカーされている自覚があるにもかかわらず危機感がなさすぎるんじゃないか。試しに別の写真の日付までSNSを遡って確認すると、やはり盗撮された場所へ出掛ける話が挙がっていた。


「…南さん、外へ出掛ける際の情報はここから漏れています」
「えっ……あ、ああ…!」
「残念ながらあなたの発信を見ることができる人は多いので、犯人の目星をつけることは難しいですね」
「…以後気をつけます」


すみませんと肩をすくめて頭を垂れる彼に、いえ、と返す。残念ながら困っているのはあなただ。むしろ、少なくとも南さんのアカウントを知っている人間によるものだという情報が手に入った。ストーカーへのアプローチの方法も決まった。「それでは、今日のところはこれで…南さんはなるべく今まで通りにお願いします」マンション前で盗撮した位置を特定し、数日張り込めば特定できるだろう。ありがたいことにほぼ毎日南さんの帰宅を待ち構えているようだし。……このストーカー、捕まるという危機感はないのだろうか。ふと疑問に思った。「あのっ」腰を上げた僕に南さんが声を上げる。


「安室さんとさんって付き合ってるんですか?」
「え?いえ、そういう間柄ではありませんが…」
「そうなんですか?!でも初めて会ったときさんが……あ、これ言っちゃいけないやつだったかな」
「……」


顎に手を当て考え込む彼を見て思わず溜め息をつく。彼に対してではなく、もちろんに対しての溜め息だった。また変なこと言ったのか、あの子は。
この場にはいない。盗聴器があった際、南さんの部屋に女性の彼女が来たとバレるとややこしいことになりかねないため、カフェから別行動をしている。帰ってもいいとは言ったが、おそらく今頃僕の車が停まっているコインパーキングで待ってるだろう。
以前毛利先生にを助手として連れていることについて、「女性の彼女にしかわからないこともあるかと思って」 と言ったが、当然ストーカーの理解者になってもらおうなんて考えはなかった。確かに今まで僕にしつこくやってきたそれは今の件に通ずるものがあるが、だからといって……。
そもそもどういう流れで南さんは誤解したんだ。考えると頭が痛い。まさか梅島真知さんにまで誤解されているとは思いたくないが。あの子は本当に、人の話を聞かないな。


「ま、まあそれは置いといて、やっぱりストーカーのフリっていうのはダメなんですかね…」
「……すみませんが、危険なことはさせられないので」
「あ、いや俺はどっちでもいいんですけど、さんが…」


「はい?」つい訝った声になってしまった。妙に癪に障る。彼に悪意がないのはわかっているが、いやそもそも一体自分は何に苛立ったのか。





エントランスの自動ドアを通り外に出る。とっくに日は沈んでいるので辺りは暗かった。上着のポケットに入れた写真の束の存在を手のひらで確認し、反対にしまっていた携帯を取り出す。がコインパーキングにいるなら呼び出して一緒に盗撮現場の検証をしようと思ったのだ。被写体がいた方がわかりやすいだろう。もちろん周囲にストーカー犯がいないことを確認した上でだが。自動ドアを背に正面に横たわる道路を直進する。


「っ!」


咄嗟に振り返る。背後に視線を感じた。しかし視界には自動ドア越しのエントランスしか見えない。人の影はない。……なんだ?この手の己の感覚には信頼を置いているため気のせいとも思えない。辺りを見回してみるが、やはり人の姿は見えない。最悪の事態を想定しながらジリ…と足を引く。そこで止めた。


「…………何してるんだ」


視線の先には一メートル程度の高さの植え込みがあった。エントランスから道路に出るまでの短いスペースを左右で挟むように植栽されたそれは、この時間では深い緑が黒に近く、さらにエントランスの照明が手前の草の表面に反射し奥まった部分を観察しにくくしていた。一見ただの草の塊にしか見えない植え込みだが、じっくり見てようやく気付いた。そこに潜む人物の存在に。目が合い、ガサゴソと騒がしい音を立て茂みから出てくる。


「やっぱり安室さんにはバレますね…!」


よいしょと植え込みの間に足を入れ、タイル舗装された地面に戻ってきた彼女、に何と声をかけるのが正解なのかわからなくなる。突っ込みたいことはいろいろあったが、呆れが度を過ぎて何も言えなかった。「ここなかなかのベストスポットじゃないですか?」だとか何とか無邪気に言われても何と返していいのやら。ああ、そう、と気の抜けた返事しかできない。

一度大きく息をつき状況を整理したところによると、は僕たちと別れたあと遅れてこのマンションにやってきて、盗撮の検証をしていたんだそうだ。帰宅するマンションの前で撮られることが多いと事前に聞いていたため、撮ってもバレない位置取りを探していたらしい。いよいよ彼女が通報されるんじゃないかと心配になるが、その結果見つけたのが、植込みの中というアグレッシブな場所だった。
「そういえば家の方、何かわかりました?」植込みに隠れていたことを何とも思ってないに聞かれ、僕は盗聴器の類はなかったことや、ほぼ毎日写真を撮られていること、その中でも不自然なアングルがほとんどという話をしながら写真の束を渡した。はほおーと相槌を打ちながら受け取ると、何枚か見てすぐ「あっ」と声をあげた。


「この下からの写真、わたしがいたとこから撮ってます!」
「…本当か?」
「はい!さっき安室さん撮ったときと同じで…ほら!」


やっぱり撮っていたかと内心突っ込みつつ、見せられた携帯の写真と現像されたそれを見比べる。僕と南さんの向いている方向は逆だが、確かに不自然な下からの写り方は同じだった。「……」仮にも探偵を自称している身として複雑な気持ちになりながらも、優秀な助手を素直に褒めようと顔を向ける。


「あ、マンションから出てくるときのアングルは多分あの塀の陰から撮ってますね!」
「…ああ、外出時は大体この遠目のアングルだね」
「植込みの中だと出るとき葉音がすごいので写真撮ったあとすぐ動けないんですよね。日付を見た感じ、塀からの写真を撮ったあと南くんを尾けてボーリング場まで行ってるので、ストーキングするときはこの位置から撮るようにしてるんでしょう!」
「うん」
「それにしてもこの人ほとんど毎日撮ってるんですね。これ、日記をつけてる感覚なのでは…」
「……」
「背丈はわたしくらいですかね?この植込みに隠れるの、多分安室さん無理ですよね」
「ちょっと、ストップ」


ほっとくと延々と一人の推理を述べそうだったため思わず止めに入ってしまった。もちろん僕も盗撮の法則性には気付いていた。ローアングルの写真は夜の帰宅時のみ。遠目の写真は昼夜問わずあり、同じ日に外出先でも撮られていた。それをはこの短時間で読み取り、かつ相手の心理を推察した。珍しく納得のいく推理だった。しかしそれよりも、の様子がいつになく興奮気味なのが気にかかる。


「…君、やけに張り切ってないか?」
「?」


は一度きょとんと目を丸くしたあと、「そりゃあもちろん!」ピンッと背筋を伸ばした。


「いつか安室さんがストーカーされたとき、こうやって守るんですもん!」


「予行演習です!」えっへんと胸を張るに、言葉が詰まった。

僕は十中八九、張り切る理由は自分を通して受けた初めての依頼だからだと予想していた。加えて依頼人が同じ大学の同い年という、共通点の多い人間だからだと。今日が初対面であるにもかかわらず二人は僕が合流したときにはすでに打ち解けていた。それもの前向きな姿勢を鑑みれば納得すべきところだと思っていた。


「……そう」


でも違うのか。というか、守るってねえ。

このときようやく、別れ際の南さんが何を言おうとしていたのかわかった気がした。彼女の意気込みを彼も聞いたのだろう。理解してようやく、自分が安堵していることに気が付いた。自分で自分に呆れる。
君に守ってもらうほどヤワじゃないと突っぱねれば済む話だが、僕はこのとき、彼女の気持ちを無下にしたくはないと思ってしまった。


「…君がやりたいならやってもいいよ、南さんのストーカーのフリ」


の目がまん丸に見開かれる。それからパッと笑顔を咲かせた。


「やったー!頑張りますね!」


その場で飛び跳ねるにほどほどにねと笑う。の言う通り植込みに隠れての盗撮が本当だとしたら、犯人の性別は女性だろう。最初からその可能性の方が高いとは全員思っていたが、これで確定する。南さんへの写真の送り方を見ても大体の性質が想像ついた。
それでもいくつか懸念事項はある。の間の悪さがどんな事態を引き起こすか、考えただけで気が重い。「そんな、見てもないのによくもまあ!」見てたよ。銀行強盗に巻き込まれたとき隣にいたんだ。連れがいない人が呼ばれたとき、立ち上がるのを最後まで躊躇った。勇敢な子ではない。勇敢なんかじゃなくたっていいから、あんまり心配させないでほしかった。それと同時に彼女の意思は尊重してあげたいとも思うから難儀だ。


「じゃあ、南くんの連絡先教えてもらってもいいですか?南くんのこと知りたいので!」
「…ああ」


一瞬嫌だと思ってしまったことは気のせいにしておく。


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