5


「どわーーー!!!」
「ぎゃーーー!!!」


 ドテンゴテンゴテンと盛大に階段から転げ落ちていく。地下鉄の駅につながる地上の入り口からノンストップだ。突然のことに息もできず勢いと重力のおもむくまま、ビターンと地下まで辿り着く頃には尋常じゃないくらい心臓がバクバクと鳴っていた。しかも全身が痛くて動けない。
 い、いま何が起こった…。頭が働かず、周りの通行人が遠巻きに通り過ぎたり何人かの心優しい人が駆け寄ってくれているのを呆然と見ていた。「だ、大丈夫ですか?」「……ハイ」いっそプロのスタントマンになった気分です。背負ったリュックサックで背中だけは守られたかと思いきや変な角度でしまった折り畳み傘に思いっきり刺され腎臓あたりが激しく痛い。肩でぜえぜえ息をしながらじんじんと痛む腕を立て這い上がる。と、近くで同じように倒れていた彼もゆっくりと起き上がったようだった。眼鏡が壊れなかったのはよかったなあ……。


「瑛祐くん大丈夫…?」


「はい……いてて…」声をかけてくれた優しい人には会釈をし、いつまでも地べたに座ってるわけにもいかないからとよろよろと立ち上がり瑛祐くんに手を差し出す。ぼさぼさになった髪のままその手を取った彼を、ぐいっと引っ張り上げる。


「というか、すみません!僕が傘引っ掛けたせいで…!」
「いや、階段が滑りやすかったせいだから!」


 勢いよく謝る彼に猛烈に手を振って否定する。このナントカ瑛祐くんと出会ったのは小雨の降るお昼ごろ、大学終わりにふらっと出てきた新宿で人混みに揉まれ歩いていたときだった。用が済んで駅に向かって歩いていると、向かいから歩いてきた彼と正面衝突してしまった。あまりに勢いよくぶつかったおかげで瑛祐くんのスクールバッグとわたしの手提げの中身が散らばってしまい、わたしたちは慌ててしゃがんで拾い集めた。不思議なことにさっきまでひどかった人混みがいっせいにわたしたちを避け始めたため、そこは雲間の日差しのように人がいなくなり何かがなくなったというようなことは起きなかった。
 それで済めばよかったのだけれど、奇妙な事態が生じた。何かがなくなった、の逆で、何かが増えたのだ。わたしたちの足元に、どちらの所有物でもない小さな箱が残っていた。


「君のじゃないんですか?」
「いえ、こんなの僕のカバンには入ってなかったと思いますけど…」


 箱はややずっしりとした質量があり、よく見てみると開け口のところに二つ折りにされた紙が挟まれていることに気が付いた。それを取り開いてみると、「警視庁様へ」との文字が。


「警視庁……電車ですぐですね」
「じゃあ誰かが届ける途中でここに落として、その上からわたしたちが荷物をばら撒いちゃったのかもですね」
「そうですね……でもこれ、何なんでしょう?」
「わかんないけど、わたし帰り道だし届けときますよ!」
「あ、なら僕も丁度乗り換える駅なので、行きます!」
「おー!じゃあ一緒に行きましょう!」


 ということで、警視庁への二人旅が始まったのであった。お互い自己紹介をし、彼が帝丹高校の高校二年生ということを教えてもらいながら駅へと向かった。そして階段を転げ落ち、現在に至る。
 この短時間で何となくわかったけど、瑛祐くんドジっ子だな?!ここに来るまで人にぶつかるわ丁度蓋が外れてた道路の排水溝に足を突っ込むわちょっとこっちが心配になるくらいだよ。極めつけは今のスタントマンごっこだ。わたしが案内しようとした屋内にある階段は行ってみたら改修中で使えなく、この外の階段を使ったところ雨で滑りやすくなっていてこの悲劇だ。瑛祐くんが足を滑らせたとき、持っていた傘がわたしのリュックサックの肩紐に引っかかってそのままドテンゴテンゴテン。ちなみにその前の、人にぶつかったときも瑛祐くんの肘鉄が後ろを歩いていたわたしのお腹に入ったり、蓋のなかった排水溝に足を突っ込んだのと同じタイミングでわたしが踏んだ別の蓋が外れて足を突っ込んだりした。なのでわたしと瑛祐くんのダメージは同じくらいだろう。どちらもすでに満身創痍だ。


「えっと、警視庁は二番せ――えっ」


 気を取り直して改札を通ろうと定期を改札機にタッチした途端、テーンと音が鳴って行く手を阻まれた。『係員をお呼びください』女の人の声が流れ瞠目する。な、なんだなんだ。すぐにやってきた係員の人に改札機を調べてもらい、「故障したようなので他のところからお通り下さい」と言われてほっとする。なんだ、びっくりした。
 隣の改札を通ると、瑛祐くんが苦笑いを浮かべながら待ってくれていた。わたしも肩をすくめる。まさかこのあと、警視庁最寄りの改札でタッチ不足を理由にひっかかる瑛祐くんが見られるとは、誰も予想していなかっただろう。

 辿り着いた警視庁は騒然としていた。初めて踏み入れた場所なので、警視庁っていつもこんな感じなのかなと身を縮こませる。言いようのない焦燥感に包まれおろおろしていたわたしと違い、瑛祐くんはドジっ子の印象を払拭するように周囲を冷静に観察していたらしく、「爆弾犯からの予告状が届いた、って今通り過ぎた刑事が言ってました」と教えてくれた。なんと、まさかそんなことがリアルタイムで起こっているとは。
 とにかく受付の人に渡しに行きましょうと率先する瑛祐くんのあとについていく。ドジっ子高校生だと思ってたよ瑛祐くん、正直侮っていたことを謝ります。わたしだって年上なんだし、探偵の助手としてこんなことでうろたえてはいられないぞ!気合いを入れ直し、多くの警察官が警視庁を飛び出していく中、わたしたちは受付へ落とし物を届けに向かった。


「あの、これ」
「あーーーー!!」
「へっ?」


 手提げから箱を取り出すなり、周りにいた警察の人たちに指をさされた。二人してびくっと大げさなリアクションをしてしまう。


「添付されていた画像にあった爆弾と同じだ!」
「君たちこれをどこで?!」
「え?えっと、」


 それからは目まぐるしく事態が動いていった。どうやらわたしたちの届けた箱の中身こそが警視庁が騒然としていた原因の爆弾だったらしく、わたしたちは何階かの小部屋に連行され事情聴取を受け、何が何だかわからず混乱しながらも、今日出歩いたところを話したり箱に挟まっていたメモ用紙のことを話したりした。解体作業がなされている間しばらくそこに足止めされ、帰宅許可が出たのは、爆弾から手がかりが掴め、警察の人たちがそこへと出動していく頃だった。

 ようやく解放され、最寄駅に戻ってくる。おもむろに疲労の溜め息をつくと、隣の瑛祐くんと重なった。


「なんかすごく疲れたね…」
「本当ですね…こんなについてない日は初めてです…」
「……」


 どうやら瑛祐くん、自分のドジっぷりを運がないせいだと思い込んでいるらしく、ちょっと的外れなことを言っていた。でも確かに今日はことごとくひどい目に遭った気がする。きっとそういう日だったんだろう。身体のあちこちもまだ痛い。


「でもその分明日はいいことあるよ!お互いね」
「そ、そうですよね!」
「うん!じゃあ、わたしこの電車だから。瑛祐くんは何線?」
「あ、違うんです、もともと別のところに向かおうと思ってたんですけど、今日はもう帰ります。なのでこの反対行きです」
「そっか。それじゃあ、お疲れさま」


 丁度両側の電車が到着し、二人笑顔で手を振って別れた。今日は散々だったけど、瑛祐くんはいい子だったし、知り合えてよかったなあ。にこにこしながら乗り込み、空いている座席に座る。すっかり遅くなっちゃったけど、安室さん家に行ってもいいかな。今日も依頼受けてたりするのかなあ、聞いたら教えてくれないかなあ。もちろん連絡なんて来ないので、携帯でメッセージの作成画面を開く。
 ……あれ?違和感を覚え顔を上げる。電車が動き出す気配がない。というより、まだドアが閉まらないのだ。


『ただいま、当駅停車中の車両に故障が生じたため、一時運行を見合わせております。ご乗車のお客様には大変ご迷惑をおかけ致しております。繰り返します。ただいま――…』


「……」向かいの電車の瑛祐くんと顔を合わせる。お互い目が点だった。



◇◇



「ということがあったんですよー!」
「大殺界か」


 あれから二時間近く足止めをくらい、安室さん家に押しかける頃には夕方になっていた。出迎えてくれた安室さんにはほんとに来たんだみたいな顔をされたけど「聞いてくださいよー!」とドカドカ上がり込み、華麗にお風呂場を借り排水溝に突っ込んだ足を洗ったのち、ソファにぼふんと身体を沈め今日の散々な出来事の数々を話したのだった。安室さんは耳を傾けながらオレンジジュースを入れてきてくれたのだけれど、その表情はなぜか呆れ顔だった。もう少し労りの眼差しが欲しい……。


「どうりでうちに来たときから疲労感が見えていたわけだ」
「心身ともにボロボロですよー…」
「爆弾犯なら捕まったってさっきニュースでやってたよ」
「あ、ほんとですか!それはよかったです」


 お礼を言って受け取り、ごくごくと飲み喉を潤す。冷たい果汁100パーセントオレンジジュースが胃に到達して疲労感が少し紛れた気がした。安室さんは同じグラスをダイニングテーブルに置きイスに腰掛けると、そのまま少しだけ覗き込むように姿勢を傾け、苦笑いを零した。


「膝、すごい痣になってるね」
「ですよね!もうあちこち痛くて!階段から転げ落ちるのなんて人生で初めてでした!」
「ほとんどの人間が人生で経験しないことだろうね」


 それもそうだ。わたしもスタントマンごっこは一回でお腹いっぱいなので次がないことを全力で祈るよ。転げ落ちてる最中の記憶は最早うっすらとしてよく覚えていないけれど、それほど生きた心地がしなかったのだろう。


「可哀想だから、今日終わらせてきた依頼の話をしてあげようか」
「え!ほんとですか?!」
「うん。なかなか興味深かったしね。他言無用を守れるならだけど」
「やったー!」


 安室さんが優しい…!やっぱり今日頑張って来てよかった!
 単純だなあと自分でも思うけど、安室さんのおかげですべての疲労がリセットされた気がした。


top /