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警察が到着したあとしばらく経ってから、コナンくんは高梨さんたち曰くの「ベランダ伝いに」部屋を脱出したようだった。閉じられたドア越しに人が忙しなく動く物音が聞こえ、警察の人たちが捜査してることがうかがえた。わたしといえば、事件発覚から待機を命ぜられずっと廊下にいるのに、依然落ち着けずふわふわした感覚が抜けないでいた。同大の三人も廊下の突き当たりで顔を青くして時折何か話している。横目で彼らを見、目を伏せる。先ほど安室さんがやってくれたみたいに片手で二つの目蓋を優しく抑えると、暗転する前の光景が思い出される。唇を噛みしめる。頭から血を流して亡くなってるらしい。遺体はまだ運び出されていないらしい。この部屋の主は。


「……」


鼻の奥が痛くなる。いいならいっそ思い切り泣きたかったけれど、他でもない自分が諌めたので堪えた。距離としてはウエディングパーティに潜入させてくれた初音さんが近いだろうか。石栗くんとは少しだけど話した。何も知らない人じゃない。知人が目の前で死ぬという恐怖とも取れる感覚に押し潰されそうだった。


、大丈夫?」
「…はい…」
「つらいならキッチンに戻ってな。蘭さんたちもいるだろうから…」
「大丈夫です!」


目を開き強く答える。堪えたのは追い出されたくなかったからだ。事件が起きた。探偵の安室さんは解決に尽力する。助手のわたしも、できることを探すのだ。感傷に浸ってる場合じゃない、強く心を持つのだ。


「ま、十中八九事故だろうな」


壁に寄りかかるように立つ毛利さんがそう言った。遺体のそばに血のついた花瓶が落ちていて、遺体が扉を塞ぐようにして倒れているところからそう判断したらしい。先ほどドア越しにコナンくんに現場状況や間取りを確認したのだ。さらに彼曰く、窓の鍵は閉まっていたという。

毛利さんの推理によると、ドア付近にある棚から落ちてきた花瓶が偶然近くにいた石栗くんの頭に当たり、そのまま倒れて亡くなったのだと。別荘にいた全員が聞いたあの大きな物音は、石栗くんの頭に当たった花瓶が落ちた音だったのだ。「ここが開いて俺が現場をしっかり見れば、詳しい事故の経緯もわかるだろーよ」指の関節でコンコンと扉を叩く毛利さん。部屋の合い鍵はなくなったって、さっきも聞いた。彼の推理に特段おかしな点もなく、わたしも不慮の事故だと思えた。
とりあえず窓から部屋を出た警部さんとコナンくん待ちだと言って腕を組んだ毛利さんから目を離し、隣の安室さんを見上げる。(……あれ?)その表情がピリッと鋭かったものだから、わたしは少し驚いてしまった。毛利さんとは少し離れて立っていたので、安室さんにだけ聞こえるよう小声で話しかけた。


「安室さん、もしかして…」
「ん?ああ、毛利先生の推理には概ね同意だよ」
「そ、そうですよね」
「ただ…僕も現場を見てないから、まだ断言できないってだけだよ」


鋭い目のまま、視線の先には石栗くんのサークル仲間の三人がいた。唐突にぞわっと背筋が凍る。


「事故か、他殺か…一人なのか二人なのか、三人なのか。まだ何とも言えないかな」





「何ィ?!密室殺人だと?!」


石栗くんの部屋の前に戻ってきたコナンくんと一緒にいたのは静岡県警の横溝という警部さんだった。毛利さんたちとは顔見知りらしく、目暮警部とはまた違った態度で毛利さんの推理力を尊敬しているようだった。事故だと主張する毛利さんに対し横溝警部は動揺を見せながらも、大きな音がしたすぐあとに遺体や花瓶に触ったけれどどちらの血も乾いていたとコナンくんが言っていたことを根拠に密室殺人の可能性を提示していた。しかしそれには、コナンくんが脳震盪のせいでボーッとしがちだったため大きな音のすぐあとだったかは定かじゃないと返した。


「だいたい密室を作るような知能犯がそんなすぐバレる犯行をするわけが…」
「それはおそらく、犯人にとって二つの大きな計算違いが生じたからではないでしょうか」


毛利さんの話を遮るように入ったのは安室さんだった。計算違いとは、コナンくんが犯人に気付かれず部屋で寝ていた事と、部屋の鍵を安室さんが開けてしまった事。その二つがなければ、第一発見者はベランダ伝いに石栗くんの部屋を覗くことしかできず、呼んだ警察が窓を破って部屋の中に入ることになっても、その頃には血が乾いていても不自然じゃない。たとえ発見した直後に窓を破って入ったとしても、血の乾き具合より石栗くんの生死に注目するだろうから、あとで警察に伝える際にも「頭から血を流して扉の前に倒れていた」と伝えるだけで、結果として花瓶が落ちてきたときに起こった事故であると誰も疑わなかっただろうと。安室さんは確信しているかのように述べた。


「お手柄だね、コナンくん!」


中腰になってコナンくんを褒める安室さんの背中をぼんやりと見つめる。さっき言ってた通り、横溝警部の話を聞いてから安室さんは少なくとも、事故の可能性はないと判断したんだ。外部犯、とかいうのもあんまり考えてなさそうだった。だからわたしは怖くて後ろを振り向けない。


「とにかく、元々この別荘に来ていた三人に話を聞かれてはどうですか?」


「殺人の動機がありそうなのは、この方達だけでしょうから…」どきっと肩をすくめる。安室さんはこちらに振り返り、廊下の奥にいた三人に目をやっていた。…やっぱり。石栗くんを殺した人が、あの中にいるんだ。今日初めて会った人たちでも人柄なりは何となくわかってたつもりだった。同じサークル仲間を殺せてしまうような人がいるとは、思いたくなかった。


「ん?そこの女性は違うんですか?」
「え?」


警部さんの疑問の声にワンテンポ遅れて顔を上げる。一瞬目が合ったあと警部さんは毛利さんに確認を取るように顔を向けた。……えっ?


「わたし?!」
「ああ、そいつは俺らの連れで……ん?そういや同じ大学なんだっけか?」
「へ?あ、そうですけど…」
「……」
「……」


毛利さんと横溝警部のアイコンタクトにただらなぬ雰囲気を感じ取る。毛利さんはまさかな、みたいな顔してるけど横溝警部は割と真剣だ。二人のそばで安室さんが距離を取ったのが視界の隅でわかった。


「すみませんが、念のためお話をお聞かせ願えますか?」
「はい…?」


怪訝な視線の警部さんと目が合う。頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら了承したあとしばらく放心していると、毛利さんが横溝警部に場所はキッチンがいい、クーラーが効くからと進言していた。「ではまず…そこのあなたでよろしいですか?」わたしを含めた四人にそれぞれ目をやり、琴音さんに声をかけた横溝警部の声でようやく我に返った。

……あれ?!これわたしも取り調べられる流れ?!


「残りの三名はリビングで待機していてもらえますか」
「わ、わたしもですか…?!」
「ええ」


即答され思わず頭を抱える。クエスチョンマークだけでなくびっくりマークも乱立だ。い、今何があった?!横溝警部と毛利さんの間で何があったの?!なんでいきなりわたしまで…わたし石栗くん、ころ、殺す動機なんてないよ!しぶしぶといったように移動を始めた高梨さんたちが横を通り過ぎる。おそるおそる見上げて合った彼らの視線がやけに懐疑的で、わたしは嫌な予感を察知した。待って、わたし犯人だと思われてる…?!
ハッと振り向く。安室さん!安室さんに助けを求めようとしたのだ。冗談じゃないよ、疑われる意味がわからない!さっきよりそばに来てくれていた安室さんは、わたしを見下ろすと、顎を引いて一つ息を吐いた。


「ついに容疑者か…」
「わあああ疑ってるんですか?!」


神妙そうに言われてしまっては落ち着いてられない。なんでそんな、おまえとうとう…みたいな顔をするんですか?!しかし安室さんは一転して、呆れたみたいに肩をすくめた。


「まさか。少しも疑ってないよ」
「あ、あむろさん〜…!!」
「毛利先生もさすがにないと思ってるだろうから安心しな。ただ警部が可能性はないとは言い切れないようだから、事情聴取は受けた方が話は早いよ」
「わー…疑われながらの事情聴取は初めてです…」


コナンくんと一緒に車で誘拐された夜を思い出して身を震わせる。あのときは被害者としての事情聴取だったから、後日警視庁に行ったときも婦警さんは優しかった。でも今回は容疑者なのだ。…よ、容疑者って何だ……怖い。


「さ、一階に行こう」


安室さんに肩を押され促される。普段通りの調子に、安室さんは本当に一ミリも疑ってないんだと確信できた。ホッとして涙ぐみそうだ。毛利さんや警部がどう思ってようが、安室さんさえ信じてくれてるなら何も怖くないなあ。


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