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「って言われたんだよーー!」


隣に座るコナンくんの二の腕を叩きたい気持ちを堪えて自分の太ももをペシペシ叩くと、コナンくんの口からは乾いた笑いがこぼれた。

安室さんから受けた衝撃で挙動不審になりながらも、リビングに置いておいたトートバッグからスカートを取り出し、一階のトイレで着替えた。左足がびしょびしょになったジャージのスボンは畳んで同じようにバッグにしまう。上が半袖のTシャツ、下が私服のスカートと、不恰好な自分の姿に情けない気持ちになったものの、すぐにさっきのことを思い出して舞い上がった。安室さんがあんなこと言ってくれるなんて!一人じゃ抱えきれない興奮を分かち合ってもらおうと昼食の支度に混ざらずリビングでソファに座るコナンくんを見つけ隣に座った。そうして嬉々として説明したのにコナンくんの反応はまるでかんばしくなかったけれど、そんなことすらわたしには大した問題じゃなかった。


「探偵と助手って意味なだけで、他意はないんじゃないかな…」
「きゃ〜安室さんがわたしを助手としてペアって認識してくれてたことに感動だよ!」
「意外と控えめなんだね」


コナンくんの冷静なツッコミにもえへへと頬を緩めて返すわたし。ちょっと、有頂天だ。普段から優しいけど、あんな風にわたしとの仲を認めてくれるのは初めてだったから。安室さんもちゃんとわたしのこと見てくれてるんだなあ…!
「そういえばさ、さん…」一人にこにこと足をバタつかせるわたしとは対照的に、コナンくんはどこかうかがうような表情で話しかけた。「ん?」何か話しにくいことだろうか。


「最近ポアロ来てなかったね…」
「ああ!テスト期間だったんだよー!だから安室さんの看病もできなくて…」


わたしがいない間、ちゃっかり依頼を受けたり毛利さんの仕事について行ってたりしないだろうかと気が気じゃなかった。安室さんのことは信頼できる人だと思ってるけど、わたしをほっぽることに関しては疑いの余地があるのだ。まあ今回に限っては、夏風邪を引いて家にこもりきりだったみたいだから、もう疑ってないのだけど。


「コナンくんともミステリートレインで会って以来お久しぶりだよね〜」
「うん、そうだよね」
「あのときは事件が起きちゃって、楽しむどころじゃなかったよねえ」
「うん…」


コナンくんが乗ってたのは知ってたけど実際に顔を合わせたのは下車したあとだった。わたしの運が光ってゲットしたパスリングだったのに、いろいろあって苦い思い出になってしまったなあ。事件が起こったのもそうだけど、それより、よりによって安室さんから事件の話を聞いてる最中に居眠りしてしまったのだ。眠くもなかったし、もちろんよっぽど退屈な話だったわけでもないのに、わたしはぐーすかと、それはもう、事件が解決して列車が停まるまで眠ってたのだ。助手としてなんたる失態。安室さんが少しも怒らなくても、わたしの責任感が罪悪感へと変貌した出来事だった。


「コナンくんは毛利さんの推理ショーのお手伝いをしてたんだよね、偉いなあ」
「おじさんに頼まれてやったんだよ」
「いいなあ、わたしなんか、寝ちゃってたんだよ」
「え?」
「安室さんが調査してるの手伝ってたのに、部屋で事件の話聞いてるうち寝てたんだよ、ほんとばかだよねー!」


言い訳みたいだから誰かの前で掘り返したりはしないけど、本当に不思議だった。そんなに心地よい揺れだったのかな、あのベルツリー急行の列車は。
「そうなんだ…」どことなく神妙に相槌を打ったコナンくんにハッとする。な、なんか暗い話になっちゃったかな?!小学生に気を遣わせるわけにはいかん!慌てて背筋を伸ばし声音を変える。


「だから余計、安室さんが助手だってちゃんと思ってくれてることが嬉しくて…」

「お、もいたのか」


後ろから聞こえた声に振り向く。リビングの入り口に、高梨さんが立っていた。


「その子に、ここクーラーの調子悪いから石栗の部屋でも行って休んでな…って言おうと思ったんだが」
「あっそうですね!コナンくん休んだ方がいい…!」


わざわざコナンくんを気遣って来てくれたようだ。いい人だなあ!それに比べてわたしときたら、頭打ったコナンくん捕まえてノロケ話聞かせるなんて不謹慎なことを!情けなさに人知れずぐうと唇を噛み、コナンくんの背中を押す。高梨さんにありがとうとお礼を言いながらソファから立ち上がる彼をいってらっしゃいと送り出す。


「あー…と、だったか?さっきはほんとに悪かった。おまえも具合悪かったら琴音か真知の部屋使えるよう頼むからよ」
「大丈夫です!」


そもそも自分も昼食の手伝いをしようと思ってたくらいだ。こめかみはまだ少し感覚が残っていたけれど、そろそろ大丈夫なんじゃないかな。スクッと立ち上がりコナンくんと一緒にリビングを出る。「そうか?無理すんなよ」気遣ってくれた高梨さんはそう言って、玄関の方へと歩いて行った。トイレかなと頭の片隅で思いながら、台所へ続くと思しき方向を向、こうとすると、階段から足音が。


「お?と少年じゃねえか」
「石栗くん」


ナイスタイミングだ。二階から石栗くんが降りてきたらしい。リビングに忘れ物だと言う彼に早速、コナンくんを部屋で寝かせてあげてほしいと頼むと二つ返事で了承してもらえた。ラックに入っていたDVDを手に入り口へ戻ってくる石栗くん。さっきまであんまりいいイメージなかったけど、案外いい人なのかもしれない。彼を横目に、再度送り出すつもりでコナンくんの背中へ手を伸ばす。


「なんならも来るか?」
「えっ?」


思わぬお誘いに目を丸くする。まさかお呼びがかかるとは思ってなかった。「同じ大学同士、話したいことあるよな」にやっと笑う石栗くんから目を逸らす。唐突に立ち込める居心地の悪い空気に肩をすくめる。……な、なんかやだなー…。善意だとしても素直に受け取れないぞ。
視線を落とすとコナンくんも呆れ顔で石栗くんを見てるのがわかった。それに何かを思う前に、「」名前を呼ばれた。

パッと顔を上げる。台所の方から安室さんが歩いてきていたのだ。スタスタとスリッパが擦れる音。だんだんと近づいてくる彼を、ぼんやり見ていた。


「氷取り替えてもらったよ」


わたしのそばまで来て、タオルに包まれた氷袋を見せる安室さん。見上げた先の静かな表情に、わたしは急激に安堵したのだった。「あ、ありがとうございます…!」両手で受け取るとひんやりとした冷たさが伝わって来る。とても気持ちいい。


「…あ、じゃあ行くか」


クルッと振り返ると、石栗くんは慌てた様子で階段へ踏み出していた。コナンくんもついて行くのを確認して、ほっと胸をなでおろす。変な意味はなかったんだろうけど、なんか嫌だったんだ、ごめんなさい石栗くん。

それにしてもやけに慌ててたなあと思いながら顔を正面に戻すと、石栗くんがいた場所をじっと見つめる安室さんが見えた。


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