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「もしもし安室さんですか…」
『うん、どうかした?』
「あのですね…レイナさんが学校にいまして…」
『え、君らしくもなくついてるね。じゃあまだ学校かい?』
「いえ、それが…」
『ん?』
「探してること即行でバレてしまいまして、今、一緒に駅前のアイス屋さんにいます」
『………』


 安室さんの沈黙が怖い。そりゃそうだ、わたしたちの目下の目的は家出少女の隠れ家を突き止めることだったはず。本人との接触は依頼人である母親に報告してからであるべきだし、ましてや探偵を雇って探しているなんてことは知られてはいけないはずだ。わかってはいたけれど、教室の入り口ではいい言い訳が思いつかず、わたしは不審者の通報から逃れるため、泣く泣く探偵の助手であることを暴露したのだった。
 安室さんだったらあのときどうするんだろうなあ、と途方に暮れる。この人なら絶対うまくかわしただろう。そもそもレイナさん(レイナちゃんと呼んだら気安く呼ぶなと怒られた)がいることに最初に気付いたと思う。『まあ、逃げられなかっただけ良しとするよ。今から僕も向かうからそこから動かないでくれ』彼からの指示に了解しましたと返し、通話が切れたのを確認してから画面を消す。タイミング良くレジカウンターから不機嫌そうな顔の彼女が戻ってきたようで、両手にコーンとカップのアイスを持ち口を尖らせているレイナさんは、向かいの席に着くなりドンと勢いよくアイスのカップを置いた。わたしの分である。


「わーありがとうございます」
「はい」


 お財布も返してもらい、交換で彼女のスクールバッグを返す。人質ならぬ物質だったのだ。安室さんに電話したかったので、代わりに買ってきてと財布を渡す代わりにカバンを奪い取った。もともとアイスを食べたいと言った彼女の要望だったので、わたしのもすきなの選んでいいからと財布を押し付けたら嫌々ながらも頼まれてくれた。最初はヤンキーかと思ったけれど案外いい子なのかもしれない。受け取った財布をそのままカバンにしまおうとすると、「ねえ」と彼女の低い声が聞こえた。


「ん?」
「わたしがお金盗ったとか思わないの」
「盗るほど入ってました?!」
「入ってなかったけど!アイス買ったら残金千円もないけど!他にもあるじゃんいろいろお財布の中には!」
「……ほう」


 特に返したい言葉もなかったのでぼんやりとした相槌を打ったらますます不満そうな顔をさせてしまった。しかしそうは言っても彼女だって、わたしがカバンの中から何かパクったって疑ってないから、受け取ったあとそのまま隣のイスに置いたんじゃないのかな。レイナさんは意味わからんと溜め息をつくと、早速アイスに刺さっていたピンクのスプーンで食べ始めた。わたしも食べないと溶けてしまうと思い同じくスプーンに手を伸ばすと、「キャラメルリボンとクッキーアンドクリームはわたしのだから」と差し押さえられてしまった。


「半分残しときます」
「ふん。……で、あんた本当に探偵の助手なの?不審者っぽくはないけど助手っぽくもないよ」
「まだ始めて三ヶ月くらいだから新米なんです。でも今から来る探偵さんは超優秀だから安心してくださいね」
「来てもいいけどわたし帰らないから」
「…お母さん心配してますよ」


 ぼそっと返すとギロッと睨まれた。う、怖い…。思わず目を逸らし視線をアイスに落とす。「心配してるわけないじゃん」冷たい口調だ。実際会ったこともないわたしがこれ以上適当なことは言えない。


「探偵になんかわざわざ頼んで、自分では探せないんだよ」
「そ、そんな言い方」
「ああ、違うか。自分で探す気がないから人に任せたんだ。ほんと……」


 そう言って、自嘲気味に目を伏せる彼女。……レイナさん、もしかしてさみしいんじゃないのかな。本当はお母さんに見つけてほしいのかも。そうだ、だって今も、本当に帰る気がないのならわたしや安室さんから本気で逃げるべきなのに、そうはせずのん気にアイスを食べてるなんて、変だ。不審者として通報を免れたあとも、仮病を使って早退したのについて行くわたしを振り払おうともせず、「アイス食べたいからおごってよ」と言った、この子は。

 パッと顔を上げる。レイナさんの表情が悲しそうに見えるのは、きっと気のせいじゃない。


「レイナさん、今日わたしと、たぶん安室さんも、ずっとレイナさんに付き合うから、一緒に帰りましょう」
「やだって言ってんでしょ」
「帰ろう!」
「やだ!なんなのあんた!ガキっぽいこと言ってんじゃねーよ!」
「帰らないならずっと張り付いてしきりに帰宅を促します」
「きもっ」


 本気でドン引きされたけど他にいい案が浮かばない。彼女の隠れ家探しはこの際どうでもいい。この子を帰らせるのが一番手っ取り早い。それに絶対お母さんもそれを望んでいるはずだ。確かに探偵って探すのが仕事だし、こういう家庭問題の解決を図ることとはちょっと違う気がするから、だからお母さんもそういう頼み方をしたんだ。…なんだから……わたしは…。


「…ふんっ!」
「あーー!!キャラメルリボンはわたしのって言ったじゃん!!」
「食べてやる!全部食べてやる!やけ食いしてやる!」
「信じらんない…!クッキーアンドクリームは返せ!」


 嫌だと返す前にもしゃあと口に入れてしまう。ぎゃーー!という彼女の絶叫が響き渡り、店内が一瞬静まり返る。それでハッと我に返った彼女は恥ずかしそうに肩をすくめ、それから器用にコーンを持ったままうつ伏せた。


「もーーわけわからん……ふっ…」
「え、ごめんなさい、泣いた?」
「こんなんで泣かないし!」


 バッと上げた彼女は顔を真っ赤にして、眼球はうるんでキラキラと光っていた。泣いたんじゃないのかとうかがいつつ、さすがにわたしも悪かったと思い残り一つのアイスを差し出すも、「いらない」ピシャリと断られてしまった。わ、わたし大人げなかったな…距離が一層開いてしまった…。今さら反省し身を縮める。「ごめんなさいレイナさん…」謝ると、頬杖をついた彼女はそっぽを向きながら、小さく何かを呟いた。


「…レイ」
「ん?」
「友達みんなレイって呼ぶから、あなたも呼べば」
「……! ありがとう、レイさん!」
「さ…じゃなくて!」
「あっ!」


 視界に入った人影にバッと立ち上がる。車道を挟んだ向かいの通りに安室さんが見えたのだ。「…安室さん!」途端に、身体の内側から感動やら安堵やらが湧いてくる。振り向いて壁のガラス越しに同じように見ている彼女にテーブルを越えてバシバシと肩を叩く。


「あれが安室さんだよ!行きましょう!」
「超若そうなんだけど」
「そうですよね〜!ほらアイス持ってっていいから早く!」
「あっわたしのスクバ!」


 彼女の隣のイスに置いてあるカバンを勝手に持ち店を出る。歩行者信号が丁度赤に変わってしまったので、うずうずしながら待ち、その間にアイスを食べ終えたレイさんと一緒に青に変わるなり向こう側で待っている彼に駆け寄った。


「安室さーん!」
「ちょっとねえ!靴紐ほどけてるよ!」
「えっあっほんとだ!」


 横断歩道を渡り終えてからしゃがみ靴紐を結び直す。「わたしのスクバ地面に置かないでよね」そばのつんとした声の主によってカバンを取り上げられた。安室さんがこちらまで歩いてくる頃には固く結び終え、毅然と立ち上がってみせる。


「やあ。随分と打ち解けたみたいだね」
「はい!もう仲良しです」
「何の話よ」
「初めまして、安室透です。あなたがレイナさんですね?」


 彼女の目線と同じ高さまで屈んで笑顔で自己紹介をする安室さん。そんな紳士なところも素敵だ。人知れずにやにやしていると、その彼女は顎を引き、さっきより大人しそうに頷いた。


「そうですけど…」
「家出の理由はわかっています。つらかったですね」
「…!」
「一緒に帰りましょう。お母さんも反省していますよ」
「…はい」
「ん?!切り替え早くない?!」


 さっきまで散々嫌がってたのにその身の変わりようは何?!今までの攻防は一体何だったのか、安室さんが二、三言話したら即刻頷いたではないか。異議を申し立てようとするも安室さんには折角頷いたんだから黙ってろと言わんばかりに睨まれる。り、理不尽…!納得がいかないので、先導する安室さんに素直について行く彼女を追いかけ小声で話しかけた。


「ね、ねえ」
「何よお」
「帰るの?いや帰るのはいいんですが」
「いいならいいじゃん」
「わ、わたしの説得のどこが駄目でしたか…」
「一人でキレてただけじゃん」
「ぐ」


 確かにそうかもしれない…。こんなのでは助手としてまだまだだ、精進しなくては。がっくりと頭を垂れていたわたしの隣で、彼女はそっぽを向くように前に向いた。「でもあなたと話すのちょっと楽しかったかも。アイスありがと」――ん?パッと顔を上げる。斜め後ろから見えた彼女は顔をしかめているようだったけれど、その横顔は照れ隠しなんじゃないかと思わせた。もしかしてさっき目がうるんでたのは楽しかったから?……なんだよお〜〜!嬉しくて思わず体当たりしようとしたら彼女が突然立ち止まったおかげで見事空振ってズベシャアと地面に倒れ込んだ。勢いあまりすぎた。


「……痛い」
「何してるんだ君は…。着いたよ」
「えっ」


 いつの間にか駅近くの住宅街まで来ていたらしい。進行方向を向くと真正面の家の前で、女の人がこちらを見て立っていた。あの人がレイさんのお母さんだろうか。というか、家ってこんな駅の近くだったのか。なのに駅前のアイス屋さんで時間を潰そうとしてたのって、やっぱり…。立ち止まったままの彼女と交互に見ると、双方の表情が戸惑っているのがわかる。お母さんが駆け寄る。その間にわたしは立ち上がっておき、膝の汚れを手早く払う。

「レイナ、ごめんなさい…」お母さんはゆっくりと彼女を抱き締めた。感動の再会だなあと一人心を震わせる。レイさんも小さく頷いて、わたしもと謝罪の言葉を述べていた。


「よかったですね、お二人とも」


 にこりと人当たりのいい笑顔でまとめる安室さんの横に並ぶ。涙ぐんでいるお母さんはレイさんを離し、改めて彼に向き直った。


「本当にありがとうございました」
「いいえ」
「それに、助手さんがいらしたんですね。ありがとうございます」
「あ、いえ、彼女は…」
「そうです!末永くお幸せに!」


 ビシッと敬礼をしてみせる。隣から熱い視線を感じるけれど今回は気付かない振りをする。朗らかに笑みを浮かべたお母さんの横にいたレイさんが一歩わたしに歩み寄り、他の二人から隠すように口を手で覆ってみせた。意図に気付いて軽く耳を寄せる。


「あなたの言った通り優秀な探偵さんだね」
「そうでしょう!」
「かっこいいし」
「あ、あげないよ!」
「ふふっ」


 いらないよ、と笑った彼女はもうわたしを怪訝な顔で見ない。なんだか、探偵の助手と家出少女というより、友達になった気分だ。一時はどうなるかと思ったけれど、これで一件落着、よかったなあ。わたしたちを不思議そうに見ていた安室さんとお母さんには二人で笑ってごまかし、それじゃあとおいとまする。安室さんの車が近くに停めてあるらしいので、そこまで二人で歩いていく。

 安室さんから聞いた事の次第では、レイさんのお兄さんというのは生まれつき身体が弱く病気がちで、昔からずっと彼に付きっきりな両親への反発心からの家出だったのだそうだ。なんでも母親はレイさんが寂しく思っていることには気付いていなかったらしく、安室さんに指摘されてようやく自覚したらしかった。きっと寂しい気持ちを、彼女も隠していたんだろうとのこと。


「本当は彼女の居場所を突き止めて、親に行かせようとしたんだけど」
「す、すいません」


 確かにそのほうがより効果的だっただろう。今日は色々反省した。何でも思い通りに行くと思ったら大間違いだ。素直に謝ると安室さんはふっと小さく笑い声を漏らし、わたしの顔を覗き込むように少し腰を屈めた。


「でも、彼女の警戒を解いてくれたのはお手柄だよ」
「! …はい!」


 落ちていた気分が急上昇する。褒められた、やった!「君の粘り強さが光ったみたいだね」安室さんが褒めてくれてる。嬉しい!見たか、わたしは助手としてなかなかいい線いってるんだぞ!
 見せつけるように振り返る。と、「――レイさん!」


「……え?」


 ポツンと声が落ちた。それを耳にしつつ手を振る。振り返った先に丁度、二階のバルコニーからわたしたちを見ていた彼女が見えたのだ。なんだかんだ可愛い子だったなあ。思いながら、レイさんが部屋に戻るのを見送ってから前に向き直る。すると安室さんは、まるで動揺でもしたかのように目を泳がせ、斜め下に逸らしてしまった。そんな安室さんは初めてだったものだから、ちょっと不思議に思ってしまう。


「安室さん?」
「いや、」
「あ、もしかして、わたしが彼女を愛称で呼ぶくらい打ち解けたことに驚いてます?」
「……うん、そうだよ。まさか君が、そんなこと言うとは思ってなかったから」


 安室さんの様子はまだ気にかかるけれど、タイミング悪く駐車場に着いてしまったため追及することはやめにした。運転席に座る頃には安室さんの横顔はいつも通りだったし、気のせいかなと思ったのだ。


「そういえば、別れ際彼女と何を話していたんだい?」
「安室さんが優秀でかっこいいって話です!でもあげないよと釘を刺しておいたのでご安心を!」
「ハハ……そう」


 白けた笑い声の横顔を覗き込む。もう少し芳しい反応してくれてもいいのにと思いつつ、いつも通りのやりとりにホッとしたのだった。


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