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[障害は排除した。あとは手筈通りに]そのメッセージを受けてから十分も経たないうちにドアがノックされた。ベルモットだろうが、念のため操作していた携帯の画面を消し、ドアを開ける。目の前に現れたのは、…全身黒ずくめの、右頬に火傷の痕が残る男。


「あら。せっかくあいさつしに来たのに寝ちゃったの?」


視線の方向と台詞に表情を歪める。歪めた理由は内容にあったが、そうとは思わせず別の部分を指摘する。


「…その顔で元の声というのは少々不気味かと」
「ごめんなさい?もう少し歩き回ってシェリーをおびき出そうと思ってるから。何なら彼の声で話してもいいのよ?」
「いえ、それは結構です」


外の廊下に人影は見当たらなかった。車内放送のこともあって乗客はそろそろむやみに出歩かなくなったのだろう。彼女(現在は彼だが)を室内へ招き、ドアを閉める。赤井秀一になりすましたベルモットは依然、ソファシートに横たわったに注目していた。その横顔を注視していると目が合う。口元には笑みをたたえながら。


「水臭いんじゃない?ガールフレンドが同乗してるなら早く言いなさいよ」


やはり聞かれてたか。想定内だったため少し眉間に力を入れただけで動揺は見せずに済んだ。


「あなたが思っているような関係ではありませんよ…都合がいいので利用させてもらってるだけです」


そう言いながら、サイドテーブルの上の携帯を取り、ロックを解除してから手渡す。さっきまで見ていたカメラフォルダの画面だ。そう、の携帯。乗客の姿と名簿をカメラに収めたことは先ほどのメールで連絡済みだ。それを受け取るベルモットの表情により深い笑みが刻まれる。


「あら、従順な手足かしら?」
「ええ、そんなところです」


の顔は見ないように。余計な感情は混ぜないように。あたかも最初から今まで、そうとしか思ってないように声にしろ。ベルモットに、演技上の台詞と思わせるな。


「ですが、宮野志保の名前はありませんでしたよ。まあさすがに本名でのこのこ出歩くとは思ってませんでしたが、念のため」


ついでにシェリーらしき人物も写真には写っていませんでしたよ、と付け加える。変装の可能性も考えてに写真をできるだけ撮ってもらったのだが、どうやらシェリーの方が運がよかったのか、彼女らしき姿は一枚も写っていなかった。聞いているのか定かではないがベルモットも写真を一枚一枚確認しているようだ。何度か指を左へ動かしたあと、「そうでしょうね」と言って返却される。
そもそも、本当に彼女はこの列車に乗っているのか。の運の悪さがシェリーに味方した可能性は高いが、ここまでして、不発に終わる心構えも必要そうだ。まだどちらとも判断がつかないため、計画は最後まで実行するが。


「…それじゃあ僕は毛利探偵の推理ショーに立ち会ってきます」
「ええ、よろしく」


実のところ一等車で起きた殺人事件のことは、食堂車からやってきた毛利探偵から聞いた概要しか知らない。その毛利探偵も蘭さんから大まかなことしか聞いていなかったため犯人やトリックに関しては全くの未知であった。先ほどに話そうとしたときは自分の予想を交えれば間は持つ計算ではあったが、彼女が予想より早く飲み物を口にしてくれたおかげで無駄な労力は使わずに済んだ。さすがに一度自分で開封したものだから疑いようがなかっただろう。睡眠薬が入ってるなんて。

バッグから発煙装置を二つ取り出し、部屋を出る。やはり外を歩く人影は見当たらない。ベルモットも出、眠っているを残してドアを閉める。ベルモットの方は前の車両に行くらしい。それはそうか、一等車にシェリーがいるはずがないのだから。

ポケットから再度イヤホンを取り出す。の襟につけた盗聴器はまだ外していない。ベルモットが彼女に何もしないとは限らないのだ。個室に外から鍵を掛けられればいいのだがそうもいかず、僕はの身の安全を確認するため、こうするしかなかった。


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