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、起きて」


意識が浮上して耳に入った第一声はそれだった。聞きなれた、それでいてもっと聞いていたい心地よい声にゆっくりと目を開くと、予想通り安室さんの顔が見える。目が合って仕方のなさそうな、でも優しい表情で笑った。ああやっぱり、安室さんかっこいいなあ…………


「ん?」


バッと素早く起き上がる。寝てた?寝てたのか、わたし?潰れて変な癖のついた髪の毛を手ぐしで梳かしつつ辺りを見回す。…ソファシートで寝てた。靴まで脱いでめっちゃ堂々と寝てた。背筋がスッと冷える。もはや頭はキンと覚めていた。


「話してたら眠そうだったから寝かせたんだよ。事件の概要、覚えてるかい?」
「……ごめんなさいまったく…」


バツが悪すぎてうつむいてしまう。安室さんの顔が見れない。せっかく安室さんがわたしに事件を説明してくれようとしたというのに、わたしはのん気に船を漕いでいたのだ。自分に失望する。そんな緊張感のない人間だったのか。とんでもない失態を犯した、それだけがよくわかって心臓が浮いた感覚になる。謝ると安室さんはふっと笑った、と思う。怒ってない。まとう雰囲気が優しいのも、わかっていた。


「仕方ないよ。君、朝からはしゃいでたからね。その上捜査の手伝いさせちゃって」
「そんな、わたし助手なんですからお手伝いは当然です!……なんで…」


寝ちゃったんだ。眠かったの?いくら記憶を思い返してもあのときはちっとも眠くなかったし、安室さんの話を聞く気に満ちていた。けれど実際、事件の概要はほとんど頭になく、わたしはソファシートを占領して図々しくも今までぐっすりと寝ていたのだ。夏場なのに指先が冷えてる気がする。それを隠すように拳を作る。呆れられたに違いない。助手としてあまりに不甲斐ない行動だ。安室さんに、がっかりされる。


「あ、あむろさん…見捨てないでください…もう途中で寝たりしませんから…!」


顔を上げて懇願する。眉をハの字に、なかなか情けなかったと思う。でも絶対に嫌だ。安室さんにがっかりされたくない。まだ、ずっと助手としてそばに置いておいてほしい。その思いが伝わるよう必死だった。
けれど意外にも、安室さんの方が苦しそうな顔をしていたのだ。


「しないよ、君のことは…」


「ごめん、責めるような言い方をしたね」そう言って、安室さんはわたしにカバンを渡した。まるで安室さんの方が罪悪感に襲われているようでわたしの心臓は一層焦りを見せる。なんで、安室さんが?受け取ったカバンはきちんと口を閉じられていて、安室さんがやってくれたんだろうというのがなんとなくわかった。よくよく考えてみたら列車はすでに止まってる。とっさに窓の外を覗いてみると、見たことのない駅の看板が正面に見えた。


「とにかく降りようか」


……ああそうか、車掌さんが言ってた、最寄りの駅で停車ってことか。頷いて、彼のあとについていく。ドアを閉める間際見た部屋の中は、テーブルに広げられていたはずのお菓子が姿を消し、すっかり元の状態に戻されていた。きっと何もかも安室さんが片付けてくれたんだろう。カバンの口を開けてみると携帯もちゃんと入っていた。


駅はミステリートレインの乗客で溢れ返っていた。どうやらこれから事情聴取を受けるらしく、警察の指示待ちらしい。安室さん曰く事件は毛利さんが解決したのだそうだ。推理ショーを見たと言った彼は続けて、写真は消しとくようにと伝えた。あんなに頑張って撮った写真も結局意味をなさなかったのか、本当に役立たずすぎる…。さらに落ち込んでしまうのも無理はないだろう。そういえば、と人の流れに沿って駅の外へと歩きながら蘭ちゃんたちの姿を探すけれど見当たらず、どこ行ったんだろうと息をついた。


「赤井が死ぬ前後の詳細なファイル、もう一度見せてくれないか」


え?
人のざわめきに紛れて安室さんの声が聞こえた気がしたけれど、後ろを振り返ってもわたしと目は合わなかった。わたしに話しかけたんじゃない。知り合いがいた、ようにも見えないし、気のせいだろうか。安室さんは独り言漏らすタイプじゃないしなあ。安室さんが立ち止まっていて距離が空いてたことには今気付いたので駆け寄って戻る。
すれ違いざま、金髪の美女と目が合ってしまい気まずくてすぐに逸らした。難しい顔をしていた安室さんは戻ってきたわたしに気が付くと、一転して普段通りの笑みを浮かべてごめんと謝ったので、わたしはホッとして首を横に振った。さっきの気まずい雰囲気はもうなかったから、わたしはすっかり安心したのだった。


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