38 蘭ちゃんたちが言うには、車内で起きた事故というのは殺人事件なんだそうだ。数ヶ月前の毛利探偵事務所で起きた事件を思い出して密かに身を震わせる。どうやら八号車の一室で起きたものらしく、毛利さんが来るまでの間、今はセラさんという人とコナンくんが残って捜査しているのだそう。セラさんって誰だろう。コナンくんも残ってるくらいだから、大人なんだろうな。 「ホー…それなら毛利先生にお任せした方がよさそうかな?」 「…え、あ、安室さんも行きましょうよ…!探偵の腕の見せ所です!」 「声震えてるよ」 ハッとして手で口を隠す。実は怖いと思ってるのがバレただろうか。仕方ないでしょう、助手とはいえそう簡単に事件に慣れることはできないんですよ。 「蘭さんたちは部屋に戻るところですか?」 「はい…子供たちと一緒に、六号車のB室に」 「そうですか。犯人がまだうろついてるかもしれないですし、車内放送の通り列車が最寄りの駅に着くまではじっとしてた方がいいでしょうね」 それから毛利さんの居所を聞いたあと、蘭ちゃんたちとは別れた。彼女たちを見送って、「さて」とわたしに向き直った安室さんは、蘭ちゃんたちにはあんなこと言っておいて自分は部屋に戻る気はなさそうだった。 「ここからは別行動だね」 「え?!」 「君に頼まれ事をしてほしいんだ」 「な、なんだ驚かさないでくださいよー…!一人で部屋に戻ってろとか言われるのかと思いました」 「…まあそうしてほしいのは山々なんだけどね」 山々なのか…。「でもおとなしくしてそうにないから」それには確かにと頷く。多分、いや絶対、部屋を出て自分で事件の情報を調べると思う。さっきも当然のようにそうした。怖くないと言ったら嘘になるけど、それ以上にじっとしてられないと思う。 「だから仕事を頼むよ。このベルツリー急行の乗客がどんな人たちなのか、調べてほしい」 「はい!…どんなとは?」 「乗客の部屋番号、性別、だいたいの年齢、背格好なんかもあるといいかな。もしかしたら犯人の目撃情報が寄せられるかもしれないからね」 「なるほどー了解です!」 「名簿があると早いかも。車掌にうまく聞けば見られそうだ」 ちらっと目を向けた先を追うと、七号車の一番奥にあるイスに腰掛ける車掌さんが見えた。えんじ色の制服と帽子を身につけた五十代くらいのおじさんだ。「そうだな…一号車から頼むよ。八号車は僕が調べるから」はい!ともう一度威勢良く頷き、敬礼をビシッと決めて踵を返した。目指すは先頭車両、一号車である。 「……」 見送る安室さんが、わたしが見えなくなってすぐ、ポケットに入れた何かに繋がったイヤホンを耳にはめた。その表情はいやに神妙だったのだけれど、もちろんわたしはそのことに気が付かなかった。 ◎ 途中すれ違った毛利さんとは安室さんと来たことだけを伝えてすぐに別れた。そして辿り着いたのが一号車なのだけど、人通りはほとんどない。そりゃそうだ。ここを歩いてるのはここに個室がある人くらいだものね。 「んー…」 ちょっと考えたけど、一人一人の特徴をメモってくのってすごく非効率じゃないか?誰がどこの部屋に入るのかうまい具合にわかるならいいけどほとんど無理だろう。それなら、写真を撮った方がいいんじゃないかな。何かに使えると思ってシャッター音が鳴らないカメラアプリ入れてあるし、(犯罪臭はするけど)いいと思う。それでタイミングよく誰かが個室の出入りをしてたらその都度メモしてこう。カバンからメモ帳とボールペンを用意して、よしと気合を入れる。今日は娯楽のために来たはずだったけど捜査こそが探偵の助手の醍醐味である。殺人事件とはあまり考えないようにして、わたしは捜査に乗り出すのであった。 無心で七号車まで撮り終えてからカメラフォルダを確認すると、だいたい20枚程度の写真が収まっていた。あのアナウンスのあとだからどの車両も人通りはほとんどなかったため、これでも全然写せてないんだろう。やっぱり全員の把握をするために名簿が欲しいな。うんと一人頷き、ちらっと車掌さんを覗く。そもそも携帯してるわけじゃないからどうにかしてどこかから持ってきてもらうとこから始めないと。 「…あの、すみません…」 「はい、どうかされましたか?」 「友達がここに乗ってるみたいなんですけど、部屋番号がわからなくて…調べてもらえますか?」 「大丈夫ですよ。少々お待ちください」 そう言って車掌さんは立ち上がり、前の車両へと小走りで駆けて行った。…名簿的な何かを持ってきてくれるんだろうか。でもここからどうしよう。誰かが呼び鈴鳴らしてくれたら車掌さんが席を外すから、その隙に名簿を撮れるんだけど。安室さんがいたらなあ…。 内心どきどきしながら立ち尽くしていると、車掌さんはすぐに戻ってきた。高校時代に見た出席簿のような、黒い大判の本を持って。 「お名前は何ですか?」 「です」 「さん…は、と…」 わざと間違えたのは時間稼ぎだ。車掌さんが一号車から辿っていくのを、どうにかして撮れないかと思案する。片手には起動中のアプリの画面になっている。用意はできてるのだ。 「七号車のC…すぐそこですよ」 「あっわたしの名前じゃないんですね!友達の名前はセラです!」 セラさんすいません。心の中で謝る。毛利の名前じゃ有名すぎて「友人」にするには不自然だと思うし、それ以外だと子供たちしか知らないので使うに使えなかった。そこでさっき聞いた名前である。どうしよう名簿に年齢とか書いてあって、セラさんがおじさんとかだったら。友人じゃなくて知り合いにしとけばよかった…! 「世良真純さまは四号車のD室ですね」 「あ、ありがとうございます…」 マスミだと男性の可能性も捨てきれないけど、とりあえず不審がられることはなかった。個人情報は載ってないのか、それともセラマスミさんが同じ歳の頃の人なのか、わからないけどセーフである。しかし肝心の名簿を手に入れることができず、わたしは内心がっくりと肩を落とし、踵を返した。 と、ベルの音が響く。 「! はい」 車掌さんが後ろからわたしを追い抜いていく。見上げると、ドアの上のランプが光っていた。そう、呼び鈴とランプで車掌さんは用のある部屋を見分けるんだって、安室さんが言ってた。 「どうかしましたか?」 それで、今ランプが点いてる部屋は、C室だ。 「すいません。空調の調節の仕方がよくわからなくて…」 「それでしたら…」 開いたドアから姿を見せた安室さんと、一瞬目が合う。その瞬間、すべてを察したと思う。ビビビと電流が身体をめぐり背筋を伸ばす。…今だ! 振り返ると車掌さんのイスには乱雑に名簿が置きっぱなしにしてあるではないか。それをサッと取り、すぐ左に曲がって陰に隠れる。八号車に続くドアの目の前だけど、今なら車掌さんに見えない位置だ。急いでページをめくり、カメラのピントを合わせる。どうやら車両ごとに部屋と名前、住まいが一ページにまとめられているようだ。手早く八ページ分カメラに収め、再び部屋の前の通路を覗く。安室さんはまだ車掌さんを引き止めてくれていた。安室さんは壁に寄り掛かるように立っていて、自然と車掌さんはこちら側に背を向ける形になっていた。きっとわたしに気を遣ってくれたんだろう。ありがたや、と拝ませていただく。 部屋のドアが開いていると廊下が塞がれて通れないので、わたしはイスに名簿を置き直すと八号車に逃げた。パタンとドアを閉め、ふうと息を吐く。うまくいった。あとでまたあの車掌さんの前を通るときちょっと気まずいけど、どうにでもなるだろう。 そういえば八号車って、と思い廊下を覗いて見たけれど、C室のドアが開いていてかろうじて誰かの話し声が聞こえるだけでよくわからなかった。 ◎ そのあとすぐ安室さんからのメールで[もう戻ってきていいよ]ともらったので、携帯をいじりながら車掌さんの横を通り過ぎ、部屋に戻ったのだった。ドアを閉めると、奥の窓際に座っていた安室さんが笑って、「おかえり」と言ってくれる。嬉しさで鼻がつんとしてしまう。 「あむろさん〜〜…」 「お疲れさま。よく頑張ったね」 「安室さんのおかげですよお〜…」 緊張が一気に緩んだせいで涙目だ。ソファシートにへたりこみ、はああとさっきより深く息をついた。どうなるかと思った、無理だと思った、安室さんのアシストのおかげだといったことをマシンガンのように口にすると「が特攻していったのにたまたま気付いたからね。元々一人じゃ難しかったろう、ありがとう」と労ってくれる。お礼を言うのはこっちだと思いつつ、彼に感謝されたのが嬉しくて声にならなかった。 「事件はまだ解決してないけど、概要は掴めたよ。お菓子でも食べながら話そうか」 「はい!」 まだ開けてない袋を手に取る安室さんに大きく頷いた。お菓子の乗ったテーブルの上に飲みかけのお茶のペットボトルが見え、それに手を伸ばす。部屋を出るときに置きっぱなしにしていたのだ。安室さんは違うお茶を買ってたし、これはわたしので間違いない。キャップを外し、ごくごくと飲む。緊張で喉が渇いていたのだ。 「亡くなったのは七号車B室の室橋さん。遺体が発見されたのはなぜか八号車のB室で、死因はこめかみを撃ち抜かれた射殺だったらしい。部屋にはチェーンロックがかけられて密室だったらしいけど、遺体が握っていた拳銃にはサイレンサーがついていたうえ銃創の周りに火傷の痕がないこと、それから発射残渣の工作から、他殺だと推測されたらしいよ。…発射残渣って覚えてるかい?」 「…はい…」 …火傷の痕といえば、さっき見たあの人は本当に銀行強盗で助けてくれた人だったんだろうか。あのときはお礼を言えなかったから、ちゃんと言いたかったんだけどなあ…。気付くと低速回転になった頭の中、重いまぶたは重力に従って降りていく。安室さんの話に相槌を打ちたいと思っているのに、首は項垂れたまま、背中はソファシートの背もたれを滑るように左へ傾いた。隣の安室さんの肩へもたれかかる感触を感じながら、意識はどこかへ遠のいていくのだった。 「……ごめんね」 安室さんの謝罪の声は、聞こえない。 |