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ミステリートレインの運行日は快晴だった。薄着で外に出ても問題ないくらい暖かく、お出かけ日和とはこのことなのではと思わせる。むしろ暑いくらいかもしれない。東京駅までの電車内では冷房がよく効いてたくらいだ。
駅のホームに着き、SLチックな列車が見えると途端に気分が高揚する。蒸気機関車って生で初めて見るよ!テレビとかでしか見たことなかったから貴重な経験だなあ、これもすべてはわたしの神がかりな運の良さにあるだろう!ありがとうわたし。それで、


「安室さん一緒に来てくれてありがとうございます!」
「こちらこそ」


隣を歩く安室さんにお礼を言うとにこりと笑い返される。やっぱり誘ってよかった。かなりダメ元だったんだけど、了承は案外早かったなあ。先週断られそうになったのは何だったんだろう。来てくれたから何でもいいけど。ハンチング帽を被る彼に「めいっぱい満喫しましょうね!」と握りこぶしを作り気合いを入れてみせる。実は今日が終わるとしばらく大学の試験期間に入るので、それを乗り切るためにもミステリートレインを全力で楽しみたい次第なのである。


「随分意気込んでるね」
「三週間分の安室さんを補充しなきゃなので!」
「へえ」


き、聞いといてこの素っ気なさ!相変わらずつれない…!わたしと三週間も会えなくてさみしくないんですか!と抗議しても「テスト頑張ってね」としか返してくれないこの冷たさよ。うわーんと顔を覆って泣き真似しても許されると思う。
試験期間中は安室さんの助手もポアロのアルバイトもお休みするので、本当の本当に、安室さんに会う機会がゼロになるのだ。卒業要件を満たす単位数ギリギリで授業を取っているのでテストは気を抜けないし、レポートも一つあるので早めに手をつけないとわたしの夏休みが始まらないのだ。そのことを知ってるからこその安室さんの切り返しなのだけど、もうちょっとこう、惜しんでくれてもいいんじゃないかなあ…!
と、視界に入る見覚えのある姿が。


「…あれ?蘭ちゃん?」


実は出てきたところが悪く、先頭の方から七号車へ歩いて向かう最中だったのだけど、六号車辺りで子供たちと写真撮影をしてるのは蘭ちゃんではないか?もっと目を凝らすと毛利さんもいるのがわかったし、子供たちというのは前に会った少年探偵団のメンバーだった。そういえばパンフレットの写真はどうなったんだろう。前にコナンくんから聞いたときは事件があってそれどころじゃなくなったって言ってたけど。
とにかく彼女たちも乗るとは知らなかった。あいさつしようと駆け出す。「おーー…」


。おいで」


ピタッと足を止め、振り返る。安室さんが呼んだのだ。わたしは従順なしもべになった気分で、けれど頬は紅潮させながら、彼の元へ戻った。当然だ、安室さんが呼んでるのだから。


「安室さん?」
「襟、折れてるよ」


後ろ向いて、と肩をぐいっと回転させられ、また進行方向へ向き直る。その間に写真を撮り終えたらしい蘭ちゃんたちは解散してしまい、コナンくんたちはそのまま近くの乗車口から乗り込み、蘭ちゃんたちはもっと奥のそこから乗り込んだようだった。あそこって、一等車じゃないか?部屋もちょっと広くて綺麗だって予約申し込みのサイトに書いてあった。高かったんじゃないかなあ…?それに、一等車は早い者勝ちって聞いた気がするけど、蘭ちゃんたちがそんなにこのベルツリー急行に乗りたいと思ってたとは知らなかった。そうこう考えている間も、安室さんが首の後ろの襟を直してくれているのが指の感覚でわかっていたのでむずがゆい。少し笑っちゃいそうだ。


「はい、大丈夫」


くるっと振り向くと、見下ろした安室さんと目が合う。ハンチング帽を目深に被っているのは目立たないためだろうか。ウェディングパーティのときみたいに、潜入するわけじゃないのに。でも安室さん本当にかっこいいから、普通にしてても目立つもんなあ。





七号車のC室は入って左手にシートがあり、右手には洗面台が設置されている。正面には壁にくっついた小さめのテーブルと、もちろん窓がはめ込まれている。完全個室制で各々ゆっくりできるのもベルツリー急行の魅力である。早速ソファシートに座り、ハイスピードで過ぎ去っていく車窓の景色を楽しむことにする。


「そういえば、この列車は終着駅が不明なのも面白さの一つなんですよね!どこ行くんだろー」
「まあ、折り返すことも考えてそれなりの距離だろうね」
「………安室さん知ってるんですか?!」


なぜか一人分間を空けてドア側に座った安室さんは苦笑いを浮かべる。「運行状況を調べれば当てはつくよ」つまり運行状況を調べたということか。なんだ、安室さん意外と乗り気じゃないか!列車だけに!


「安室さんがいればこのあとある推理クイズもちょちょいのちょいですねー!」
「それはどうかな…」


ご謙遜をする安室さんにはまたまたーと軽いノリで返す。ほとんど停車しない列車は一定の間隔で揺れ、ストレスはほとんどない。ときおり安室さんが携帯をいじっているのを横目でなんとなく眺めつつ、持ってきたお菓子やお茶を広げ、世間話をしながらゆったりとした時間を過ごしていた。

発車から数十分した頃、突然車内が暗くなった。窓からの光が遮断されたのだ。「トンネルだ」「山をいくつか越えるからね」そう言われて頭の中に日本地図を広げてみるけれど、自分が今どこらへんを通っているのかはちっともわからなかった。
トンネルを抜け、窓から入る日差しと音が再び開放的になると、しばらくして車内放送が流れた。ようやく推理クイズかな?!と背筋をピンと伸ばす。しかし駅員さんであろう男の人の声が告げたのは、そんなのんきな内容ではなかった。


『お客様にご連絡します。先程、車内で事故が発生したため、当列車は予定を変更し、最寄りの駅で停車することを検討中でございます。
お客様には大変ご迷惑をおかけしますが、停車いたしましてもこちらの指示があるまで各自部屋の中で待機し、外に出ることは極力、避けられるようお願いいたします』


『なお、予定していた推理クイズは中止とさせて頂きます』駅員さんの放送を、ポカンと口を開けたまま聞いていた。……事故?


「何かあったみたいだね。ちょっと行ってくるよ」
「えっ」


安室さんのフットワークの軽さに見事に遅れをとってしまう。「はここにいな」「そんなあ!」颯爽と部屋を出て行く彼のあとについて行こうとするも、カバンの中身を広げていたのでまずそれらを片付けないといけなかった。なんで貴重品まで出してたのかなわたしのバカ…!とりあえず携帯とお財布だけを突っ込み、部屋を出る。どっちだ、と左右に首を振ると、人ごみに紛れて安室さんの後ろ姿を捉えることができた。八号車方面へ向かってるようだ。早く追いかけよう。

と、足を踏み出した瞬間、目の前を横切った存在に目を引き寄せられる。


「!」


反射的にその人を見上げるけれど、横切ったあとで後ろ姿しか見えなかった。でも、一瞬見えた横顔は、あの、顔に火傷を負った男の人じゃなかったか。
見間違いかもしれない。向き的に火傷の痕と反対側だったから確証はない。あのときの服装はもうちゃんと覚えてないけど、あんなシックな系統ではなかったような気もする。でもなんとなく、体格とか似てるような。
もう一歩踏み出して、固まって、結局駆け出した。確かめるために追いかけようとしたけど、追いかけても仕方ないからあの人は追わない。同じ進行方向で背を向けている、安室さんを追いかけるのだ。立ち止まってるみたいだ、あ、蘭ちゃん。と、女の子。


「前に話した、お父さんの弟子になりたいって探偵さん」
「へーこの人がー…どうもー鈴木園子でーす!」
「よ、よろしく」
「彼女持ちです!」
「?!」


安室さんの右腕をガバッと抱き込む。嫌な予感がした!蘭ちゃんの友達?の子、安室さんを狙ってるんじゃないだろうな…?!


「こ、この人は?」
さん。安室さんの助手なんだって」
「そう。ただの助手なんです。だから離れてくれないか」
「あ、安室さんそんな全力で拒否られるとこの二人に気があるみたいです…!」


ぐいぐいと腕を引っ張られ距離を取ろうとされてしまう。き、気のせいか?!安室さんが冷たい気がするぞ…!おとなしく手は離したものの心に傷を負ったわたしは見事にしょぼくれた。「それより、車内で事故があったようですけど…」わたしに目もくれない安室さんにますます落ち込み項垂れていると、ふと入った視界にはさっき見かけた火傷の痕のある男の人らしき後ろ姿があった。


「あ、安室さん、あの人、」
「え?何だい?」


指をさしてみたけれどその人はすぐに八号車の方へ消えてしまった。「…何でもないです」いや、そもそも安室さんに言ってどうするんだって話かあ…。申し訳なくて縮こまりながら、遮ってしまってすみませんと謝ると、安室さんはさっきまでの態度が嘘みたいに、優しい顔で笑ったのだった。


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