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「あがさはかせ?」


聞きなれない名前に首を傾げると、運転席の安室さんは進行方向に顔を向けたまま、何でもないようにハンドルを切りながら「そう」と頷いた。


「毛利先生から聞いてたんだ。なんでもあの子たちの保護者役として阿笠博士が付き添うらしかったから、会ってみたくてね」


なるほど、朝ポアロで毛利さんと話してたのはそのことだったのか。安室さんは警視庁に行くついでにその阿笠博士とやらに会いたかったらしい。(さらにそのついでにわたしを車に乗せてくれたらしい)しかし、阿笠博士とは一体何者なんだ?今まで生きてきてハカセと呼ばれる人なんてお茶の水博士くらいしか知らないわたしにとってこんな身近に鉄腕アトムを作れてしまいそうな人間がいるとは思わなかった。そのせいで、ほう、と間抜けた相槌を打ってしまう。


「ほら、君とコナンくんが誘拐されたとき、居場所を突き止められたのは阿笠博士の発明品のおかげだったんだよ」


探偵バッジっていう発信器付きの機器をコナンくんが持ってたらしくてね、と付け加える安室さん。探偵バッジと言われてその想像をぼんやりとしてみる。わたしの貧相な想像力じゃ校章みたいなのしか思い浮かばない。でも探偵っていうくらいなんだから探偵っぽさを感じるんだろう。どんなのだろう。興味が惹かれるから今度コナンくんに見せてもらおうかなあ。「なるほど。しかし安室さんて知識欲すごいですよねー」博士なんていう珍しい存在とはいえ、普通会いたいと思うだろうか?安室さんの知識量は半端じゃないと常々思っていたけれど、それらはすべて知識への貪欲な好奇心に由来するのではないだろうか。素直に感心して言うと、安室さんはちらっと横目でわたしを見た。その視線がどこか意味ありげで、わたしは数秒思考する。それから、ハッと気付いた。


「あ、わ、わたしのことも…?」
「自分で聞いといて照れるのか…」


途端に呆れ顔になる安室さん。おかしい。今のはそういう意味じゃなかったのか。


「まあ君のことは…もう履歴書もらってるし」
「履歴書に書いてないわたしのことも興味持ってくださいよー!」


あれにわたしのすべてが書かれてると思ったら大間違いですよ!もちろん助手にしてもらえるよう長所はこれでもかってくらい書き連ねましたが!もっとこう、仕事やプライベートの時間を共に過ごす仲として知っていくこともあるんじゃないでしょうか!全然興味なさそうで悲しい。わたしは日々安室さんの観察で楽しいというのに。


「この上ない不運ってことはあとから知ったよ」
「不運は安室さんの考えすぎです!」
「はいはい。君こそ詮索癖あるし僕のこと色々知ってるんだろ?」
「え、そりゃあずっと見てますから…」
「はは……」
「あ、でも反対にパーソナルデータはほとんど…というか安室さんについて調べても何も出てこないですよね。最低限の探偵としての情報だけで顔写真なんて一枚も…」
「そりゃあ、探偵は顔が割れてない方が何かとやりやすいからね。毛利先生みたいな優秀な人ならともかく」
「んー…」


そういうものなのかあ。確かに伴場さんも、顔が割れてる毛利さんに監視の依頼はできなかったって言ってたし、有名すぎる探偵というのもいいことばかりじゃないのだろう。その代わり知名度が高いと事件の依頼なんかは多くなるようだ。一長一短かなあ。確かに安室さんが毛利さんみたいな有名人になって、あちこちに引っ張りだこになってしまったらわたし、ちょっとさみしいかもしれない。


「でも、そうするとわたしいよいよ安室さんのこと、名前くらいしか知らないみたいになりますね」


思ったことが口をつく。あと歳もかあ。加えて思いつき、うんと人知れず頷く。


「…名前?」
「え?」


何かしら返ってくると思った安室さんからの反応はワンテンポもツーテンポも遅れたあとだった。しかもその聞き返しも不自然で、わたしは反射的に安室さんへ顔を向けた。「……いや、そうだね」自分で納得したらしい彼の横顔はどこかかげっていた。それにわたしは見た。顔を向けた瞬間の、強張った安室さんの表情を。でも、あむろとおるですよね?と聞き返すのもおかしい気がして、そのまま、追及することはしなかった。


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