26 早めの昼のピークを越え、ひと段落ついたところでカウンターにいる安室さんに小声で問いかけられた。テーブルを拭き終わって戻ってきていたわたしは彼を見上げる。今日のシフトは二人ともお昼までだったので、上がる前に従食を作ってくれるのだろう。こういう自由度が高いのもポアロに勤めてよかったと思う点の一つだ。ようやく覚えてきた軽食のメニューを頭の中でなぞる。 「サンドイッチがいいです!」 「サンドイッチか、いいね。了解」 そのあと梓さんの昼休憩に合わせて三人で安室さんお手製のサンドイッチを食べ、彼からの「毛利先生に差し入れしてくるけど、君も来るかい?」とのお誘いに二つ返事で頷いた。さっき多めに作っていたのはそのためだったようだ。キッチンに戻るのでまた水色のエプロンをつけた安室さんを待っているとお客さんが来店したので、わたしも黄色のエプロンを付け直して出迎えた。 お皿に綺麗に並べたサンドイッチを持った安室さんの代わりに探偵事務所のドアを開けると、毛利さんや蘭ちゃんは背を向けてテレビのニュースを見ているようだった。声をかける前に安室さんが小声で「グッドタイミングだったみたいだね」と囁く。その意味を考えている隙に、安室さんは通常通りの声量で話に入っていった。 「しかし、悪いことはできませんねえ。強奪した二億円のほとんどは、本店から搬入されたばかりの新札で、紙幣の記番号がまるわかりだったんですから」 「ああ…使うに使えねえ金を掴まされたその強盗犯が捕まるのも時間の問題――って、なんでおまえがここに?!」 驚きの声をあげた毛利さんに安室さんがサンドイッチのことを伝え、気の利く蘭ちゃんがそれを受け取る。わたしはというと、彼らがさっきまで見ていたテレビに目を向け、何の話をしているのかを理解しようとしていた。 テレビに映っているのは銀行強盗の事件の映像だ。銀行の防犯カメラで撮ったものなのか、固定された上からの視点では三人の強盗犯が拳銃を片手にお客さんや銀行員の人を脅迫している様子が映っている。銀行強盗といえば、と自分が巻き込まれた事件を思い出すけれど、もう二ヶ月くらい前のことだし極限状態だったため記憶が曖昧だった。 そういえば、コナンくん、火傷の痕のある男の人とは会えなかったらしい。安室さんが弟子入りした日にわたしも自己紹介をして少し話したのだけど、デパートジャックのときご一緒したことを伝えれば打ち解けるのは早かった。あの有名な毛利探偵と知り合いになったのはなかなか光栄なことだし、高校生の蘭ちゃんは気の利くいい子だし、訳あって居候しているらしい小学生のコナンくんも可愛いのだ。大学生にもなると彼らのような年代の人と知り合う機会もそう多くないので刺激があって楽しかった。 「それで?今日来られる依頼人はどんな事件を?」 安室さんの問いかけにわたしと毛利さんが目を丸くする。事件の依頼があるの?でも毛利さん、そんなこと言ってなかったような。 「そりゃーわかりますよ!」どうやら安室さんは、毛利さんの身なりを見て推理したらしい。普段の休日と違い誰かが訪ねてくるのを待ち構えている様子を見てのことだと言う。確かに今日の毛利さんはスーツをきちんと着てネクタイも締めている。前に休日にここにお邪魔したときのだらっとした彼と比べると随分よそ行きの格好だった。なるほど、安室さんがグッドタイミングと言ったのはこのことかあ。 「しかも、この時間は沖野ヨーコのライブのオンエア中。それにも目もくれずに神経を研ぎ澄ましているということは、かなりの大事件じゃないですか?」 「あ…」 「あ゛〜〜〜っ!!」突然ソファから立ち上がった毛利さんにびくっと驚くわたし。ソファの背もたれに腕を置いて寄りかかっていた安室さんもぎょっとしていた。どうもライブについては素で忘れていたらしく、毛利さんは急いでハッピを着てハチマキを締め、ライブの番組へとチャンネルを変えた。テレビの前で手を叩いてヨーコちゃんの応援をするファン魂に心の中で拍手を送る。蘭ちゃん曰くこれを生で観るために依頼人と会う時間をずらすという熱狂っぷり。 「あれ、さん、その手どうしたんですか?」 ファンとまでは行かないけれど人並みにヨーコちゃんのことはすきなので楽しんで見ていると、蘭ちゃんがわたしの手元を覗き込みながらそう聞いた。同じように手に目を落とし、ああと思う。 「さっきバイト中に、お客さんのカフェオレがかかっちゃいまして…」 「えっ…」 「あ、怒られたとかじゃないよ!たまたま横通ったタイミングでバシャッと」 そう、先ほど時間を持て余している間にちょっとだけ接客をしていたら、丁度テーブルを離れたところで隣のお客さんが倒した淹れたてのカフェオレが手にかかってしまったのだ。赤くなった右手は床を片したあとから袋に入れた氷で冷やしていた。「あんたがカップ倒しちまったんじゃねえのか?」毛利さんが横目にそう言うのに対し、ぶっちゃけそうな気がしていたわたしは肩をすくめて苦笑いした。「自分も見ていましたが違うと思いますよ。お客さんもとても謝っていましたし」え!安室さんがフォローしてくれた!心の中で感激していると、蘭ちゃんに氷を変えましょうと提案された。「もう全部水になりそうですし…」本当に気の利くいい子だなあ…!お言葉に甘えて蘭ちゃんと一緒に給湯室へと向かう。 「そういやあの助手、前もおまえの巻き添え食らってたよな」 「アハハ……不運体質なんです。間もことごとく悪くて」 「不運体質ゥ?なんでそんな奴助手にしてんだよ?」 「いやあ、女性の彼女にしかわからないこともあるかと思いまして」 安室さんがそんな、わたしについて間違った情報を毛利さんに流しているとは知らず、わたしはのん気に蘭ちゃんに氷袋をもらっていた。この安室さんの一言のせいで毛利一家及び周りの人間にわたしが不運だと広まることとなり、ことあるごとにあらぬ謂れを受けることになるのだった。 |