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「あっ!安室さんおはようございます!」


 従業員控え室から店内への扉を開けた安室さんをエプロン姿で出迎える。てっきりびっくりされると思っていたのに、彼は意外にも乾いた笑みを浮かべるだけだった。


「やっぱりね…」
「あれ、わかってたんですか?」
「そりゃあ、おとといの君を見てればね」


 おととい?首をかしげる。おとといといえば、安室さんが毛利さんに弟子入りを申し込んだ日だ。前日の帰り道の安室さんが気になって尾けたところ、タクシーでここに着いた。店長らしき男性と奥に消えてしばらくし、エプロンをつけて店に出てきた彼を見たときは大層驚いた。また新しい依頼で潜入してるのか、そしてまたわたしに内緒にしてるのか、と勘繰りつつドアの隙間や窓から監視していたら、右手の階段から毛利一家が降りてきたではないか。ぎょっとして咄嗟に隠れ、店内に入って行ったのを確認して再び出る。よく見てみると、このポアロという喫茶店と同じビルの二階に毛利探偵事務所があるのだ。二階の窓に大きくその文字が書かれているのを見て、昨日の安室さんの台詞を思い出した。「勉強し直さなきゃな」――ハッとして、ドアを少し開けて店内を覗き込む。

 予想通り、安室さんは毛利探偵に弟子入りするためここでのアルバイトを始めたのだった。乗り込んだあとの必死の抗議も虚しく毛利探偵の許しが出てしまい、安室さんは正式に毛利探偵の弟子となったのだった。
 前夜祭の事件のあと、彼に何と言えばいいのかわからず一晩考えた結果、これからも二人で頑張ろうと決めた。安室さんだけじゃなくわたしも頑張る。支えるように二人で、いうなれば二人三脚のように!そう気合を入れ直した日にこれはダメージが大きかった。なんせ、安室さんはわたしじゃなく毛利探偵の力を借りたいと思っているのだ。しかも暗にわたしのことは放っておくニュアンスも感じ取れたし悔しいどころの騒ぎじゃない。ぐううと苦虫を噛み潰したような顔であろうわたしはしかし、タダでは起きまいと瞬時にある計画を立てた。それがこの、「わたしもポアロで働こう計画」である。


「安室さんが毛利さんについてく事件には絶対わたしもついてきますから!」
「ああ、そう言うのもわかってたよ。毛利先生の邪魔にならないようにね」
「…はい!」


 なるたけ元気よく返事をすると、安室さんもふはっと砕けたように笑った。それを見て心臓がきゅうとなる。よ、よかったあ安室さん笑ったあ……。実は、怒られるかもってちょっと思ってたのだ。だから彼からすんなり許可をもらえて、かなりほっとしたのだ。

 メニューを見つつ喫茶店の仕事をこなしていく。二日しか変わらないのに安室さんの仕事の速さは一体何なのか。マスターにも、わからないことがあったら安室くんに聞いてと言われるし、何をやらせても一流とはこの人のことをいうのだろうとしみじみ思わせる。きっと探偵じゃなくても輝くんだろうなあ。いいや安室さんは、探偵だからこその魅力があると思うけども。
 ちなみに今まで続けていたアルバイトは昨日のうちに辞めた。前々からシフトの入れなさに目をつけられていた感があったし、ポアロでなら安室さんと一緒に働けるという最高に魅力的な利点とくれば考えられる選択肢は一つしかなかった。


「初めまして、です!お世話になります!」
「榎本梓です。こちらこそよろしくお願いします」


 お昼からのシフトの梓さんと自己紹介を交わす。ポアロ二人目の社員さんらしく、茶髪の美人店員さんだ。実は、わたしがすぐさまここにアルバイトを申し込んだのは彼女にも理由がある。美人店員さんとイケメン店員さん。もしかしたらもしかしてしまうかもしれない!ダメだ安室さんは絶対やらん!という固い決意のもとの行動だった。


「あ、てことは安室さんの助手って、ちゃんのこと?」
「! そうです!」
「昨日マスターが言ってたから楽しみにしてたの!安室さんの助手で大学生の女の子が入るって!」
「え、そうなんですか?僕聞いてなかったんですけど」
「安室さんには内緒にって。驚かせたいからって……ちゃんが言ったんだっけ?」
「はい!」
…」


 まあ実際はちっとも驚いてくれなかったんだけど!でもそうか、梓さんの耳にも届いてたのか。見た目通りの優しい人で半分ほっとした。もう半分は美男美女カップルの誕生を懸念する心である。

 今日は平日でお客さんも少ないからと、わたしの指導に時間を費やしてもらった。接客の勝手は前の店とほとんど変わらないのだけれど、喫茶店なだけあってメニューが多い。ウェイターが用意する範囲の仕事を教わっているとあっという間に終業時間になってしまった。最後に、バックヤードの場所を教わるついでに明日使う薄力粉を持ってくるよう言われ、安室さんに連れられ裏の倉庫に向かう。


「マスターも梓さんも優しい人でほっとしました」
「そうだね。不純な動機なのが申し訳ないくらいだよ」
「探偵と助手をこうもあっさり雇ってくれるんですもんね。しかも事件や依頼があったときの融通も効かせてくれるという」
「身近に有名な探偵がいるからかもね。……こっちだよ」


 バックヤードに着き、置いてある物の説明を簡単に受ける。「それで、そこにあるのが薄力粉」棚の真ん中の段に積まれている小袋には大きく薄力粉1kgとプリントされている。「これです、」それを手に取り持ち上げ、


「かーーーー?!!」
「?!」


 ズサーーーッと白い粉が床にぶちまけられる。エプロンや靴にももろにかかり粉まみれになった。「……」そばにいた安室さんも絶句している。こ、こんなところで驚かせるつもりはなかったんだ。


「袋が破けました…」


 手には空っぽの袋だけが残る。見ればわかるよと答える安室さんは頭に手をやり溜め息をつくのだった。


「……ポアロを潰さないでくれよ」
「えっそこまで?!」


 とにかくと、安室さんが別の薄力粉を取り(今度は破けなかった)わたしを置いて店長にこの惨事を報告したあと、二人でミニ雪山となった薄力粉を片付けた。わたしのエプロンと靴は就業一日目でお洗濯行きとなったのだった。


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