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 なんと初音さんが席を外すという事態が起こった。店を出る間際初音さんからさりげなく伝えてもらったことによると、店から少し離れたところのネイルサロンに結婚式用のネイルチップをつけてもらいに行くのだそうだ。
 初音さんの車が駐車場を出て行くのを窓から眺める。こ、これはまさか…。おそるおそる安室さんを見遣ると、彼も神妙な顔で頷いた。やっぱり、初音さんがいない隙を狙って、伴場さんが女性に言い寄るかもしれない。しっかり監視しておかなければ!
 と思った矢先、支給された靴の底が剥がれる珍事が起こったため、わたしは一時戦線離脱することとなったのだった。



◇◇



「いいじゃねえか〜〜!独身最後の夜なんだからさー…もっと優しくしてくれよ〜」
「もォ、伴場くん!奥さんに怒られちゃうよ?」


 店長から新しい靴を渡され戦場に復帰すると、予想通り伴場さんが二人の女性の肩を組んでじゃれついていた。お酒も回ってきているようでなかなかまずい展開だ。結婚前夜なのに何してるんだ伴場さん!止めに入るべきか悩んでいると、「あの、お客さま…」先に安室さんが伴場さんの肩を叩いていた。


「先程から何度もお電話が…」
「おっ、初音からメール…」


 どうやら携帯が鳴っているのを知らせただけだったみたいだ。けれど浮気の危険はうまく回避できたようで、失礼しますと下がった安室さんにさりげなく近寄る。


「さすがですね!」
「あのくらいならわざわざ電話で報告するまでもないだろうね」
「あ、そうですか…」
「それより靴は大丈夫だった?盛大に剥がれてたけど」
「だ、大丈夫です!」


 見られてたのか、恥ずかしいな。べろんと剥がれた底を持ちながら高さの違う靴で控え室に下がる姿はなかなかに間抜けだったろうと思う。肩をすくめていると安室さんはどこか違うほうを見ていたらしく、それじゃとすぐに離れて行った。確かにウェイター同士の雑談はよろしくないだろう。気をつけねばと気合いを入れ直し、空いたお皿を下げる作業を再開した。


「あ、ウェイター」


 呼ばれたっ!反射的に振り返るも、男性が呼んだのは近くを歩いていた安室さんだったようだ。テーブル席に一人で座るその男性はサングラスをかけ髭を生やしていて、周りのお客さんより一回り年上に見える。そんな見た目だから、存在に気付くと妙に浮いて見えた。
 あれ?と気付く。このパーティって確か、伴場さんの高校の同窓会も兼ねてるんだよね?安室さんから聞いたから間違いない。なのにあの人、どう見ても伴場さんや毛利探偵と同い年には見えない。


「わっ」


 あっ?!思考にふけっていると突然、安室さんが後ろからぶつかられたではないか。「気ィ付けろバカ野郎!」「す、すみません…」ぶつかったのはトイレから出てきた伴場さんだ。こんな広い会場でわざわざテーブル席ギリギリを通る伴場さんのほうがおかしいと思うけど、まさかお客さんに楯突くわけにもいかない。伴場さん、お酒の飲みすぎで顔真っ赤だし、気が立ってるのだろう。ケーキの件で安室さんは恨みを買ってしまっているし八つ当たりされるのは仕方ないのかもしれない。しかしもどかしい…。うずうずしながら、安室さんとサングラスの男性をうかがっていた。




「初音さんと会ったとき、誰かに尾けられたって話しただろ?」
「? あ、はい」


 あのあとすぐ、会場の飲み物のストックがなくなりかけていたのに気付いた安室さんがわたしに声をかけ二人でバックヤードへ取りに来ていた。ビールやお酒を箱に入れながら、安室さんが切り出す話に相槌を打つ。確か、会合中後ろの気配が怪しいと思っていたら解散後も誰かに尾行されたと言っていた。すぐに撒いたらしいけれども。


「あれ多分、今店に来ているサングラスをかけた男だよ」
「え?!」
「髭を生やした人なんだけど、わかる?」
「さっき安室さんに飲み物注文してた人ですよね…?でもなんで、」
「多分、あの人も探偵なんだろうね」
「たっ、探偵…?!」


 どう見ても参加者の中で浮いてたし変だなとは思ったけど、まさか同業者だったとは。向こうは参加者に紛れて潜入したらしい。あれ、でもなんで安室さんを尾行してた人が…?それに尾行されたのはあの一回きりだったって言ってたのに、今日いるということは……。


「依頼主は伴場さん。彼も初音さんに浮気相手がいないか調べるよう頼んでたってところかな。会っていたのが僕だとはバレていると思う」
「え!てことは安室さんが浮気相手って…?!」
「伴場さんの様子からして、そう思われてるかもしれないな」


 な、なんてことだ。安室さんが初音さんの浮気相手だなんて、見当違いにもほどがある。わたしが愕然としている間に安室さんは「あとでいざこざに巻き込まれるかもしれないから、一応伝えておくよ」と言って箱を抱え会場に戻ろうとした。確かに、おまえあのウェイターとどういう関係なんだ!って話になりそうだ…。でも安室さんは初音さんが雇った探偵だし、ていうか二人はお互い浮気調査を依頼してたのか。何というか、疑り深いな…。
 でも信じるためには疑うべきだって漫画で読んだことあるし、それも必要なんだろう。悪いイメージばかり持っても良くないと思い気持ちを切り替え、安室さんのあとを追った。



 会場に戻ってすぐ目に付いたサングラスの探偵を監視していると、視界の隅で伴場さんが安室さんに歩み寄るのがわかった。やばい、探偵に気を取られてた!にしても本当にめちゃくちゃ目付けられてるんだ…!安室さんは彼に背を向けてお冷を運んでいるようで気付いていない。ええい、安室さんはわたしが守る!決心したわたしは方向転換し、安室さんと伴場さんの間に入り庇おうとした。あっ伴場さんがスピード上げた!急げ!


「オラ…ッ」
「ぎゃっ」
「っ?!ちょ、」


 ガシャンとグラスの割れる音、続いて大人三人が倒れこむ音が会場に響いた。「………」しばし呆然とし、すぐさま我に返る。まさか伴場さんが殴りかかってくるとは思わなかった。わたしが軌道線上に来たときには伴場さんの拳は目の前で、咄嗟に目を瞑ると振り向いた安室さんに肩を引き寄せられ一緒に倒れ込んだ。伴場さんも勢い余って前に倒れ込んだらしく、この場はちょっとしたハプニングになっていた。すぐにベテランの社員さんが駆け寄ってくる。


「ちょっと、何してんの?!」
「い、いきなりこのお客さまが殴りかかって来られて……大丈夫ですか?」
「触んなクソ野郎!!」


 気にかけた安室さんの手を振り払う伴場さん。顔はさっきより真っ赤だ。の、飲み過ぎだよ絶対、抑えてもらわないと安室さんの身が持たない!……けど今、勘違いかもしれないけど、安室さん、伴場さんが殴りかかってきてたの気付いてた?わたしがいなければ上手くかわせてた気が、いや、虚しくなるからやめよう…。「すみません、すぐ片付けます!」立ち上がり、カウンターにダスターとほうきを取りに行く。戻ってくると安室さんはトレーにグラスの破片を集めていて、伴場さんは誰かに携帯で電話をかけていた。手から血が出ているのがチラッと見える。破片で切ってしまったのかもしれない。


「ん?サヨナラ?」


 え?
 床をダスターで拭きながら顔を上げる。ポツンと聞こえた声は伴場さんのものだった。


「何言ってだ初音?おい初音?!」


 それから、ボンッと大きな音がする。立ち上がり、伴場さんの視線の先を追う。と、窓の外の駐車場で、一台の車から火の手が上がっていた。火事、いやそれより、待って、あの車って確かさっき、はつねさんが、


「あ、あむろさん、」
「…初音さんの車だね」


 頭が真っ白になる。視界に映る伴場さんがどんな顔をしているのかは、わからなかった。


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