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 硝煙の匂いを消すために入った風呂から上がり、お湯を沸かしているうちにがやってきた。本当は匂いなんてものは家に帰ってしまえばどうでもよかったのだが、彼女と会う以上は完全に消さなければならなかった。まさか現場慣れしていない彼女が、たかだか一発撃った程度でついた匂いを嗅ぎ分け、あの場に僕がいたことに辿り着く可能性はほぼゼロだろう。しかしあのときは目を塞がれ視覚を奪われていた。そのせいで他の感覚が冴えることもある。だから念には念を入れたのだ。ケーキを買ってきた彼女にはもうすぐで沸くお湯を頼み、髪の毛を乾かしに洗面台へと戻った。

 FBI捜査官であるジョディ・スターリングの反応を確認するために、赤井秀一になりすまし接触を試みた。まさか銀行強盗に巻き込まれるとは思っていなかったが、収穫は十分得られただろう。が居合わせたのは予定外だったが。
 正直、あの姿で彼女の前に現れたくなかった。変装した姿を見せたところでばれるとは思っていないが、顔に火傷のある男というのは記憶に残ってしまいやすい。そして、変装に使用した黒いキャップや上着は今もこの家にある。漁られない限り見つかることはないが、漁られないという保証はない。僕は、衣類を見つけられることにより、火傷の男が僕であるとばれる可能性を危惧しているのだ。
 しかし衣類を捨てたり変えたりするわけにはいかない。上着はどうにでもなるが、キャップはあれでないといけなかった。後ろにわかりやすいマークの入った帽子は、それが米花百貨店のオリジナル商品であることをFBIに示し、今後店に出向かせるという意図がある。僕の買い被りでなければ、FBIならばすぐに気付くはずだ。そして帽子を購入した口の利けない火傷の痕のある男のことを突き止めに行く。つまり僕はこれから、再び奴の変装をし米花百貨店をうろついていれば彼らと接触できるという計算だ。

 まあ、いくらなんでももう大学生なんだし、人の家を不躾に漁るなんて非常識な真似はしないだろう。そう自分を納得させ、コンセントからドライヤーのコードを抜く。それからリビングに戻ると、の姿が見えなかった。

 トイレか、と思った瞬間捉えた。彼女は、しゃがんで食器棚を開けていたのだ。


「……何してるんだ」


 思ったより低い声になったのは彼女の怪しい行動のせいだ。僕の存在に今気付いたらしいはハッと振り向いたと思ったらその手で勢いよく戸棚を閉め、それからサッと立ち上がってみせた。「……えへ」それでごまかしているつもりか。調理台に置かれた紅茶とお茶菓子一式を乗せたトレーを一瞥する。もう何もする必要はない。はずだ。


「あ、安室さん家未だに謎が多いので気になって……お皿とか何があるんだろうなーと」


 手いじりをしながら口をもごもごさせ釈明する彼女に頭を押さえる。……利便性を捨ててでもコインロッカーかどこかに隠すべきか。



◇◇



 一応、勝手に家を漁るなと釘を取り出したが糠に刺した感は否めない。ひとまずいつものようにテーブルを囲んで座り一息つく。なんだかんだ自宅に招き入れているのは自分なのもあって強く言うことは気が引ける。見つかる懸念があるなら一切家に上げなければいい話なのだ。
 それでも銀行強盗事件のあと、彼女が知っている「自分」で気にかけずにはいられなかった。家に来たがるのも少し考えればわかるのに、僕は帰宅するなり彼女に電話をかけたのだった。

 がぺらぺらと事件の状況を話すのを、適当な相槌を打ちながら聞いていた。僕がすでに持っている情報量より圧倒的に少ないのは彼女の能力や自分との経験値の差にある。彼女はあの強盗犯の狙いやそのための策謀にまるで気付いていないようだった。一人で来た客とそうでない客に分けたあたりから変だと思いをその場に留まらせたのは正しい判断だった。彼女は女性だから気絶で済んだとは思うが、下手したら犯人たちの身代わりとなって爆発に巻き込まれ死ぬところだった。
 そう、犯人グループの犯行計画では、まず客全員の目と口、両手を塞いだあと、一人で来た客を気絶させ、その中の五人にジャンパーと目出し帽を被せアタッシュケースに入れた時限爆弾の周りに寝かせておき、金庫を開けられないことにより痺れを切らした犯人たちが爆弾で開けようとしたところ誤って自爆、犯行は失敗したと見せかけ、自分たちは同じように目や両手を塞ぎ客に混ざってまんまと逃げおおす作戦だったのだろう。目的の金は最初から現金ではなく、海外などのネット上の口座に一時的に移動させ、あとで自分たちの口座に移して手に入れる算段だったようだ。しかし残念なことに犯人たちは、500万を超える送金目的の不明な金は法律上の規制により本部の外為センターでストップがかかることを知らなかったようだが。

 それにしても、あの場に子供が現れたのは意外だったな。犯人たちが目を塞ぎ客に紛れたあと、ガムテープを剥がそうとしたところ物音が聞こえたのでおとなしくしていたが、おそらくあの小学生くらいの子供四人が、時限爆弾を部屋から運び出し、エレベーターあたりに閉じ込め爆発させた。そのあとの犯人の一人の声で客に指示を出したところを見るに、彼とそっくりな声か、もしくは変声術に長けた大人の指示だったのだろう。自力でガムテープを剥がし視界が回復したときには少年が拳銃を頭に突きつけられていたため所持していた拳銃で犯人の肩を撃ったが、周りに大人の姿はなかった。そのあと客のパニックからを助けたので少年たちの顔は確認することはできなかったものの、背丈からしてまだ小学生くらいの子供だ。まさか彼らだけで銀行強盗に立ち向かったとは考え難かった。では一体誰が少年たちを動かせたのか。
 思考していると、の体験談が終わりに近づいていることに気付いた。タイミングを見計らい、顔を上げる。


「そのあとは事情聴取を受けて、テレビ取材から逃げて…」
「僕から電話が来たって感じかな?」
「そうです!」


 僕が電話をかけたのは機動隊が突入したのち人質の枠から上手く抜けて随分経ってからだった。そのあと更にベルモットと合流し報告を済ませてから帰ったのだが、タイミング的には丁度良かったらしい。

 赤井秀一が来葉峠で本当に死んだのかを探るため、奴に変装し関係者の前に姿を見せる。この手法は僕の発案だったが(組織内で奴の死に疑念を抱いているのは僕だけらしいから当然だが)、他のメンバーに伝えることなく行動に移すに際し組織のボスへの連絡はベルモットに頼んだ。おそらく僕からするよりスムーズに許しをもらえただろう。ベルモットがボスのお気に入りということは僕だけでなく組織の幹部であればほとんどが知っていることだ。もちろん、彼女が僕に協力してくれるのには別の理由があるのだが。

「最初事件に巻き込まれるなんてついてないなと思ったんですけど、そんなことなかったです!」にこにこ笑いながらティーカップを口に持っていくを目で追い、申し訳なさに逸らす。袖から覗いた両手首が赤い。それを見て、先月のことを思い出していた。もう二度とあんな怖い目には合わせまいと思っていたのに、そばにいてこのザマだ。不甲斐ない。「……どうして?」


「事件のとき二回も誰かに助けてもらったんです。隣に座ってた顔に火傷の痕がある男の人と、あと顔はわからなかったんですけど、両手を塞がれてたときこけそうになったのを支えてくれて、壁際まで連れてってくれた人に。あの二人の方のおかげで助かりました!」
「……」
「あとこうして安室さんが心配してくれたと思うと!」
「……そう」


「あれ、安室さん?」顔を覗き込む彼女にふっと力が抜けた。いいやと首を振る。罪悪感が消えていく感覚がしていた。


「あ、そうだ。話全然変わるんですけど、バイトにシフト出さなきゃで、いつなら入れても大丈夫ですか?」
「ああ、」
「えっとですねー…」


 彼女は言いながら、携帯をテーブルに置いたままパスコードを打ってロックを解除した。慣れた指の動きだったが僕にはそれこそ慣れたもので、反対側から見ても彼女のパスコード四桁を読み取るのは容易かった。誕生日でも何かの語呂合わせでもなさそうだから、すきな数字の組み合わせなのだろう。三ヶ月前から変わってないんだな。それを知っているのは、彼女が組織の誰かと繋がっているか調べるため、以前に同じ方法で彼女のパスコードを知り携帯を覗いたから、だ。………。


「そう、再来週の火曜は閉館日なんです!」
「ああ、そうなんだ」


 ……詮索癖は人のこと言えないな。


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