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「警察がこの百貨店に近づいた時点で爆弾のスイッチを押すって言ってました…!」


「も、もちろん、このフロアから一人でも逃げたらアウトだって」たまたまそばに居合わせたわたしは、その言葉に驚いたというよりか、いつかのデジャヴを感じていた。
 またか!また爆弾か!エレベーターの隣の紙袋と、爆弾を身体に巻かれたおじさんをそれぞれ見て、距離を取るべくそそくさと人混みに紛れ込んだ。それがいけなかったのかもしれない。


 目をつけていた友達の誕生日プレゼントを買いに、米花百貨店に来ていた。目的のものは買えたので、この間できなかったカフェでまったりプランを実行しようとこの七階に来たのに、今度はいわゆるデパートジャックなるものに巻き込まれてしまったらしい。騒動の中心はエレベーター前にいる爆弾を身体に巻いた眼鏡のおじさんだ。誰かに気絶させられて気が付いたら覆面の男に爆弾をつけられ、命令通りに爆弾入りの紙袋をエスカレーターや階段の前に置いたと言う。それにしても、その人と話しているのはあの有名な眠りの小五郎ではないだろうか?よく新聞とかテレビで見かけるし、安室さんの助手になってから探偵には敏感になったので覚えている。同じ米花町に探偵事務所を構えているらしいからいつか会えるかもと思っていたけど、まさかこんなデパートジャックで同席することになるとは、考えてなかったなあ。

 記憶に新しい、この間の銀行強盗がフラッシュバックする。けれどあのときほど怖いとは思わない。場慣れか!とふんぞり返ったけれど多分違います。犯人の姿が見えないからだろう。銃の影もない。口の閉じられた紙袋に入った爆弾はよく見えるけれど、あのくらいの大きさで威力がどの程度なのかいまいちイメージできない。距離をとったせいで彼らの話はよく聞こえなくなってしまったのだけれど、そういうわけでわたしには不思議と心の余裕があった。ただ現状をよく認識できていないせいかもしれない。
 そういえばあれ以来、銀行強盗のニュースはたびたび流れたけれど、わたしが映っている映像は一度も確認できなかった。せっかくのテレビ初出演だったのでそれなりに意識していたものの、どうも安室さんが見た生中継の一回きりだけだったらしい。まあ、ろくな身なりはしてなかっただろうから、いいといえばいいんだけれど。
 そうだ、このことを安室さんに連絡しよう。安室さんなら毛利探偵の力になるはずだ。むしろ爆弾犯を見つけてしまうかもしれない。何て言うんだっけこういうの……そう、安楽椅子探偵!安室椅子探偵!……苦しいか!


「何だか知らねえが、赤いティーシャツを大量に送ってるふざけた奴!いたら出てきてくれ!」


 毛利探偵の呼びかけに一旦手を止める。犯人の要求は、このフロアに必ずいるという赤いティーシャツの送り主を突き止めることだった。なんだそれと思うも、おとなしく名乗り出てきたらスイッチは押さないという伝言もあるらしく毛利探偵が必死に呼びかけている。
 しかしその人物が出てくる気配はなかった。仕方なく、毛利探偵はエスカレーターを止め、エレベーターはこの階に止まらないようにするらしかった。

 その判断がきっかけだった。「い、いや…いやだあああ!!」爆弾と共に閉じ込められる恐怖におののくお客さんたちが我先に逃げようと、一斉にエレベーターに群がったのだ。大パニックが起こる。


「わっ…」


 人混みから離れる前に、後ろの人に押され携帯を落としてしまった。慌てて拾おうとするも、「あー?!」カコンカコンとアイスホッケーよろしく何人にも蹴られあっという間に見えなくなってしまった。サッと青ざめる。ここに来て一番血の気が引いたと思う。
 エレベーターそばの紙袋から煙が上がり一層混乱の度合いはひどくなったけれど、毛利探偵の一声でそれは落ち着いた。しかしわたしの動揺は治まらない。膝をつき四つん這いになって辺りを見回すも、携帯の姿はどこにもなかった。


「ど、どうしよう」


 喧騒の中、わたしは途方に暮れた。



◇◇



 毛利探偵が捜査を進めている間、わたしは必死に携帯を探していた。落としたエレベーター付近を重点的に探していたのでちらちらと毛利探偵のほうも見ていたけれど、そこでは赤いティーシャツが何着も並べられるという異様な光景が広がっていた。あれが例の毎週送られてくるティーシャツか、全部が真っ赤だと気味悪いなあ。でもそもそも送った人をどうやって探すんだろう。探偵の助手として力になりたい気持ちも、同業者の捜査の様子を見学したい気持ちもあったけれど、その前にまず携帯の所在を突き止めないことには落ち着けなかった。事件が解決したらここの人たちがみんないなくなって携帯を探しやすくなるかもしれない。だとしたら毛利探偵に早く解決してもらうことを祈るばかりだけれど、もし既に誰かに拾われていて、さらにその人が盗むつもりだとしたら悠長にお祈りなんてしていられない。解決する前に見つけ出さないと。あの名探偵毛利小五郎のことだから、きっとすぐに犯人を見つけてしまうに違いない。

 でもこれだけ探して見つからないとなると、探し方を変えないと駄目な気がする。ずっと考えてる方法は、誰かに頼んでわたしの携帯に電話をかけてもらうことなんだけど……。思いながら、辺りを見回す。


「そう、今爆弾事件のフロアにいるの!」
「うん、普通にみんな電話してるよ?」
「嘘じゃねーって!ほら、見てみろよ!いるだろ、身体に爆弾巻かれてるおっさんが!」


 そう、周りの人たちは思い思いに携帯を使っているのだ。今もどこかから着信の音が聞こえている。こんな状況で、わたしの携帯を鳴らしたところで見つけられるとは思えない。覚えてないけど、もしマナーモードにしてたら絶対気付かないよ。はああと大きな溜め息をついた。

 それからも根気強くフロアを探し回ったけれど、行方不明の携帯は一向に見つからなかった。いよいよ諦めて携帯会社に連絡するところまで考えていると、どうやら爆弾事件は解決したようだった。経緯はわからないけれど、結局爆弾騒ぎの犯人は身体に巻かれたおじさんで、おじさんに赤いティーシャツを送っていたのはこのフロアのスポーツ用品売り場に勤めている従業員の女性だったらしい。でも悪いのはどちらかというとおじさんのほうで、女性の父親を殺したのがおじさんだったという衝撃的な事実が発覚したらしかった。
 植木鉢に寄りかかるようにして座り込む毛利探偵を人の隙間から見る。あれが有名な眠りの小五郎かあ、ミーハーながら感激してしまうよ。推理もちゃんと聞いておきたかった。結局赤いティーシャツには何か意味があったのだろうか。


「じゃ、誰か警察を呼んで、瀬田さんとその人を署のほうに」
「はい!」
「客たちには袋に入ったこの爆弾は煙が出るだけの偽物だと伝えてください」
「わかりました」


 爆弾も偽物だったのか!犯人も捕まったしいよいよ安心だ。あとはわたしの携帯だけど…。毛利探偵と別の従業員の人から目を離した瞬間、トンと肩を叩かれた。反射的に振り返ると、そこには見覚えのある男の人がいた。


「…あ!」


 右頬に火傷の痕、黒いキャップを被ったその人は、銀行強盗でわたしの隣に座っていた人だった。印象的な特徴があるからよく覚えている。


「……」
「え、わたしの携帯?!拾ってくださったんですか!ありがとうございます!」


 差し出されたそれはなんと、ずっと探し求めていたわたしの携帯だった。両手で受け取りお礼を言うと、彼はすぐに踵を返して去って行ってしまった。あまりに呆気なくてポカンとしてしまう。それから、ハッと思い出す。そうだ、しゃべれないんだった。でも耳は聞こえるはずだから、わたしのお礼は伝わったことだろう。うんうんと頷き、携帯に目を落とす。また会うとは思ってなかったから驚いたなあ。あの人、銀行強盗のときわたしが携帯を袋に入れたのを見てたんだ。それでこの携帯の持ち主がわたしだってわかって、渡してくれたんだ。親切な人だなあ。しみじみ思い、動き出したエスカレーターへ歩いていく後ろ姿を人知れず拝んだ。
 と、両手で挟んだ携帯が突然鳴り出す。


「メール?」


 もしかして安室さんかも?!との期待は外れた。しかも知らない差出人からのメールだった。迷惑メールかと思ったけれどアドレスはまともだし、本文も「ありがとう」の一言だけだった。なんのことだ?
 無意識に首を傾げていると、「すいません、もしかして今、ありがとうってメール届きませんでした?」駆け寄ってきた高校生くらいの女の子に声をかけられた。そばに少年と、あとおじさんに赤いティーシャツを送ったらしい従業員の女性がいる。


「え、はい…」
「じゃあ、この推理はあなたが…!」
「へ?」


 よく見たらこの子と少年、さっきまで毛利探偵のそばにいた子たちじゃないか?予想外の渦中の人物との邂逅に内心慌てながらも、彼女が見せた携帯画面を覗く。長文のメールだ。けれど、もちろん身に覚えはない。


「わたしこんなの送ってないですけど…」
「え?でも、あなたの携帯からのメールですよね…?」


 見ると確かに差出人はわたしのアドレスだ。自分の携帯の送信ボックスを見てみると、確かに数十分前に知らないアドレス宛にメールが送られていた。


[手旗信号は声の届きづらい海か山で使われていて、送られてきた信号の意味が「うめたのみたよ」なら、海ではなく山。
 更に、不自然に右側まで千切られたレシートは雪山を連想させ、アンダーウェアの赤は殺人を暗示している。雪山で殺人ならば遭難事故絡み。通常遭難事故で分刻みの時間は出ないため、レシートの12時28分は12月28日を意味していると思われる。
 以上が私の推理だ。
 わかったらさっさと調べて我々を解放しろ。]


 これ、この事件の真相なのかな。端的で明晰な文章だけど、こんな高圧的な言い方しないよ……。この人たちにはわたしが打ったように見えるのか、ちょっとショックだ。いやでも、実際わたしの携帯から送信されてるわけだし、そう思うのは仕方ないのかもしれない。「でもわたしさっきまで携帯をなくしてて…」と、そこでひらめいた。


「あっ!」
「え?」
「わたしの携帯を拾ってくれた人が送ったのかもしれないです!頬に火傷の痕がある男の人なんですけど…」


 なるほど、あの人が打ったのなら納得だ。頭良さそうだったし、しゃべれないし携帯を持ってないからわたしのを使ったのだ。「そ、その人どこ?!」子供らしかぬ剣幕で食いついてきた少年に、動き出したエスカレーターのほうだと伝える。「もう帰るんじゃないかな、下に行ったみたいだったし」そこまで聞いた途端、少年は一目散に駆け出した。……知り合いだったのかな?

 高校生くらいの女の子は毛利探偵の娘さんで、走って行った少年は居候の男の子なのだそうだ。ネームプレートに瀬田とある従業員の女性が警察に事情聴取で連れて行かれたあと、彼女と二、三言話し、お客さんの流れに混ざって帰宅した。
 非日常な体験にふわふわと浮ついた心地のまま歩いていると、あれ、と思う。あの火傷の痕がある男の人。

 わたしの携帯、ロックかかってたはずなのに、あの人どうやって解除したんだろう。


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