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 かじかんだ手はお店をうろうろしているうちにすっかり温まっていた。米花百貨店でお目当てのポシェットを買い、タグを切ってもらって早速肩に提げるととっても気分がよかった。再来週に控える友達への誕生日プレゼントの見当もついたし今日は満足だ。本当はプレゼントも買ってしまおうと思っていたのだけれど、バッグを買ったらお財布の中身がすっからかんになってしまったのだ。レジで気付いて内心焦ったものだ。
 でもまあ、来週にでもまた来ればいいか。思い、お店を出る。朝からの雪がまだはらはらと降っていた。折り畳み傘を出すほどじゃないなあと帰り道である右方向を向くと、すぐ近くにていと銀行があることに気が付いた。

 そうだ、お金を下ろせばいいんだ!今日は特に予定もないし、下ろしてプレゼントを買ったあと、どこか喫茶店にでも入ってまったりしようではないか。暖かいカフェラテを飲みながら本を読む。オシャレさんの気分だ。優雅な午後のひとときを想像してすでに癒された気分になる。
 軽い足取りで銀行の自動ドアを通ると、休日なだけあって利用客は多いらしく、三台のATM機器にはそれぞれ行列ができていた。ぼーっとしながら並んでいると二十分ほどで自分の番になり、適当に一万円を下ろしそこを離れた。預金もまだ焦るほどじゃなかった。
 さて再び米花百貨店へ、と思ったのだけれど、ちょうど化粧室の案内板が見えたのでそちらに足を向けた。カウンター脇の出入り口で、屋内の廊下に繋がっているようだ。百貨店に戻ってからでもよかったのだけれど、近くにあるのなら利用しない手はないだろう。曲がり角を行き、男子トイレの奥の女子トイレに入った。

 そういえば、次のシフト、まだ店長に提出してないや。今度からバイトに入る日は安室さんの予定とすり合わせて決めることにしたから、次会ったときに聞かなければ。実は今日も今日とて家に乗り込んだのだけれど、肝心の本人が不在という見事な空振りをしてしまったのだ。ジムに通ってるって前に聞いたことあるし、それだったのかもしれない。一日暇だったわたしは仕方なく、第二の用事である米花百貨店に赴いたのであった。

 用を済ませ、元来た道を戻る。来たときより人が増えてる気がするな、


 ドォンッ!


 反射的にびくっと肩が跳ねる。すごく大きな音がした。人ごみの中で何人かの悲鳴があがる。な、なんだ、今の音。


「出入り口にロックを掛けてシャッターを閉めろ!全員一箇所に集まってもらおうか」


 お客さんたちが何かから遠ざかろうとするように壁際へ後ずさりしていく。なに、なに……。人混みの向こうに何があるのか確かめようと、いいや今聞こえた男の声で、何となく予想はできるだろう、小さくジャンプして見てみると、自動ドアのそばで、いかにも怪しい、同じジャンパーを来た男が何人か立っていた。


「うそ……」


 その男たちが周囲のお客さんに向けているのは、どう見ても、拳銃、だった。




 未体験の事態に冷静な思考はできなかった。銀行強盗。アニメやテレビドラマの世界だけだと思っていた、その現場に居合わせているという実感はまだ湧いてこない。現実じゃないみたいだ、地に足がついてない。


「オラ、こっちに早く座れ!」


 ATMのすぐ前、わたしはお客さんの集団の隅っこに小さく縮こまって体育座りをしていた。目出し帽に灰色のジャンパーを着た、ぱっと見細身の犯人が銀行員のお姉さんたちに銃を向け脅している。緊急事態に自分がどうするべきなのかまったくわからず、わたしはそちらをうかがって、でも犯人と目が合わないようにちらちらと視線を動かしていた。
 わたしは今まで、テレビの中に自分がいる想像をして、わたしだったら勇敢に立ち向かうのになあと思っていた。けれど実際は、強盗犯の言いなりになって、他のお客さんと一緒に固まってその場に座っているだけだった。情けないと思う余裕すらなかった。


「うおおーー!」


 男の人の声が聞こえハッとそちらを見る。一人の男性が犯人に果敢に掴みかかろうとしていた。響く銃声。「うああっ!」犯人がその人へ向けて発砲したのだ。容赦のない制裁は男の人の右腕を掠めたらしく、彼はそこを押さえて倒れこんだ。悲鳴混じりのどよめきが起きる。
 わたしはというと、一番離れたところから呆然とその光景を凝視して、さらに身を縮めるだけだった。心臓が気持ち悪いくらいに脈打っている。呼吸も荒い。畳んだ足の前で握り締める両手が、ぶるぶると震えていた。

 さっきトイレに行かなければよかった…。そう思うのは自分さえよければいい人みたいで嫌気がさすけど、思いたくもなるよ。


「わかったか。痛い目に遭いたくなかったらさっさとしろ」
「いいか!知り合いや連れがいたら一緒に固まるんだぞ!」


 発砲したのと別の犯人がそう言うと、お客さんの中でわずかに動きがあった。もちろんわたしは一人なので動くことはせず、肩をすくめながらさり気なく、銀行の入り口にシャッターが下りていくのを見ていた。「よし、とりあえず持ってる携帯をこの袋に詰めろ!」また別の犯人が取り出したベージュ色の袋を近くのお客さんに突き出した。携帯の回収、か…。じきにわたしのところにも来るだろう。ポシェットに入れていたそれを取り出し、ぎゅっと握り締める。泣きそうではないけれど、随分情けない顔をしていたに違いない。
 ……今、ここで犯人の目を盗んで、警察に通報したら事態は好転するかもしれない。思うのに、握り込んだわたしの手はやっぱり動かなかった。


「おい、そこの外国人女。日本語がわからねえか」
「NO!少しならわかりマス!」
「じゃあ携帯出してさっさと座れ!」
「OK、OK」


 ATM機器の前でずっと立っていたらしい、黄色いコートを着たメガネの外国人女性に銃が向けられていた。見上げると彼女は手を挙げてこそいるが、そんな軽い調子で受け答えをし丁度わたしの一人挟んだ右隣りに腰を下ろした。凝視していたのがバレそうだったので咄嗟に正面に向き直る。外国人だから、なのかな。拳銃向けられてあんな態度でいられるなんて、肝が据わってる。わたしだったら、もう、震え上がっちゃって全然だめだよ。目をつけられてるわけでもない今でさえこうなんだから…。
「シュウ…!シュウなの?!」その声に横目でうかがう。外人さんが、わたしの右隣に座っていた男の人に何やら話かけていた。知り合いだろうか、こんなところで居合わせるなんてすごい偶然だなあ…。しかし彼らの会話を聞く余裕もなく、袋を持った犯人がこちらまでやって来たので、わたしは手を伸ばしてそこへ放り込むので精一杯だった。


「オラァ!何騒いでやがる外国人女!さっさと携帯この袋ん中に入れろ!」
「オ〜…OK、OK」
「おい、おまえもだ。早く出せ!」
「……」
「てんめえ…ぶち殺されてえか…?!」


 あっ…?!なんと、隣の男の人が犯人に胸ぐらを捕まれたのだ。突然のことに目を白黒させる。無理やり立たされた男の人は依然動揺を見せることなく無表情だ。どうして早く携帯出さないんだろう、危ない、このままじゃ……。内心大焦りを見せるもわたしは口をパクパクさせるだけで何も言えない。なんとかして助けるのが人として当然だとわかっていても、「NO、NO!彼は事故のショックで口が利けないんデス!火傷の痕、その証拠ネ!」この外人さんのようにはいかなかった。彼女は立ち上がり、しゃべれない彼を庇ったのだ。言ったことは本当なのだろう、改めて男の人を見上げると、黒いキャップを深く被った横顔には、右頬に広く赤いケロイドが見えていた。


「口が利けない人、電話持ってても話せないと思いますヨ!」


 確かにそうだ、この人、携帯を頑なに出さなかったんじゃなくて、最初から持ってなかったのか。犯人も外人さんの主張に納得したらしく、それ以上手を挙げることはしなかった。男の人は解放され、二人は無事座り直す。人知れずホッと胸をなで下ろす。よ、よかった…。さっきの立ち向かおうとした男の人のこともあったし、あのままだったらこの火傷の人も無事では済まなかっただろう。全然怯えている様子のない外人さんを盗み見る。ああいう勇敢な人になりたいなあ…。
 ひと段落して再度犯人グループをうかがうと、支店長が主犯格と思われる男に呼ばれ現金をアタッシュケースに入れるよう指示されていた。そうだ、お金を盗むのが目的なんだもんね、当たり前だ。他にも、ドラマとかで何度も見た銀行強盗のセオリーを必死に思い出そうとする。ええと、普通だったらこのあと、犯人たちは何をするんだっけ…?


「よし、次は連れや知り合いがいない奴、その場に立て!」


 え。
 どくん、と心臓が音を立てる。それから重苦しい動悸。連れや知り合い、が、いない奴……なんで。ここに来て名指しされたような緊張感に襲われる。背中に嫌な汗が伝うのがわかる。ど、どうしよう、何されるの、やだ、こわい。頭の中はそんなことしか考えられず、縮こまるようにしていた身体はガタガタと震えていた。辺りをうかがうと言われた通り、一人で来たお客さんがちらほら立ち上がっていた。
 一人くらい、立ち上がらなくてもいいかな、ごまかせるんじゃないかな……。
 でも、もしあとでばれたらと思うと、隠れているのは精神的にも無理だった。固く組んでいた手をほどき、ゆっくりと床につく。腰を上げ、


「!」


 床についた右手が離れない。というか、上から押さえつけられている。咄嗟に見下ろすと、思った通りわたしの手の上に誰かの手が乗せられていた。その手の主は、右隣の男の人だ。

 動揺を隠せないままその人を見上げる。しかし真正面を見据えた横顔が見えるだけで、まるでわたしの手に重ねているそれなど意に介していないようだった。


(……誰?)


 こちらからではさっきの火傷のあとは見えないけれど、間違いなく、わたしの反対側に座る外人さんの知り合いの人だ。でもわたしの知り合いじゃない。「おまえら、このガムテープを取りに来い!」彼を凝視しているうちに一人客の締め切りが来たらしい。結局わたしは、中途半端に浮かせた腰をまた下ろし、体育座りをし直した。するとあっさりと、重ねられた手も解放された。もう一度隣の彼を盗み見るも、やっぱりわたしの存在など見えていないというように、まるで何事もなかったかのように、じっと真正面の犯人グループの動向を眺めているだけだった。
 この状況で迂闊に声を出すのはためらわれたため問いかけることはできなかった。でも、この人はもしかして、わたしを立ち上がらせないために手を押さえたんじゃないかと、そんな変な考えが浮かんだ。


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