118


 犯人が波土さんを吊り上げたトリックを実践すべく、安室さんは一同を連れてホールへ移動した。今は準備のため、天井のバーに渡したロープの片方を、ステージ上でパイプイスに座る高木刑事の身体に結び付けている最中だ。その様子を客席から眺め、ふいに逸らす。ステージ以外の照明がなくて見づらい、一人の背中へ目を凝らす。
 先ほど梓さんと一緒に聞いた推理では、にわかに信じがたいトリックが用いられていた。確信を持ち堂々と話す安室さんの説明でなければ疑ってしまっていただろう。加えて、波土さんと犯人の経歴、そして今もなお残されている動かぬ証拠が、わたしと梓さんを納得させていた。
 安室さんがみんなに説明しながらロープを巧みに結び、最前列の座席に引っ掛ける作業を、わたしは一番後ろで聞いている。目を逸らすのは、犯人の背中から証拠が落ちていないか心配になって、ときどき確認するからだ。


「じゃあ一番非力そうな園子さん、引いてくれますか?」


 準備が整ったロープの先が、安室さんから園子ちゃんへ渡る。突然名指された園子ちゃんは動揺していたようだけれど、駄目元の気持ちで引き受け、二列目の座席の前でロープを引いたのだった。
 すると摩訶不思議、ステージ上でロープに結ばれていた高木刑事の身体が、ふわっと浮いた。どよめく一同。前もって話を聞いていたわたしも目を疑ってしまう。本当に、一人で吊り上げられた。沖矢さんもわかっていたように、ロープで作った輪っかが滑車の役目を果たすことで、女性の力でも男性を吊り上げられることを解説した。
 これで複数の犯人は必要なくなる。そして、一見しただけでは到底真似できないロープさばき。これは運送業者が積み荷を固定するときに使う結び方で、素人が簡単にできる仕掛けではない。「つまり波土さんを吊り上げた犯人として一番疑わしいのは、若い頃運送業者でバイトをしていたという……」沖矢さんがおもむろに、背後を振り返る。


「波土さんのマネージャーの円城佳苗さん…あなただということになりますが…」


 彼女の背中が明らかに強張る。わたしは、どんな顔をすればいいのかわからず、つい目を伏せてしまう。安室さんは吊り上げたあとのロープを客席に固定する方法を口頭で説明したあと、余ったロープは工具箱に入っていたカッターナイフで切り、束ねてステージのソデに工具箱と一緒に置いたことを円城さんに確認した。閉口する彼女を庇う布施さんにはコナンくんが、束ねたロープの内側の大きさが蘭ちゃんの足と同じくらいだったため、小柄な女性の円城さんが束ねたんじゃないかと思ったことを伝える。なんでも運送業者の人はロープを束ねるとき、肘を曲げ手のひらと二の腕を支点にして巻くらしく、そのときできるロープの束の内側が、その人の足の大きさくらいになるのだという。そうなんだ、と感心しながら自分も肘を曲げてみる。
 というか、コナンくんも事件の真相がわかってたのかな。てっきり安室さんと沖矢さんだけだと思ってたけれど、よく考えたらコナンくんも当然のように現場に立ち入っていたし、デジカメを見たり、積極的に捜査に参加していた。本当に勘のいい子なんだなあ。コナンくんが助手だったなら、わたしなんかよりずっと安室さんの役に立てるに違いない。

 あまりに情けなくて自嘲してしまう。だってわたし、今、円城さんの背中についている、波土さんのサークルレンズを見てることしかできてないんだよ。

 コナンくんの指摘で円城さんは初めて気がついたらしく、首だけで後ろを振り向いていた。肩甲骨あたりについているそれは角度的に本人からは見えないだろう。しかもピンクの千鳥格子模様のブラウスだから、模様に紛れて非常に見えにくい。わたしも安室さんに教えてもらうまで気がつかなかった。目暮警部が白手袋のままそれを摘んで取り、波土さんを吊り上げたときに運悪く落ちたのだろうと述べる。


「さあ証拠は十分だ!あとは署の方で…」


 円城さんを連行しようとする目暮警部。彼女も特に抵抗を示さず、入り口へ踵を返してしまう。あまりの聞き分けの良さに、えっ、と内心動揺する。まだ真相は明らかになってない、このままじゃ彼女は冤罪になってしまう!「おい待ってくれ!」わたしが止めようとするより先に、布施さんが彼女を引き止める。


「どうしてあなたが波土を?!十七年間支え続けた彼をなんで殺さなきゃならなかったんだ?!」
「それはいくら聞いても答えられませんよ…」


 通路階段を登ってきていた安室さんが、円城さんの代わりに口にする。


「なぜなら、彼女は彼を殺していないんですから」


「ええっ?!」目暮警部と布施さんの驚嘆の声が上がる。反対に安室さんは落ち着き払った様子で、もう片方のサークルレンズがステージのソデにあったパイプイスの座面の裏についていたことを説明した。つまり、彼が吊られて亡くなったとき、パイプイスは足元に倒れていたということだ。さらに、現場に落ちていた野球ボールにはタコ糸が結び付けられており、その逆の先端に結んだロープをバーに渡すために使われたことを付け加えた。安室さんは、円城さんではそれほど高くまでボールを投げられないだろうこと、高校時代野球部かつ強肩だった波土さんなら可能であろうこと、そして、彼の胸ポケットに「ゴメンな」の手紙が入っていたことを連ねた。ここまで条件が揃えば、真実は自ずと見えてくる。


「そう……彼は自分で首を吊り、それを見つけた彼女が彼を高く吊り上げ、殺人に偽装したというわけです」


 波土さんは自殺だった。静かに目を閉じる。死ぬ間際誰かへ向けた謝罪を残し命を絶った、彼の心境を想像する。靄がかかったように不鮮明だけれど、深い悲壮に囚われることは避けられなかった。
 目を開くと、涙はこぼれなかった。事前に安室さんから聞いていたから、じっくりと向き合う時間があったのだ。気を抜いてしまわないようわたしが一人息を止めている間、円城さんに梶谷さんが殺人に偽装した理由を詰め寄ったり、心当たりのある様子の布施さんが、波土さんと円城さんの間に起きたある事件について話していた。
 渦中の人たちへ顔を上げる。ふと、誰かの視線を感じた。


(え?)


 首を動かすと、少し離れたところで立っている沖矢さんが、こちらを見ていた。
 なんだろう。さりげなく首を傾げ応えるも、彼も円城さんたちのほうを向いてしまい、真意はわからずじまいだった。


top /