117


 鑑定の結果、波土さんの胸ポケットに入っていた「ゴメンな」のメモは本人の文字と断定された。さっきまでのわたしだったら、波土さんの最期を思って感傷に浸ってしまっていたけれど、沖矢さんの話を聞いた今となっては毅然と振舞うことができた。波土さんの犯人への負い目が原因で殺害されたという目暮警部の推理にも納得がいった。
 マネージャーの円城さんによって、波土さんが他のミュージシャンと比べて自身の近寄りがたい顔立ちに引け目を感じていたことが明かされ、それに同調するように蘭ちゃんたちが、最近の波土さんが以前よりソフトな雰囲気になったことを口にする。雑誌記者の梶谷さんからは高校卒業後の整形疑惑について指摘されたけれど、それは円城さんが即座に否定した。なんでも円城さんと波土さんは当時活動資金を稼ぐために運送会社のアルバイトをしていたらしく、金銭的余裕などなかったのだそうだ。
 その他にも円城さんをめぐる波土さんと布施さんの揉め事があったようだけれど、波土さんが布施さんを恨むことはあれ、殺される理由にはなりそうもないと結論づけられていた。それに、二人は登山仲間だったというじゃないか。登山といえば、元登山部の梶谷さんの話を伺うと、彼は幽霊部員だったからナントカの結び方も知らない、と据わりの悪そうに答えていた。しかし、波土さんがロープで首を吊っていたと聞くと語気は一転し、「だったら熱狂的なファンの仕業かもしれねえぞ?」とどこか挑発的に述べた。


「波土は、ブログでよく「死ぬときはステージの上で果てたい」って呟いていたからよ。ファンがその望みを叶えたんじゃねえか?」


 書いたのが本当でも、もちろんものの例えで、実際にステージで死ぬことを良しとしていたわけじゃないだろう。彼をよく知る布施さんと円城さんは当然のように彼の真意を「それだけ音楽に真剣に取り組んでいたということだ」と主張していた。
 波土さんの意図はどうであれファンが実現させたのだと納得したらしい梶谷さんは、もう話は終わったと言わんばかりにこの場から去ろうとする。もちろん高木刑事に止められたけれど、むしろなぜ引き止めるのかと不満げだ。現場の状況は単独犯では絶対に作り出せず、容疑者三人のアリバイがない時間は被っておらず協力した可能性はない。つまり、この犯行は誰にもできない。


「不可能犯罪なんだからよ!」


 梶谷さんの主張を覆す材料は、今のところ誰も持ち合わせていないのだろう。一人でも可能な方法や、二人の時間を合わせられるトリックがあるんだろうか。波土さんの「ゴメンな」という最期の言葉には、どういう意図が。


「あっ」


 なおも帰りたがる梶谷さんに、カバンの中身を見せてほしいとそれを掴む高木刑事。「離せって言ってんだろ?!」振り切るように梶谷さんが強く引っ張ると、反動でカバンが鑑識さんにぶつかってしまった。鑑識さんの運んでいたケースが床に落ち、証拠品を個別に入れたビニール袋がばら撒かれる。
 蘭ちゃんたちと一緒にそれらを拾い終えた頃、梶谷さんのカバンに入っていたデジタルカメラを警察が確認し始めるようだった。目暮警部の後ろから、安室さん、コナンくん、沖矢さんが覗き込んでいる。助手としては安室さんと同じものを見ておきたい気もするけれど、今はただの同僚だから、割り込むのは忍びない。
 梓さんはどこだろう、と見回すと、安室さんたちから少し離れた後方に立ち、彼らを見ているようだった。そこからじゃあカメラのディスプレイは見えないだろう。梓さんも手持ち無沙汰みたいで、話しかけたいなと思う。後ろめたいことがあるせいで彼女を近寄りがたく感じてしまうのは本当だけれど、ずっと避けるのも悪い。梓さんだって事件に居合わせて、心細く思っているに違いないのに。彼女の気持ちに寄り添うのが遅かったと自責の念すら浮かぶ。おそるおそる、忍び足で距離を縮める。


「梓さん…」
「なに?」
「不安ですよね、やっぱり……早く解決するといいですね」
「ええ、そうね」


 後ろで手を組んでいた梓さんが肩をすくめて苦笑いをする。感じ取ったニュアンスに、あっと背中が冷える。助手なのに他人事みたいに言ってしまった。梓さん呆れてる。しまった、でももう無理だ、これ以上失望される前に、白状してしまったほうがきっと楽だ。まるで誰かに急き立てられるように、梓さんへさらに一歩詰め寄る。


「あっ、あの!わたし、助手ですけど、実はさっぱり役立たずで…!」
「へえ、そうなの?」
「はい!今回も全然、真相の見当もつかなくて…」


 胸の前で手いたずらをしながら事実を述べる。バツが悪い。でも嘘をつくのも悪い。
 梓さんは神妙に、目を細めてわたしを見つめていた。真に事実のくせにフォローされないことを悲しく思う、まったく勝手な自分が嫌だ。


「いつも安室さんのお手伝いをしてるんじゃなかった?」
「してます!してますけど、頼まれたことをやるくらいで、安室さんが何考えてるか、教えてもらわないと全然わからないんです」
「ふうん。……でもちゃん、安室さんがときどき怪しい行動をしてることは、さすがに知ってるわよね?」


 え?
 思わず目を丸くする。なんだか、話の矛先が、わたしから安室さんへ変わったように感じたのだ。違和感を覚えるわたしへ、梓さんは片方の口端だけを上げ、品定めするような視線を注いでいる。
 ……怪しい行動。思い当たるのは一つだけだ。わたしに内緒で受けた依頼のこと。あれは、今も内容がわからず、わたしの目には、そう、怪しく映ったままだった。
 あの話、梓さんにも伝わってたんだ。わたしコナンくんにしか言ってないから、コナンくんが話したのかな。安室さんはわたしに隠したがっていただけで、バレてしまったからには他の人にも隠していないようではあった。でも、あの件はわたしも上手に立ち回れなかったから、反省しているし、誰かに話す気にもなれなかった。


「あ、梓さんも知ってたんですね…」
「ええ。やっぱりちゃんも知ってるわよね」
「はい……あ、でも詳しくは教えてもらえなくて……わたしも詮索するのよくないなって反省してるので、だから知ってるかと聞かれたら、知らないってことになるのかな」


「あら、そうなの?」意外というように首を傾げる梓さんに、苦笑いで頷く。


「安室さんを困らせたくないので…」


 本心だ。安室さんが知られたくなかったのなら、知らないふりをしてあげたかった。わたしだっていろいろ悪いことをしてるのに、安室さんがしたときだけ鬼の首を取ったように責めてしまったのも後悔している。あの夜のことは、できるならやり直したいと思ってる。


「そう。安室さん想いね」


 納得した風な梓さんが顎を上げたので、見下ろされている錯覚を覚える。でも梓さん相手に腹が立つなんてことはない。欲しかった回答だったかな。俯いて頭を掻く。
 ……梓さんの言いっぷりだと、安室さんが内緒で何かをするのは、この前のが初めてじゃなさそう。わたしが気付いてないだけで、安室さんはいろんな隠し事をしているのかもしれない。でもそれこそ、わたしに知られたくないのなら、詮索するのはよくない。知ることは安室さんを傷つけてしまう。だから知らないままが、いいんだろう。
 たとえ安室さんがどんどん遠くなってしまう気がしても。


「梓姉ちゃん、片方だけ落としちゃったみたいなんだけど…」


 ふと、コナンくんの声を耳にする。見てみると、彼は鑑識さんとコソコソ話をしているようだった。落し物?梓さんに向き直ると、彼女も様子をうかがうようにコナンくんを見つめている。よほど大切な物みたいだ。


「梓さん、落し物ですか?探すの手伝いますよ」
「い、いいの。ちゃんに知られるの、恥ずかしいから」


「そうですか…」ピシャリと遮断されてしまう。なんだかやっぱり、今日、梓さんとうまくコミュニケーションが取れてない気がする。普段はこんなにぎくしゃくしない。梓さんは悪くないのに、わたしの心持ちが穏やかじゃないせいで距離感がわからなくなってるんだ。わたしが思い切らない限り、これからずっとこんな感じなのかな、すごく嫌だ。せめて疑念ははっきりさせておかないと。


「あ、梓さん…。さっきの話なんですけど、梓さんは安室さんのこと、よく知ってるんですか?」


 聞いてから、何と返ってくるんだろうと怖くなる。四肢が硬直し、息を飲む。梓さんが不敵に笑う。


「ええ、知っているわ。あなたが知らない彼の顔を、よーくね」


「知らない顔……」水面をなぞるように声にする。たしかにそういう表現が近いかもしれない。沖矢さんの家の前で、男の人たちに指示を出していた安室さんの声は、まさに知らない人のものだった。
 そして安室さんはそれを知られることを梓さんに許しているんだ。わたしには隠したいことを、梓さんには言える。本当に、安室さんと梓さん、結ばれてしまうんじゃないか。今まで二人に過度に親密な雰囲気が見られなかったから完全に油断していた。どうしよう、わたしこれから何を頑張ったらいいんだろう。


「梓さん、。犯人がわかりましたよ」


「わっ!さすが安室さん!」場の雰囲気がパッと明るくなる。歩み寄る安室さんに笑顔を向ける梓さんは可愛い女の人だ。反対にわたしは、仲睦まじい二人を目の当たりにして、笑顔も作れず、可愛くない。


top /