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 到着した店長に事情を説明し業務の引き継ぎを終えたわたしは、一目散に階段を駆け下りていた。店長とすれ違うように地下へ降りていった安室さんたちを追うためだ。
 先ほど、ロビーで凶器のありかに頭を悩ませていた目暮警部と高木刑事に、休憩所から上がってきた安室さんと真純ちゃんとコナンくんは犯人が判明したことをほのめかし、警察の二人を連れて再度容疑者三人の元へ降りていった。安室さんたちの口ぶりでは、当初の見立て通り、山路さんと同じグループの中に犯人がいるらしかった。
 友達を殺したいと思うほどの憎しみを、抱えた誰かがいる。それが誰なのか、知りたいかと聞かれたら果たして頷けるかわからないけれど、だとしても安室さんの助手として立ち会わないわけにはいかない。そんな使命感だけで気を保っていた。一応蘭ちゃんと園子ちゃんにも声をかけたけれど、一階で待っているとのことだった。
 助手になって知ったことだけれど、探偵が立ち会う事件って、何でも円満解決というわけにはいかないものだ。取り返しのつかないことをしてしまった人がいるし、当事者じゃなくたって、中には真相が明かされて悲しみに暮れる人もいる。不謹慎かもしれないけれど、身辺調査や猫の飼い主探しなどが、すごく平和に思える。
 でも、だからといって助手という立場から逃げたくなるんじゃなくて、ちゃんと安室さんの役に立ちたいと思う。今日は全然だめだった。多分今も冷静などではなく、事件が起きてからずっと、宙に浮いている人みたいだ。そもそもわたしは推理以前に、本当に脆弱で、気が小さいから、打ちひしがれてしまう。きっとまず必要なのは、強い心なんだろう。


「その中に一人だけいるじゃないですか。事前にそれを準備できる人が…」


 地下へ降りドアノブに手をかけたところで、休憩所から安室さんの声が漏れ聞こえる。はっと息を飲む。


「小暮留海さん……あなたですよ!」


 ワンテンポ遅れて、顔が思い浮かんだ。後ろで一つ結びをした眼鏡の人だ。確かキーボードを担当していた。
 躊躇したけれど、二の足を踏む理由は情けないものばかりなので、振り切るようにドアノブを握った。音を立てないようゆっくり押すと、ドアを背に立っていた安室さんが気付いてほんの少し振り返り、何も言わず横に移動し入室を促してくれた。
 わたしが店の人だからか、あるいは安室さんの助手だからか、はたまた一時でも容疑者に挙がった人物だからか、事件解明の真っ只中であるにもかかわらず、部外者だと咎める人はいなかった。各々のタイミングでわたしを一瞥しつつ犯行の手順について意見を出していく彼らを、わたしは安室さんのそばに寄り添うように聞いていた。安室さんも横目でわたしを一度見下ろしただけで何も言わず、腕を組んで場の行方を見据えているようだった。


「そもそも防犯カメラを半分隠さなきゃ、そんな犯行できないだろ?」


 やっぱり先程の安室さんの台詞は犯人を追及したものだったらしい。名指された小暮さんを庇うように、ギターの木船さんが「だよな?」と確認を取ると、小暮さんも、あの位置にスタンドマイクを置いたのは偶然で、全員が意見を出し合って決めたものだと述べる。
 気付けば、もう、目線が床に落ちていた。上げる気になれず、お腹の前で組んでいた指先の、親指と人差し指で、反対の手の水かき部分に爪を立てる。


「そのカラクリはわかりましたよ」


 安室さんは調子を崩すことなく、小暮さんの言い分を論破していく。携帯で撮影された彼女たちの演奏を確認する目暮警部の後ろから覗き込み、録画に使った携帯の位置はキーボードの小暮さんの位置次第だと指摘する。動かせないドラムと、小暮さんが移動させるキーボード。携帯は両方が画角に収まるよう調整するため、小暮さんがどれくらいキーボードをドラムから離して置くかで、自然とスタンドマイクの位置が決まるという。
 それから真純ちゃんは、小暮さんが防犯カメラの死角で山路さんを毛糸で絞殺したこと、防犯カメラに背を向け、キーボードで曲を直しているかのように装いながらドラムスティックを使って毛糸を山路さんのニット帽に編み込んだこと、最後に毛糸を編み込んだニット帽を山路さんに被せて休憩所に戻ったことを推理した。あんなに見つからないと騒がれていた凶器が毛糸で、それは山路さんのニット帽に編み込まれ、すでに小暮さんの手元から離れていたというのだ。どうりで警察が店内をいくら探しても見つからないはずだ。考えもしなかった発想に舌を巻いてしまう。真純ちゃんも、すごい推理力の持ち主だ。高校生探偵の名は伊達じゃない。
 真純ちゃんは、ミステリートレインに乗っていた。気付かないうちにニアミスしていた彼女は、コナンくんと一緒に八号車で起きた事件の捜査をしていると教えてもらった。なのにどうして安室さんと顔を合わせなかったんだろう。わたしが一号車から順番に写真を撮っていた頃、安室さんも八号車で調査をしていたのに。それに、安室さんと部屋で合流して、わたしが愚かにも居眠りしてしまったあと、彼は毛利さんの推理ショーに立ち会ったと言っていた。そのときコナンくんもいたと言っていたのに、真純ちゃんはどこにいたんだろう。
 まあ、わたしが不思議がれる立場じゃないんだけれど。


「萩江さんの飲み物に睡眠薬でも混ぜておけば、仮眠を取るといって萩江さんが一人でスタジオに戻り、ドラムに突っ伏して寝てしまうことは想定できますよ」


 安室さんも確信したように見解を述べる。山路さんが仮眠を取るときは、決まってあのドラムの場所だったらしい。それも計算に入れて犯人は睡眠薬を盛った。
 睡眠薬の力はわたしも身にしみている。樫塚圭さんに渡されたフルーツジュースに睡眠薬が入っていたため、気付かないうちに眠ってしまって、まんまと誘拐されたのだ。そういえばあのときも、全然眠くなかったのに、と不思議に思った。あとで安室さんから睡眠薬の話を聞いて納得したものだ。


「……」


 急に、何か、言葉にし難い圧力で押し潰されそう、いや下から殴られたような、一つの可能性が降りてきた。ミステリートレインでの失態の原因について、考えてはいたけれど、自分のコンディションの問題だろうというだけで、それ以外の可能性を思いついたことがなかった。


「まあ、この貸しスタジオのゴミ箱をすべて調べれば、睡眠薬がついたペットボトルが見つかるでしょうけど」


 安室さんも考えなかっただろう。というか、ますますバカだと思われてしまうかな。今さら言い訳がましいと言われるかも。ミステリートレインでわたしが居眠りしたのは、睡眠薬を飲んだからかもしれないなんて、さすがに飛躍しすぎだろうか。


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